GWAは、グローバルに活躍している女性達のコミュ二ティーを作る事を目標に活動を続けていたにも関わらず、直接的な出会いと、自分の足で、手で、肌で感じる事にあまりにも重きを置き過ぎて、すっかり「オンライン」後発グループになってしまっていました。2021年の今年になって、やっとオンラインを使った活動をスタートする事を決め、世界の教育、世界の旅、コミュニケーション力をテーマに、3種類のオンラインコンテンツを進める事にし、その「サポーター」を募集したところ手を挙げてくれたのがリヒター恵子さん。何回もやりとりをしているので、知ったつもりになっていましたが、改めてインタビューを申込ました。


リヒター恵子さん

自分のしたい事をしっかり決めて高校生で恵子さんが選んだ道

恵子さんは、東京で産まれ、小学校5年から高校まで栃木県宇都宮市で育ちます。高校の時から英語が大好きだった恵子さんは、英語の勉強を続けて、将来の自分の仕事の目標を外資系のCAになると、しっかりと決めている高校生でした。しかも、目標を決めたら、どうしたら、最短距離で、外資系エアラインのCAになれるかという情報収集にも精を出します。

そこで見つけたのが、東京外語学院のスチュワーデス科で、ちょうど一期生を募集していたそうです。ここが重要な「運命」ですね。CAになるための教師陣のラインナップもとても良かったので、外資系のCAになるのに、大学に進学するのは回り道になると考え、迷いなく、今では、CAという呼び名ですが、当時の名前であるスチュワーデス科に入学しました。

この学校は、生徒全員がCAになる事を目標にしているので、在学中に、日本や外資系の航空会社の面接の練習もたくさん経験するそうで、外資系のCAになりたいという意思が固かった恵子さんは、日本の航空会社には興味はなかったのですが、実際に入社面接を受けるなど、いろんな工夫をしたそうです。

キャセイ航空のCAを選んでいなかったら、また違う人生があったかも・・・

その当時、日本人は外資系のエアラインで採用してもらえるのは、20歳以上という条件があり、目標が定まっている恵子さんは、19歳の時に、既に香港ベースのキャセイ航空を受けており、その際、来年来なさいと言われていたので、20歳になると、再度面接を受けて、すんなりと合格を頂いたそうです。

同時に、大韓航空にも合格していて、実は、東京ベースの大韓航空の方が良いかと思っていたのですが、それだと東京とソウルだけの往復を飛ぶ事になる事に気づき、世界中を飛べる香港ベースのキャセイ航空の方が行動範囲が広がると考えて、香港ベースを選択し、それは自分にとって、とても良い決断だったと恵子さんは言います。

外資系エアラインで働く事を少し詳しく聞いてみました。
 

キャセイ航空では、12ヵ国以上の様々な国籍のクルーが一緒に働くので、そこでたくさんの経験をする事になりました。まずは、英語で7週間のトレーニングがあります。キャセイ航空のキャプテンは、イギリス人、アメリカ人、オーストラリア人、アイリッシュ、スコッティッシュ等の混成で、それぞれとても優秀なパイロットが集まっているので飛行の安全面でも素晴らしい会社でした。正直、お給料の待遇はそれほど良くなかったし、勤務時間もけっこう長いし、日本の航空会社のように労働組合に守られている会社と比べると、提供するサービス内容も多くて、乗務員としての仕事はかなり大変でした。

当時、アジアの国に住んでいる人は、今のように自由に海外旅行に行ける状況ではなかったので、キャセイ航空で一緒に仕事をしていた、韓国、タイ、インドネシア等のアジア各国からの乗務員は、自国でそれなりの家庭で育った人たちばかりでした。その方達と一緒に仕事をし、実際に話してみると、みなさん、とても礼儀正しいのですが、やはりナショナリティーの違いがあります。それぞれのナショナリティーの考え方の違いが理解できるようになるまでにはやはり時間がかかりました。

当然に、それまでに、日本での社会経験もなく行く事になるので、多国籍の人たちと仕事をするという事に馴染めない人は、1年くらいで日本に帰ってしまう方もいました。

 

憧れの職業に就いてみてどうでしたか?

元々、接客業は嫌いではなくて、お客様に快適に過ごしてもらうのが仕事ですが、キャセイ航空は、安全航行に関するルールもとても厳しかったので、仕事の内容は大変でしたが、自分なりの楽しみを見つけるようにしていました。


お客様を迎える前の準備は、すごく慌ただしいんですが、お客様を迎える時には、にっこりと笑顔にならないといけないという、職場はいわば戦場みたいなものです。
そこで培われた経験は、CAという仕事をしなくなっても、一生私の役に立っています。特に人と接することに物怖じしなくなった事はとても大きな事だと思います。

私が仕事をしていた頃は、海外に出る人が少なかったという事もあり、CAは憧れの職業でしたけど、そのうち、便数が増えて、行ったと思ったらすぐ帰り便に乗務しなければいけない等、勤務条件は厳しくなっていました。最近は、コロナの発生でまた大きな変化が起きているようです。

体力的にCAが続けられないなと思った時に一生を決める出会いがありました。

当時を振り返ると、楽しい事もたくさんありました。香港・イタリアのローマ便が始まったころ、週に1便だったので、香港からローマに到着すると、帰りのフライトまで、現地で1週間の自由時間があって、イタリアを旅行する事もできました。

当時の香港を経験出来た事と、12ヵ国以上の国籍の人の中で働いた経験はとても良かったと思います。今でも、当時一緒に仕事をしていた仲間達とは、昔のままで再会する機会があって、何百人も集まる事もあるんですよ。

航空会社にお勤めすると、本人や家族への無料や割引チケットが出たり、そういう意味での待遇はとても良かったのですが、働き始めて、5年くらい経過した時に、時差の事もありまして、CAの仕事は、体力的にきついものだったので、そろそろ日本に帰ろうかと思っていたところ、香港に仕事で来ていたドイツ人の主人との出会があり、そこから日本に帰るという選択肢がなくなってしまったんですと、恵子さんは語ります。

ご主人の仕事に帯同するため住んだ国は数知れず・・・
 

結婚し、ホテルのマネージメントの仕事のご主人に帯同して、住んだ国は9カ国13都市。

香港、バリ、スラバヤ、ドバイ、福岡、ニューデリー、香港、上海、ジャカルタ、ソウル、天津、 チェンマイ、ドイツ。本当にいろんな経験をする事が出来たそうです。


子育てが終わって、今後したいと思っている事は?



ここ1年くらいは、TCK(Third Culture Kids)という考え方を広める活動をしています。
元々、サードカルチャーキッズという言葉を知らない人がほとんどだったので、その事を知らせて、気づきを与えるという事を目指して活動しています。

TCK(Third Culture Kids)は、帰国子女など、子ども時代を母国以外の国で送ったマルチカルチャーを生きる子どもたちを指します。ファースト・カルチャーが両親の国の文化で、セカンド・カルチャーが子ども時代に住んだ国の文化とすると、TCKには、母国でもなく、外国でもない、サードカルチャーを生きる子どもたちという意味が込められています。

TCKの活動も、人はみんな違っていいんだ、という認め合う価値観を共有することにあります。日本の素晴らしい文化を理解しつつも価値観に寛容になることは日本では難しいように思います。でもグ ローバルな世の中では、これは当たり前なのですね。

また、日本の文化は家事は母・女性がすべきものという文化で、男性が家事を分担しない文化ですけど、それでは男性が自分で何も出来ない状態を作っているのと同じです。私自身は、今の時代は男女問わず自分が自分の身の周りの事をすることは当たり前だと思っています。
恵子さんがされてるお仕事情報はこちらです。

https://online.cloverlifeart.com

 

 


インタビュー後記

 

まだ直接お目にかかった事はないのですが、住んでいる距離は遠く離れていますが、感じる事や、目指そうとしている事には共感が出来るのが恵子さんの存在です。日本という国は良くも悪くも、世界の中では「特別」な存在の国で、海外から日本を見ると、そこが見えて来るのに、日本の中にいると、それが見えにくくなる、インタビューからは外れて、そんな会話が出来るお相手としていつもリスペクトしています。