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ツヨシは中国から帰国した。
何日ぶりの日本なのか、
パスポートに押されたスタンプを見ても、
解らないほど頭がぼーっとして霞んだままだった。
福岡空港国際線ターミナルから博多駅筑紫口までタクシーを飛ばし、街に立ち寄ることもなく、
往復券の復の切符を使って特急に乗ると、
車掌に切符の確認で起こされたのを除けば、
長﨑までの2時間近くを眠り続けていた。
長﨑駅前から大好きな路面電車に乗り込んで、
つり革に掴まり、立ったまま街を眺めた時、
ツヨシはようやく日本に帰って来たのを実感した。
中国では中華三昧だったこともあり、母の手料理で、
父とビールを傾け、親子3人水入らずで過ごした。
夕食後、自分の部屋のベッドで寝転びながら、
ツヨシは携帯でユウジに電話した。
「今日、中国から帰って来た。
家で両親と晩飯を食べ終わったとろこだ」
「そうか。無事に帰って来たか。
ツヨシ、今、家にいるんだな」
「そうだよ」
「今から、家に行こうか」
「疲れているから、明日にしてくれ。
中国ではホテルのシャワーだけで我慢したから、
これから1週間ぶりに、のんびりと風呂に入りたい」
「ツヨシ、それでいつ東京に戻る」
「そこまで頭は回らないよ。
東京は逃げはしない、急ぐ必用なんてどこにもない。
大学の講義が始まるまで戻ればいい」
翌日の昼前、小学生の時のように電話連絡もせずに、
ツヨシの家の玄関先にユウジがぶらりと姿を現した。
「親父さんもお袋さんもお勤めご苦労様。
その留守を狙って泥棒猫のお出ましです。
ツヨシは子供の頃から、出不精というか家に籠もるのが好きだったからな。
長旅に疲れもあるだろうし、
百パーセントの確立で家にいるはずだ」
「まあ、上がれよ」
幼馴染みを拒む必用もない。
そう言われることを当て込んだユウジはツヨシの家に上がり込んだ。
「それで中国はどうだったんだ?」
黙ったままのツヨシを構うことなくユウジは喋り続けた。
「突然だもんな。
台湾から帰国して、一緒に長﨑に帰省したかと思ったら、
明日から中国へ行くだと。
こっちも、あっけに取られたよ。
今時、上海万博も知らない日本人がいるのに驚いたし、
それが極身近なツヨシだとは。
遠慮しないで、中国の土産話をしてくれ。
俺はそれを聴きに来たんだから」
「何から話そうか」
言葉が続かないツヨシの頭は混沌としたままだ。
「つまんない奴だな。
誰にも邪魔されない、せっかくの一人旅だろう。
自慢話の一つ二つのネタは仕込んでないのかね。
ツヨシ先生、法螺でも嘘でも、何か一つ頼みます。
そういえば、3日前、キミコさんからメールがあった」
『ユウジさん、故郷の長﨑でいかがお過ごしですか?
わたしは部屋のピアノの前に座って、暑い夏を過ごしています。
台湾ではたいへんお世話になりました。
東京に戻って来られたら、ミドリさんとツヨシさんを交えて、
また渋谷でお会いしたいですね。
キミコより』
まあ!
こんな感じだった。
持てる男はつらいね。
追伸
『帰国してから、ミドリさんにはまだ会っていませんが、
近いうちに二人で会う予定です』
だとさ。
俺たちが会うのはその後かな」
渋谷家の朝食のおかずの残りで、
ツヨシとユウジがお昼を食べながら、
テレビでお昼のワイドショーを観ていると、
突然、スタジオから中継に切り替わった。
縦縞のワンピースに厚化粧の中年女がマイク手に語り掛けた。
「桜咲く4月にこの建物の前で起きた中国人女性2名と台湾人男性2名の計4名が亡くなった事件の続報です。
警視庁は水面下で事件事故の双方で捜索を続行していましたが、
今しがた、容疑者と想われる2名を横浜市内で検挙した模様です。
詳しい経緯が解りしだい、お伝えします。
中華会館からは以上です」
女が自らの役目を果たした時、真南の太陽が女の頬を煌々と照らし、一滴の汗が頬を伝って川となった。
「これが本当だとしたら、周麗子さん、殺されていたんだ。
台南のお父さんと弟はどうするんだろう?
キミコさんは?
レポーターが言っていたけど、
検挙したようですというのは逮捕したのとは違うのか?」
ツヨシは黙っていた。
「テレビ観てるんだろう、ツヨシ、何とか言えよ」
「今、思い出した。
見覚えがあるレポーターが、表情も変えずに、
周麗子さんと陳大全さんを含めた4人の死を中華会館前で再現したんだ」
「解ったよ。
俺が尋きたいのは検挙と逮捕はどう違うのかということだ」
「法学部じゃないから、はっきりとは知らないけど、
検挙というのはある程度の証拠があって、逃亡されないように、
警察が逮捕するために身柄を押さえたという事じゃないかな」
「そうか。
それで事件は解決するかな?」
「まだ、逮捕もしてないんだろう。
これからだ。
逮捕して、警察が取り調べて、起訴が出来ると確信したら検察に送検する」
「刑事ドラマのように詳しいこと。
ツヨシは将来、脚本家になるべきだね。
きっと、売れっ子になること間違いなし」
反論しないかと思いきや、ツヨシはすぐに言葉を返してきた。
「俺たちだって、いつ何時、司法当局のターゲットにされ、
裁判官になれと呼び出されるか知れないご時世だから。
全くの他人事でもない」
「でも、裁判官になれば日当が出るよな?」
「ああ、そうだ」
「いいバイトじゃないか」
「人は報酬をもらえばいいとは限らない。
暇を持て余している大学生ならともかく、
裁判官になりたくない人もいれば、なりたくてもなれない人もいる。
裁判なんてまったく興味がない人、適性に欠ける人、
事件の関係者と近い人は排除されるだろうが、
この世の中は実に様々な人々がいる。
現に、我々はキミコさんの小学校時代の同級生で、
この件で亡くなっている周麗子さんの父親の家を訪ねた。
その上、キミコさんとミドリさんと麗子さんの弟の聯明君と5人で高雄まで行き、
中華会館でのもう一人の被害者、ミドリさんが勤める日本人学校の学生の陳大全さんの家にお邪魔になり、中華饅頭をご馳走になったじゃないか。
2階の彼の部屋で彼の日本に留学する経緯をお母さんに聞かされて、1階に降りると、高校生の妹が戻っていた」
「そうだったな。
あれから、まだ1ヶ月も経っていないのか。
そうだ。
それから、俺はキミコさんに誘われて横浜に行き、
中華街で周麗子さんのお爺さんにも会った」
お昼を食べ終え、テレビを消し、食器を洗い、
家の戸締まりを済ませたツヨシとユウジは夏の盛りの長﨑の中華街に繰り出した。
死ぬほど暑い夏の一日だった。
上海、北京、大連の暑さにも、
旅行者の気合いで乗り切ったツヨシだったが
生まれ育った長﨑に帰って来て、どっと疲れが出てしまった。
落ち着けるはずの故郷に戻ってからも、
中国人の血を引く華僑の顔を見、その嗅いだせいかもしれなかった。
しかしながら、本場大陸の中国人と東シナ海を挟んだ長﨑の極
狭いエリアに生息する中国人は血統的には同種であっても、
似て非なる者のように感じたのは、暑いからといって、
首都北京の中央駅で地下鉄の構内で腹を出して涼む中国人はここ長﨑にはどこにもいないのだから。
