考察


天皇の始祖が天照大御神様である!

とされたのは、天武天皇から持統天皇に代替わり時代からであり、藤原不比等が奈良への進出を計画していた頃だと思われます❗


持統天皇は、夫の天武天皇との話し合いの末に中臣鎌足(藤原鎌足)の計画を遂行すべく息子の藤原不比等が、新たな日本(西日本)の歴史を書き替える必要性を訴え太安万侶に働き掛けて、故郷の天皇歴史書(磯乃上古事記)(いそのかみふることふみ)や土地々々の風土記を元にして新しい古事記(こじき)に書き換えたと思われます❗

だからこそ、それまでの日本の歴史書を封印して【古事記】(こじき)が日本最古の歴史書として朝廷命令が出されたと思われます❗

しかし、12代景行天皇時代にも日本を守るために息子の日本武尊様を関東への東征をやらせました❗

 日本武尊様は景行天皇の元へは帰ることは出来ずに能褒野山(のぼのやま)にて傷を負い病気となり力尽きてしまう逸話があり、部下達の報告から、たくさんの移民たちが日本にやって来ていることを景行天皇は知り、日本の根幹である所(徳島県)を守るべく歴史書を編纂することに着手して【金毘羅様】(クシミカタマ様)と【太田田根子様】にホツマツタヱの編纂の勅命を出されたと思われます❗

この御二方の事は後程紹介します❕

天武天皇、持統天皇の時代にも新たに大陸からの侵略を懸念して、新たな日本の歴史を編纂(改竄)することになったと思われます❗

そして、持統天皇は女性ですから、以前の故郷(徳島県)から伊勢の神宮の根幹にまで手を付けてしまったと思われます❗

古事記には、10代崇神天皇の時代に流行った疫病は、八咫鏡(天照大御神様)と大国魂(素戔嗚様)を一緒に賢所で祭っているからだと思い、娘の豊鍬入姫様に八咫鏡(天照大御神様)を他の場所で祭ってくれと頼み込み、豊鍬入姫様から倭姫様にその意志が継がれて伊勢五十鈴川の畔に神宮を建立しました❗

神宮を建立したのは倭姫様とされているのは、そんな理由です❗

もし、天皇が天照大御神様が始祖ならば、崇神天皇は天照大御神様こそ、地元にて祭るはずです❗

実際には、古事記で書いている通り、始祖と言っている天照大御神様を外に出したのです❗

ですから、この出した時点では、始祖は天照大御神様ではない、と解釈することも可能かと思います❗


*つまり、「縄文時代」からある神社であった場所(五十鈴川畔)ですが、神武東征(素戔嗚東征)によって、この伊勢の土地は神武天皇(素戔嗚様)の傘下に入っていたと思われます❗


元々、崇神天皇の賢所で八咫鏡(天照大御神様)と大国魂(素戔嗚様)を一緒に祭っていたものを別れさせたものと思いがちですが、八咫鏡(天照大御神様)を神武天皇(素戔嗚様)の土地に祭る事を倭姫様は決意されたのだと思います❗

現地人との交渉は、どのようにしたのかはわかりません❗

そんな地元民達からの長きに渡る天照大御神様と素戔嗚様問題ですが、素戔嗚様側の氏子にしてみれば、素戔嗚様も祭って欲しいと思っていたのでしょうね❓

その努力によって素戔嗚様に纏わる神様が、外宮として祭られることになったと思われます❗

それが、外宮の豊受大御神様なのです❗

素戔嗚様との関係は、豊受大御神様とは素戔嗚様のお后です❗

別名は、豊玉姫様(野馬臺国(ヤマタイコク)のもう一人の女王)、倉稲神様、御稲荷様(おいなり)、宇迦之御魂神様(うかのみかたま)、御食津神様(みけつ)、櫛名田比売様(くしなだひめ)、大宜都比売様(おおげつひめ)、(水神様)など多くの神名があります❗


*今上陛下が【水】の研究をされているのは、世界の動植物の生態を維持するには【水】の重要性を理解され追求されているのかと私は勝手に思っています❗

また、今上陛下ご自身は、天照大御神様が始祖ではなく、素戔嗚様が始祖であると理解され、そのお后が水神様(五穀豊穣神様)である事も認識されているのかとも思っています❗

そう、あの八岐大蛇退治とは、毎年の水害によって稲田がやられてしまい、食糧不足となる原因の洪水被害を解決する事です❗

ですから、【水】と【五穀豊穣】とは、切っても切れないセットなのです❗

よって、五穀豊穣の稲田の神様であるのが、素戔嗚様のお后の櫛稲田姫様であり、水を制御(灌漑)する素戔嗚様のお后として古事記に登場すると考えられます❗

八岐大蛇のお腹は、常に赤くなっていたというのは、若杉山辰砂採掘遺跡や矢野遺跡や他の縄文時代の遺跡群ことだと思われます❗

朱色の辰砂が発掘されていますからね❗

そして、その遺跡の場所は、杉の森林地帯です❗

古事記の内容とピッタリです❗

素戔嗚様が天照大御神様に鉄剣(天之叢雲剣)を献上した話を古事記で見ますが、この遺跡である辰砂の山(土地の国譲り)をプレゼントした話にしていると思われます❗


🌟纏めです❗

天皇陛下の始祖が天照大御神様であると【確定させられた】のは、41代持統天皇の時代の古事記編纂の時からです❗


私は、天皇陛下の始祖は、素戔嗚様だと思っています❗

何故なら、神武天皇とは、東征するルートから考察すると熊野速玉大社や大神神社の祭神が素戔嗚様が祭られている事や古事記編纂から天照大御神様とされているとか、三種神器はレプリカとされていることや日本全国の神社の数は、【素戔嗚様】が圧倒的多数だからです❗


*応神天皇祭神となっている神社の本当の祭神は、素戔嗚様なのです❗

八幡神社のことです❗


もし、三座で神殿が成り立っているなら、右には宗像三女神様が祭られていると思われます❗

九州の宇佐神宮は、本来の名前は、【宇佐八幡宮】と言います❗

一般的に読み方は「うさはちまんぐう」と読んでませんか❓

本来の読み方は、「うさやはたじんぐう」と読むべきだと思います❗


🔯全国の神社は、「八幡神社」が圧倒的に多いですね❓


🔯そして、多いのが「稲荷神社」も多いですね❓

稲荷神社の稲荷様とは、素戔嗚様のお后である(豊玉姫様)です❗

五穀豊穣の神様ですから、伊勢の神宮外宮に祭られています❗

外宮から参拝するのは、こんな理由からだと解釈してます❗


🔯熊野神社も多いですね❗

神武東征の熊野ですから、神武天皇(素戔嗚様)の制覇地ですから、熊野神様とは素戔嗚様のことです❗


🔯八坂神社は、素戔嗚様を祭るのです❗


そうなりますと、日本国の成り立ちは素戔嗚様である事を証明していると思いますね❓

古事記に出て来る【大暴れん坊とは、程遠い】と言うことではないでしょうか❓

牛頭天王とも称されて、怖いけど頼りになる存在としていますから❗

また、仏教では、薬師如来様として神仏習合の時は、隠して参拝していたのです❗

神仏戦争の事です❗

それの証明が、45代聖武天皇が全国に建立させた国分寺とお后様の国分尼寺や薬師寺等なのです❗


45代聖武天皇の時代は、天皇の始祖は、素戔嗚様だと確信していたということにもなるでしょう❗

そして、明治天皇も素戔嗚様が始祖である事を認識していたのです❗

だからこそ、明治天皇ご自身と素戔嗚様(神武天皇)の銅像を近くに立てたと思われます❗





先程保留にしていたホツマツタヱを編纂したクシミカタマ様と太田田根子様の事ですが、どちらの方も素戔嗚様の子孫なのです❗
面白いですね❓
高天原を追い出された素戔嗚様の子孫に日本の歴史を託したのですから❗

次のアヤは、三種神器がレプリカな理由と天皇陛下が本物は見たことない、という理由を語ります❗


By 古代の赤椿