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世界ふしぎ発見!での赤・白・黄金・黒の景色を高知等で

【赤い蟹の大群から年中白い山まで】

216日放送の「世界ふしぎ発見!」では、インド洋に浮かぶ島々で見つけた各種色(赤・白・黄金・黒)の風景を取り上げていたが、光景は異なるものの、同様の色の美しい風景は高知県等でも見られる。

 

(1)赤いカニの大群(高知市)

番組ではオーストラリア領・クリスマス島を埋め尽くす真っ赤なアカガニを「赤の風景」として取り上げていたが、高知市御畳瀬(みませ)でも規模は小さいものの、赤いカニの大群を見ることができる。

 

以前確か、生物の大群の写真を取り上げた記事で取り上げたと思うが、その風景は海軍水上特攻基地、震洋基地や「縁切りさん」、戦後20人以上が首吊り自殺した深浦神社へのルート上の切通し部にある。

 

そこに14年前の102日、行った時に小さな赤いカニが何百、何千匹と這い回っていた。

海には近いが、この切通しは谷の源流の上にあるため、沢ガニである可能性もある。

 

(2)年中白い山・鳥形山(仁淀川町)

「赤」の次は番組では、スマトラ島の温泉が各所に湧く白い岩盤を「白の風景」として紹介したが、仁淀川町には年中上部一帯が白い山がある。この山、鳥形山については以前「酷道439号沿線見所一覧」で簡単に取り上げた。

 

地形図を見ると白鳥が飛んでいるように見える鳥形山は昭和中期まで、県屈指の名峰として登山愛好家にも人気があったが、鳥形山鉱業所が開設されて以降、山は天辺から削り取られていき、標高も100m以上低くなった。

 

しかし平成に入り、採石場一帯が見渡せる展望台と鳥形山自然公園が整備され、展望スポットとなった。そこから見ると鳥形山の山頂(削平された)一帯は石灰岩で真っ白くなっており、まるで雪を被っているかのよう。

標高が低くなったとは言え、1300mはあるため、夏場等は雲がかかることもあり、その光景はまさに雪山そのもの。

 

(3)津呂山展望台からの黄金の景色(室戸市)

番組ではジャワ島にある竪穴と横穴の複合洞穴の天辺に開く穴から差し込む陽の光、通称「太陽の糸」を「黄金の風景」として紹介した。

高知県は海岸線が長いため、年中見ることができる「黄金の風景」と言えばすぐ夕焼けの海が思い浮かぶ。

 

これまで当ブログでも安芸市の大山岬や田野町の田野海岸等、何ヶ所かの夕焼けを紹介したと思うが、室戸市室戸ジオパークの一つ、津呂山展望台(室戸岬山頂展望台)も取り上げた。

 

天候や雲、夕日の画面上の配置等各種条件はあるものの、やはり’02年の正月期間に撮った写真(スチルカメラ)の風景が一番のように思う。まるで黄金の空を雲の船団が進んでいるかのよう。

                                                                                           

(4)高取城跡の黒い水堀池(奈良県高取町)

番組ではスマトラ島の黒い湖と川を「黒の風景」として紹介した。高知県内でも過去の写真、何万点かを探せば黒い風景があるかも知れないが、すぐ頭に浮かぶのは、土佐の勤王志士、那須信吾たちが攻撃をしかけたものの落とせなかった城、高取城の縄張りにある黒い池、水堀池。

 

普通、日光が全く当たらない池の水面は黒っぽく見えるが、ここの池は「完全なる黒」。まるで墨汁を流し込んだように真っ黒。人工池のようだが、城の機能が関係していたのか、何が原因なのかは分からない。

 

場所は、麓から土佐街道を登ってきた場合、猿石を過ぎた先、二ノ門跡の脇。

 

この池も以前、記事で触れたと思うが、高取城跡から壷阪寺にむかう尾根の途中に、五百羅漢を始めとした数多くの磨崖仏群「香高山磨崖仏」がある。この磨崖仏群も以前紹介済。

今後も各種色の風景を紹介して欲しい、という方は次のバナーをプリーズクリック。

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陸軍林飛行場のU字通信壕と卑弥呼より古い王の史跡(高松市由良山)

[戦争遺跡と城跡と神櫛王の甕]

昭和19124日、香川県の林村、川島村、多肥村、三谷村(いずれも現、高松市)に陸軍林飛行場(高松陸軍飛行場)の設置発表があり、328戸の民家と14戸の公共施設が強制的に移転させられた。

 

そして8月に滑走路が完成し、翌月には三重県の明野陸軍飛行隊が飛来、10月、飛行場施設は完成した。

当初は海軍航空隊同様、明野飛行師団による教育課程があったが、昭和203月末、教育課程は終了し、実戦部隊が展開する飛行場となった。

 

飛行場への米軍機による爆撃が度重なり行われるようになると725日、第六対空無線隊が編成され、由良山(120.3m)の南側に通信関係の壕や隧道を掘った。この壕群が残っているのである。

 

整備された登山道沿いに確認できるものは横穴壕が3本。但し、1本は掘削途中で終戦を迎えたかのように短い。

それ以外では全長2530mほどの素掘りU字隧道(出入口が二ヶ所ある地下壕)があり、見応えがある。

 

横穴壕は各種物資保管壕で、隧道の方は中央部がかなり広いことから、通信所壕であろうと思われる。また、香南市の鬼ヶ岩屋洞穴にあるような、防護石積みのある陣地ようなものも見られる。

 

戦後、飛行場跡は高松空港になったが、空港が旧香南町に移転して以降、滑走路跡には香川大学工学部、県立図書館、サンメッセ香川臨時駐車場、香川県科学技術研究センター、香川産業頭脳化センター、産業技術研究所四国センター、タダノ技術研究所等が建設された。

 

由良山山頂は中世の由良山城跡でもある。王佐山城主・三谷景久の弟、兼光が由良を領することなり、由良伊豆守と名乗り、由良山城主となった。しかし伊豆守の子、遠江守景広の時代の永正5(1508)、香西元定に攻められ、落城した。

また、戦時中は高射砲台もあったというが、城跡と共に遺構は殆ど確認できない。

 

登山口は東麓の清水神社になるが、この社は文献では元々由良山頂にあった旨、記述されている。しかし実際は山頂ではなく、その東方の尾根上であろうと思われる。

 

登山口付近の案内板には、清水神社の駐車場が登山時の駐車場のように描かれているが、飽くまで参拝客用駐車場であるため、長時間の駐車はできない。

 

そこからは地形図(高松南部)に記載されている破線道路(墓参等以外の一般車両通行禁止)を登るが、この道路は戦前、由良山の由良石を採石するために造られた道。

 

由良石は柱状節理の雲母安山岩で、藩政時代初期に採掘が始まった。昭和41年には皇居東庭の敷石としても利用された。昭和末には由良山の埋蔵量の約90%まで採掘されていた。

 

その後、土木工事の近代化や貿易自由化、自然保護等の観点により、’00年代に入り、採掘は終了、閉山となった。それから採石のための道路と山頂に到る道が整備され、回遊ハイキングコースが完成した。

 

往路は「由良山案内図」が建つ所から前述の採石道路を登るのが一般的。

連続するヘアピンカーブを過ぎるとほどなく、右手奥に一つ目の採石場跡が現れる。見上げるほどの柱状節理は迫力があるが、元々その前の地面は池状になっていたため、近づき過ぎると足首まで地面にズボッと入ってしまう。

 

そこから1分足らずの場所に、一番景観のいい採石場跡が現れる。こちらは「睡蓮の池」と名付けられた池に水が湛えられており、採石場の規模も大きい。

 

そこから2分足らずで一基目の横穴壕が現れる。全長は10mほどで、奥は左に少しカーブした地点で終わっている。

このすぐ先にも同様の規模の横穴壕が現れる。こちらは奥、右に少しカーブして終わっている。まるでさきほどの壕と地下で繋げてU字隧道とする予定だったかのよう。

 

道路の向きが西から北、そして東に変わると、入口に石仏が置かれた三基目の壕に達するが、これは3mほどで終わっているため、掘削途中で終戦を迎えたことが分かる。

 

このやや先に現れるのが最大規模の地下壕でU字隧道になっている通信所壕(上の地図)。ここは入口に石柱が建てられている。当然、入口から出口まで通り抜けるのなら懐中電灯がいる。

 

入口から10m位進んだ所で隧道は左に曲がり、右手に二つ連続する広間が現れる。一つ目は狭く、二つ目が広いので、後者に通信機が設置されていたものと思われる。

 

その一角に円形に積まれた石積みがあるが、これが蛸壺壕的防衛陣地ではないかと思われる。

中を見ると何かを燃やした跡があり、外側には鍋が放置されているが、これは戦後、恐らく昭和後期以降のものなので、本来の用途とは違う。

 

出口から道路に出て、先を進むと由良山頂へと登る登山道が現れるが、それを見送って道路を更に進むとまた左手に不動明王の石仏が現れる。これは大雨時、落石により死亡した採石作業員を供養するためのもので、死亡した者の親族が今でも供え物を供えている。

 

道路の終点が最も大規模な採石場跡で、小屋跡の土台も残る。斜面だけでなく、地下も採掘しており、そこが深い池となっている。

そこからは少し引き返し、山頂へと登る。

 

山頂は城跡だけに真っ平で、隅に龍王神社と石鎚神社の祠がある。三角点も山上の端の方にある。

展望は’00年代まで180度に開けていたはずだが、現在は茅が少し伸びているため、若干背伸びして展望を楽しむ。

 

展望は浄願寺山から鬼ヶ島、豊島、屋島、小豆島、五剣山、前田山とグルリと見渡すことができる。高松市街地のランドマーク、サンポートもはっきり分かる。

 

復路は東の尾根を下りるが、山頂のすぐ先は下が採石で切れ落ちているため、背が低い者でも抜群の眺望が得られる。

中腹で横道を横断するが、この横道沿いにも複数の採石場跡がある。

 

そこから下方にはミニ四国霊場や親鸞聖人二十四輩ミニ霊場の石仏、約130基が次々と現れる。

下り切った所は清水神社境内。境内には景行天皇の皇子・神櫛王が奉納した甕を埋めた甕塚がある。神櫛王の兄には有名な日本武尊がいるから四国屈指の古い時代のもの。

 

因みに景行天皇が紀元前13年から紀元130年の人物(享年143)で、その第四皇子である成務天皇は西暦84年から190(享年107)の人。つまり、神櫛王は卑弥呼より古い時代の人物。

 

承和8(841)の干ばつ時、空海の弟・真雅がこの甕を使用して祈雨(雨乞い祈祷)を行って以降、これを定式として請雨祈祷が行われるようになった。

平成24年の神事の際、塚を掘り起こすと竪穴の石室の中から、7世紀の須恵器と共に甕が出土したという(下の地図)。

 

現代から近代、中世、古代の各史跡を巡ることができるこのハイキングコースと絶景を是非堪能あれ。

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天空の水仙「日本水仙花開道」(伊予市)

[下灘三大インスタ映えスポット]

各種映画やドラマ、CMのロケ地、アニメの聖地として名高い海岸沿いの駅・JR予讃線下灘駅からほど近い所に近年、話題になっている水仙畑がある。一般には「下灘の水仙畑」と呼ばれるが、「日本水仙花開道」にも指定され、観光客にアピールされている。

 

それは愛媛県伊予市双海町串の豊田漁港の南方斜面、30aに広がる広大な水仙畑。標高は数十メートルから七、八十メートル位ではないかと思うが、伊予灘に面して瀬戸内海の展望が広がっていることから高度感があるため、「天空の水仙」と呼んでもいいほど。

 

見頃期間は例年、12月半ば頃から翌年1月いっぱいとされる。但し、先々週の127日頃行った際はまだ見頃のピークと思えるほど咲いていたため、今週末の三連休時でも絶景は味わえるだろう。

 

位置的には下灘駅と串駅との中間位故、下灘駅から徒歩で向かう観光客もいる。最寄りのバス停は「上浜」。上浜海水浴場があった頃は夏、賑わったバス停である。

 

車の場合は、12月から1月までの間、前述バス停北の下灘運動公園の駐車場が臨時駐車場に指定されている。2月時に駐車しても問題ないと思うが、気になる方はグランド北の広場に駐車すると良い。

 

水仙畑へはそのバス停西の信号交差点を南に折れる。下灘駅から歩く場合は、線路沿いの旧道をひたすら西進すれば、上り口が現れる。

 

信号交差点を南に折れた場合は、すぐ西側に高さ6.4mの「下浜の五重塔」が現れる。享保の大飢饉で餓死した者を供養するため、享保17(1732)、串村の庄屋が浄財を募って建立した石塔である。

 

豊田川に突き当たると西に折れる。この道が昔からの街道のようである。

右手に12軒ほど過ぎると左手に水仙畑の手書き指導プレートが現れる。後は手書き道標に従うのみ。

 

遮断機のない勝手踏切を渡り、コンクリート歩道を登って行くとすぐ水仙畑が広がってくる。振向けば遮る物が何もない海の展望が広がっている。

 

畑には回遊コースがあるが、往路は他の道には気づかないと思うので、道なりに上れば良い。

若干平地になっている所に小屋がある。このやや上にハート型の水仙群があるはずだが、形が崩れており、ハートには見えない。そこからは上も下も視界いっぱいに水仙が広がっており、爽快。

 

水仙畑の天辺から奥に踏み跡を進んだ所には紅色の梅が何本かあったが、まだ咲き始め。今週末にはある程度咲いていることだろう。

 

ところで見出しには「下灘三大インスタ映えスポット」と記したが、ここ以外では前述の下灘駅、そしてもう一つは前述の海水浴場跡である青石海岸にある。「千と千尋の神隠し」に出てくる海上を走る電車の「海の中の線路」として、SNSで人気を博している若松造船所の船出のためのレールである。

 

ここへは水仙畑を堪能後、上り口前の道路をそのまま東進する。下灘駅の道路標識が建つX字路まで来ると、その西角に青石海岸に降りる階段がある。

レールの沖には防波堤代わりのテトラポット群があるが、これが遠目に見ると、「千と千尋の神隠し」に出てくる海中駅のホームに見える。

 

三大スポットを探訪後、時間があれば車で国道を西に進まれたい。串の富貴地区にゼロ戦やドイツ、アメリカ軍の航空機、アダムスキー型UFO等の手作り模型を展示した一角が現れる。宇宙人やマリオネットムービーの主人公らしき人形も見られる。

 

ネット地図には「模型飛行機道路公園」と表示されているが、その名称は探訪者が勝手に名付けたもので、実際は公園など存在しない。

 

また、逆方向の上灘地区の道の駅ふたみがあるシーサイド公園からは、以前「天空の鳥居・愛媛県版」として紹介した峨々たる本尊山に建つ鳥居を遠望することができる。

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高岩ミニエンジェルロードとミニ海食洞門(伊方町)

[美しきエメラルドと通り抜けられる洞門]

愛媛県伊方町小島の住吉神社沖合20mほどの所には、高さ10mほどの岩が二つ並んだ「小島の高岩」があり、景勝を成している。「小島」という地区名もこの高岩に由来しているので、本来なら「小島の小島」となる。

 

自治体発行の観光マップ等には高岩は陸続きである旨の記述があり、グーグルマップでも陸続きになっているが、満潮寄りの時間帯は高岩周辺の浜は海没する。ネットでは干潮時のみ陸続きになるとの記述も見受けられる。つまり、この高岩は干潮寄りの時間帯はミニエンジェルロード(海底出現道)となるのである。

 

高岩は二つの岩と言うより、一つの岩が二つに割れたような景観で、東側の岩に生えている木(松だったか?)の根が、西側の岩の方に伸びている。まるで西側の岩を引き寄せるかのように。「夫婦岩」と呼称した方がしっくりくるように思うが。

 

当方が訪れたのは15時台後半で、高岩周辺は陰になっていたが、それでも周辺の浜の海はエメラルドグリーンで美しかった。西側の浜は狭いものの、白砂が海底まで続いており、海水浴場となっても可笑しくないほどきれい。

 

その浜は満潮時でも山際を歩くことができると思うが(未確認)、すぐ南西には上から斜め下方に長方形の岩が浜に下りている。下部の凹み部にはゴミが打ち寄せられて溜まっているが、よく見るとゴミの上部に隙間が見える(下の写真)。これは海食洞なのである。

 

更に進むと海岸線に並行して山際にやや半円形型台形の岩があり、西側が海食洞門になっている。大きさや景観的には、以前紹介した土佐清水市の尻貝の浜の海食洞門のよう。

 

こちらも尻貝洞門同様、しゃがんで通り抜けることができる。通り抜けると山際の岩盤に突き当たるため、すぐ反転して浜に出ることになる。

 

西側の岸はほどなく行き止まりになるが、その先の磯の上には、肉眼で見ると白っぽく見える立岩がある。

 

この地を探訪する際、住吉神社へ到る道が車道だと思って神社まで車で行ってしまったが、境内入口に鳥居が建っており、その下は軽四がぎりぎり通れるほどで、一見すると歩道にも見える。

 

帰りに鳥居が斜めに建っていることが分かったが、感覚的にそのまま進んでしまい、後ろのバンパーの角を擦ってしまった。車は「西小島漁港」の岸壁の適当な所に駐車すべきだった。

 

この後は前回触れたように、権現山へと移動したが、山の西方には風車群の建ち並ぶ「せと風の丘パーク」もある。但しここも11年前に探訪済で且つ、夕方になったのでスルーした。

 

本来、この日の探訪の目玉は近年、SNSで話題の伊予市のスポットだったが、時間切れになったのでまたの機会にしたい。

 

更に伊方町近隣の市町村の二ヶ所に最近、別のエンジェルロードも見つけたので、休日の日中に干潮時刻が重なる日にまた探訪したい。

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巨大トーチカの如き海食洞門・梶谷洞門(伊方町梶谷鼻)

【愛媛県屈指の海食洞門と岩塔】

愛媛県内で有名な海食洞門と言えば、松山市北条鹿島の石門が挙げられるが、去年夏の西日本豪雨で崩壊してしまった。しかしそれとは比べ物にならない位の巨大海食洞門が伊方町にある。それが日本に数ヶ所しかないという、海岸に石灰岩が露出している梶谷鼻にある梶谷洞門(仮称)である。

 

この洞門は陸から若干沖にある岩の島を覆う形で存在しているが、その特徴は片側(海側)が旧日本陸軍のトーチカに似ている点。銃眼部に当たる所に洞門が開いているのである。

 

このように四角く穴が開くのは、地質が剥離性のある片状石灰岩のため。つまり、海食だけで穴が貫通したのではなく、ある程度海食された後、岩が剥離して穴が貫通したもの。風食作用があったことも想像できる。

 

もう一つの特徴は、洞門の海側と陸側では穴周囲の外観が全く異なっている点。陸側は普通の海食作用による洞門のような景観。但し、これは飽くまで離れた所(岬の尾根)からの見た目であり、双眼鏡等で拡大して見ると縞状節理が横に走っているのが分かる。

 

その陸地と洞門の岩島との間はV字の水路のようになっており、Vの下部の海面はエメラルドグリーンとなっていて美しい。海底の白砂が影響しているものと思われるが、残念ながらV字下部の浜へは一定の長さのザイルがないと下りられない。

 

梶谷鼻の突端付近には高さ20m近くありそうな岩塔がそそり立っており、洞門と併せて奇勝を形成している。

太公望が訪れそうな場所だが、先日は一人もいなかった。干潮時以外は何割かが海没するためかも知れない。

 

訪れたのは大潮の干潮時。この時を選んだのには理由がある。梶谷洞門のベストショットを狙うには、岩島向かいの傾斜のある磯の海面近くに立つ必要があるからである。大潮の干潮時以外であれば、洞門岩の左側が視界から切れてしまうため、全景を捉えることができない。

 

岩塔横の磯から洞門を撮ることもできるが、その角度だと洞門の中に空が映らない。映るのは遠方の山の斜面であり、その暗さから洞門が開いていることが写真からは分かり難い。それに全景を捉えることもできない。故に大潮の干潮時でないとだめなのである。

 

梶谷鼻は自治体が発行したマップにも記載されてはいる(洞門の記述も)ものの、岬名が記された道標は一ヶ所しかない。アプローチはまず、佐田岬半島の名取の名取口バス停があるY字路を右折する。そして名取トンネル南の「三崎ドライブイン」跡の三差路を左折。ほどなく現れるY字路は「上り」の道路に右折。すぐまた現れるY字路も道なりに右(「真っ直ぐ」と言うべきか)

 

X字路に下りると前方左の道へ。ほどなく現れる左急カーブの三差路は右折。この道路が最も南に振った所の右カーブ部路肩に駐車する。但し、「作業場」とスプレー書きしている所は避けるように。

 

そこから岬に向けてコンクリート車道(私道)が下りている。この終点まで行くとみかんの収穫ケースが積まれた所の左から下る踏み跡を辿る。ウバメガシの中、一本道が続く。

 

洞門の陸側が見える地点まで来ると、路面がザレて滑り易くなるので要注意。

左手の岩を抜けた地点で一見、踏み跡が消えたように思えるかも知れないが、更に薄い踏み跡が左手のザレ場斜面を下っている。

 

岬尾根の踏み跡は石積み台座の祠跡のような所まで続いているが、その細長くなった尾根の起点部から左下のザレ場を下れば、撮影スポットへの近道になる。しかしできればまず岩塔を探訪して、磯伝いに歩いてスポットに行った方が安全。

 

洞門岩島側面の向かいまで来ると、下は切り立っており、足がすくむ。しかし南の海側は岩が平たくなっているから安心。それでも撮影時は足場をよく見て撮るように。特に風が強い日は要注意。

 

この後移動し、超ミニエンジェルロードを探訪後、陸地にある小さな海食洞門を発見した。以前紹介した今治市と西条市との境界、大崎ヶ鼻にある洞門より小さいが、しゃがんで潜り抜けることができる。

 

その後は11年ぶりに権現山へと移動して展望台(添付写真)や山頂から写真を撮った。

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