ニートな旅日記・・・4 | ブログ連載小説・幸田回生

ブログ連載小説・幸田回生

読み切りの小説を連載にしてみました。

よろしかった、読んでみてください。

 4

 

 一人闇の中に立っていた。
 真夜中。
 いえ、まだ太陽の姿も見えない早朝でした。
 月明かりで木製フェンス側の自分に気づいたのです。
 草原に冷たい風が吹き抜ける。
 芝に含まれた夜露が足元を濡らし体全体へと、冷気を拡散させた。

 

 糞の匂いに、冷たい水分を含んだ芝を千切り、鼻先にあて嗅ぐ。 

 動物、これは馬のものだ。
 あの競馬場のパドックと同じ臭気が露で覆われた芝から伝わってくる。

 

「ああ、ここは牧場に違いない」

 風と芝が僕に示してくれた。
 

 スミスさんと競馬場の貴賓席ではぐれ、どうしてか、牧場にやってきたようだ。
 喉が渇き、胃は空っぽだった。
 嗅いだ芝を口に含んで飲み込み、空腹と喉の渇きを凌いだ。
 座ろうにも、芝が湿り、疲労から立ち竦んだ。

 

 やがて月明かりの中に小さく見える、建物らしい平屋目掛け、
 僕は歩きだしていた。

 自然が照らす木の引き戸がすんなり開く。

 

 一つ二つと仄かに薄明かりが灯った小屋の中に、足を忍ばせると、
 サラブレッドがいた。
 立ったまま眠っているようで、面前を通り過ぎると、

 

「ブルル!」と顔を震わす。

 声を潜め、2頭3頭4頭・・・・数えている間に。

「誰!」

 男の子の声が聴こえ、そして、点々と光が灯った。

 逃げ出そうにも、勢いあまり転んで、つられた馬の啼き声に、
 10歳くらいの少年が僕の目の前に走り込んで、

 

「君は誰?
 どこから来たの?
 名前は?」
 立て続けに質問をぶつけ、気が動転し、声が出ない。

 

 ただ彼の表情に敵意を感じず、
 少年の言葉を理解することが出来た。
 彼とも、テレパシーが通じ合えた。

 

「僕はポールだよ。
 君は日本人かい?」
 頷いて意思表示した。

 

「こんなところで、何してるの?
 寒いだろう。
 1時間ほどでサラブレッドの世話が終わる。
 それまでここで待っていて。  
 そうしたら、僕と一緒に家に来るんだ。
 ねえ、パパやママと、暖かい朝食が待っているよ」


 

 少年が馬の世話をする間、僕はじっと目を閉じていた。
 馬のそばで横になり、僕は眠り続けた。

 少年の囁きで、短くも長い眠りから覚めると、
 厩を離れ、重い足取りで、少年の後から自宅へと向かった。
 ポーチから玄関までのアプローチが、突っ立っていた草原から厩までよりずっと長く感じられた。

 

 彼がドアを開けると、まずテリア犬が勢いよく飛び出し、
 僕らを出迎えた。

 

「ジョン、彼は友だちだよ。
 仲良くして」
 白く小さなジョンは2度ほど軽く啼いて、薄紅色の舌で彼の手を舐め、

 そして白い尾を左右に振り瞬き、僕の目を見つめ、

 

「君の友達だからね」
 彼のメッセージはちゃんと伝わった。

 続いてあらわれた父親にも、少年は日本の友人だと言って、
 僕を紹介した。
 彼は厩に忍び込んだ不審者とはいわず、学校の先生の知り合いで、 

 英国に観光に来ていると、僕の経歴を語った。
 物事がスムーズに運ぶよう咄嗟に判断したのだ。


 

 相継いで、紹介された母親に、

 

「あなたはどう呼んだらいいの? お名前は?」と尋かれ、
 すぐさま、「ケン」と応えていた。

 

 天才お笑い芸人、志村けんさんの名前が浮かんだ。
 バカ殿だけは、録画してチェックするほどのファンで、
 それを観ている時の僕は彼と同じバカな殿様だった。
 天下の殿様が、こんなに気楽に生きていけると、笑い転げていた。
 どれだけ彼の笑いに勇気づけられたか、しれない。
 僕がこの世に存在しうるのも、半分は志村さんの力といっていい。


 

「ケンはいつまで英国に滞在するの?」
「家に1ヶ月ホームステイすることになっている」
 少年は僕より先でした。

 

「そう、それじゃ、牧場の手伝いもお願いできるわね」
 母親ジョディさんの言葉で、僕の約1ヶ月の滞在が事実上決まった。

「ポール、隣の空き部屋を食後二人で片付けないさい」

 

 太りぎみの父親デイブさんが低い声で呟いた。
 両親の話す英語はポールやスミスさんと比べて、訛ってはいても、 

 その言葉をすんなり受け入ることができた。
 両親とも、テレパシーが通じ合えると悟ったのです。

 

 家族3人と同じテーブルに付いた僕は、

 暖かいクリーム色に緑の小野菜が浮かぶスープとトースト、ポテトとミルクの朝食をいただき、

 体からエネルギーが湧き上がってくるのを感じた。
 ポールの横には、家族の仲間として、小さな器で食事と水を摂るジョン。
 

 朝食を終えポールと二人、日本製のモップ式縦型の掃除機を掛け、 

 ベッドマットにシーツを巻き、デスクの棚を整理して、  
 小学校に行く彼と一緒に部屋を出ると、愛犬と共にポーチ先で少年を見送った。
 部屋に舞い戻り、唯一つの持ち物である黒いバッグを部屋の脇に置き、

 僕は所持品の片付けを終え、ベッドに横たえた。
 ついうとうといい気分になって。
 

 


 夢を見ていたようです。

 

「さんざん探したぞ。
 こんな所に忍んでおったか。
 一言くらいわたしに断りを言って欲しかったな。
 随分と長いトイレなことだ。
 次のレースが終わっても帰って来ないので、これは慣れない場所に来て迷子になってしまったな、
 そう考えながら、全レースが終了するまで君を待ち続けていた。

 

 場内放送での呼び出しも考えたが、名前も知らなかった。
 日本人の本田さん、至急、貴賓席までお戻りください。
 そう、言えばよかったね。

 こんな場所に嫌気がさして、君は逃げ出したのかもしれない。
 そう踏ん切って、予約しておってホテルに戻ったのだよ。

 

 わたしも年だし、軽いルームサービスを摂り、
 シャワーを浴びて、すぐベッドに入った。
 それからどれくらいの時が経ったのか知らんが、
 わたしの枕元に君がでてくるんだ。

 

 つまり、君の夢をみた。
 それで、わたしは君を探した。
 もともと君は、スコットランドに行くと言っていたな。
 でも今、君がいる場所はそこではない。
 わたしが半ば無理やり競馬場に連れたのが、悪かったのかね。
 

 ところで、君は大学生と名乗った。
 それで、わたしは誘ったのだ。
 わたしは大学で日本の研究をしておる。

 

 研究テーマは歴史、もっと具体的に言うと、
 第一次大戦前の東アジアの動向と英国。
 少し勿体ぶったようだ。
 掻い摘んで言うと、その時代の英国と日本の人的文化交流、
 もっと解かりやすく言うと、君も学校で習った覚えがあるだろう、
 明治時代に英国と日本は軍事同盟を結んでいた、
 日本では日英同盟と言われている。
 

 

 エリザベス1世が基盤を作り、19世紀になって、

 世界最強国となった我国は、世紀後半ともなると、

 アメリカやドイツの台頭でその地位は脅かされつつあった。
 7つの海を支配するのが、だんだん難しくなってきたという訳だ。
 我国一国で世界を支配するのではなく、軍事的パートナーつまり、 

 子分を探していた。

 

 そこに格好のカモがあらわれた。
 それが東アジアで勃興してきた、君の祖国日本なのだ。
 我国はうまいこと日本を騙してロシアの南下政策を阻止し、
 中国をはじめとする東アジアの利権を、上手い汁を手放したくなかったのだよ。
 日本は騙されたとも知らず、わが国の絶好の下僕となった。
 

 

 そうして、1902年、今からざっと百年前、

 英国と日本の利害が一致したように思わせた軍事同盟が結ばれた。


 

 我々が煽った偽の情報とも知らず、君の祖国はロシアと勇ましく戦かった。
 それを美談にした小説が日本で大流行しているのが、わたしには少しも解らない。

 左右の人間を問わず、その話に酔いしれているそうじゃないか。
 幕末のヒーローや忠臣蔵と共に、日本人が最も好む物語になっている。

 

 日本は間違って日露戦争に勝利した、それがわたしの見解だが、
 それが我大英帝国と日本を微妙な関係にした。
 そんなことも露とも知らない不感症の君の御先祖たちは、
 浮かれに浮かれて、戦勝気分に浸っておった。
 そして、日本は軍事大国へと茨の道へ突き進むことになるのだ。


 

 敗戦のせいばかりとは言わんが、ロシアに革命が起き、
 赤の政府が樹立したことは、20世紀の最大のハプニングだろうよ。
 馬鹿げた革命騒ぎだった。
 あんな事は必要なかった。
 所詮、赤の思想はロシアでは根付く代物ではない。

 

 あれは、最先進国、もっとはっきりいえば、英国をモデルにして、
 考えられたものだ。
 あの思想は、先進国でないと、機能しない。
 それには、経済の発展段階を踏まないといけない。
 ステップを踏まなければならない。

 そのことをロシアの指導者諸君はまったく理解してなかったようだ。
 まあ、それも致し方ない。

 

 虐げられた溜まりに溜まったロシア民衆のマグマ、

 エネルギーを抑えることなど誰にもできはしない。
 それが歴史というものだよ。

 産業革命も民主主義も未経験の、ヨーロッパであってないような途上国のロシアで赤の思想とは、
 きっと、マルクスもロンドンの墓の中で苦笑いをしている。
 赤の政府が倒れたのがつい最近なのは、君も知ってのことだろう。

 

 21世紀は、赤のいない世界を模索する時代になる。
 したり顔の学者が、ポストモダンなんて、ほざいている。
 わたしも学者の端くれとして、浅はかな奴らと愚弄しておる。


 

 まあ、それにしても、この現代に、

 こんな単純明快な事が解からないバカどもがいるくらいだから、

 ほとほと人間という生物も、 サルどころか、

 ゾウリムシかケンミジンコの類だとわたしは見ておる、下等生物並である。
 それが水の惑星地球を支配する人類の本当の姿なのである。

 

 話しがこんがらがってきたようだな。
 わたしは君にあるメッセーを託すよう、ある人物に頼まれている。

 

 先ほども言ったように、我々の祖先は、

 腐り切った眠れる大国ロシアの惨敗をきっかけとして、君の国を必要以上警戒するようになった。
 これ以上力を持つようになると、わが国の国益を脅かせる存在にもなりかねない。

 

 それでも、わたしと親しい者たちは、あの偽りの友好期間を懐かしむ。
 政略結婚を懐かしむ。
 互いを信じ合った幻を懐かしむ。


 

 それは、我々の先輩諸君が、わが国と日本と義兄弟の契りを結ん当時のことだ。
 前後して、日本で職を解かれた旧侍たちがわが国を訪れ、 
 その一部の者が、この国に残り、現地の娘と結ばれておる。
 彼らは、どのようにして、東の島国から西の島国に入り、
 ここに根付き、風化していったのか。
 それが、わたしの研究テーマなのだ。
 

 1世紀前から現代の日本人まで、研究しているのだよ。
 君を連れて行った、あの競馬場もそれに関係している。
 スミスさんの啓示ともいえるような囁きのあと、
 僕は目覚めたのです。
 


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