天王山ストーンサークル(天王山古代信仰遺跡) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

<ストーンサークルの中心にメンヒルが>

岡山県吉備中央町湯山にある標高430mの天王山山頂に先史の「天王山古代信仰遺跡」と呼ばれる祭祀遺跡がある。直径24mのストーンサークル(環状列石)の中心に6個の大石の組み石からなる磐座があり、更にその中心部には高さ1.5mの尖頭状メンヒルが据えられる、という特殊な形状。

 

湯山のストーンサークルというと、字面から日本で一番有名なストーンサークル、秋田県の大湯ストーンサークルを思い浮かべる方も多いと思うが、その遺跡もストーンサークルの中心部にはメンヒルが立てられている。

大湯ストーンサークルは自治体の公式サイトでは、築造時期を縄文時代後期としているが、平成5年、同県の黒又山をレーダー調査して、山全体を加工したピラミッドであることを証明した調査団が地中レーダー調査したところ、サークル周辺の地下には地層が存在せず、築造年代の特定は不可という結果を公表している。

つまり、人工の盛土の上にサークルを設置し、その後、自然災害等で周囲に土砂が堆積し、平地化された、ということ。

 

 

天王山ストーンサークルについても文献によっては、弥生時代のもの等と記述しているものがあるが、全国の縄文や弥生時代の正式な遺跡の中で、ストーンサークルを擁するものは殆どないように思う(探せばあるかも知れないが)。

ストーンサークルは「日本ピラミッド」同様、2万年ほど前のものかも知れない。因みに前述のレーダー調査団は、黒又山ピラミッドの築造時期を「4,000年以上前」としている。

イベントバナー

 

ストーンサークルは主に墓地説と祭祀遺跡説に大別されるが、天王山ストーンサークル内には木山大権現と増長天王(増長天)を祭る祠があり、更に盗掘跡を残す竪穴石室墳もある。山名は増長天王を由来とする。増長天王の石造祠の北側にある羨道口のようなものが盗掘跡ではないかと思う。

天王山登山口周辺には案内板と小さな道標が建てられているのだが、奥に進むと何もなく、登山コースも何割かは荒れている。それでも地形を把握すれば、難なく登頂できる。登山口と山頂との高度差も僅か30m。

 

登山口に到る車道は非常に狭く、対向車が来ると進退窮まることもあるが、その道路を利用する住民は数える位。当方は昨日紹介した新見市の済渡寺から向かったため、県道31号から南の県道57号に折れ、すぐ二又に分かれ、南西に進む国道484号を行った。

国道を1.4kmほど進むと、右手上に「清水寺」(せいすいじ)の道標が現れたので、これに従った。その道は最初、歩道かと思ったほど。

 

 

 

 

 

地図では途中、分岐があるが、道標はあったと思う。道なりに進むと茶色い「天王山古代信仰遺跡」の案内板が現れる。車はその向かいの清水寺下の広場へ。トイレもある。因みに清水寺境内には鎌倉時代後期頃建立の平清盛供養塔がある。

案内板沿いを通るコンクリート歩道は奥の石垣のある民家の私道だが、民家の手前は野良道が合流するY字路となっており、文字が消えかけた小さな天王山の道標が設置されている(下の航空写真)。

 

民家の石垣沿いを進むが、この石垣は昔の僧房跡に繋がっていた。この民家も清水寺関係の仏堂跡なのかも知れない。しかしその僧房跡の石垣を過ぎると、踏み跡は怪しくなる。

そのうち、コースが分からなくなったが、前方に449.3m峰と天王山を繋ぐ尾根が見えているため、植林内を適当に登る。449.3m峰と天王山の鞍部に切れ込む谷状地形を西に登る訳である。

 

その内、明瞭な踏み跡に出て、これは前述の鞍部へ上っていた。そこから天王山まではきれいな尾根道が続いている。植林帯の際になっていたと思う。数分もかからず、磐座と祠が現れる。

山頂部(上図)の東の際にストーンサークルの端が接しているので、昔は展望が良かったことが想像される。祠と盗掘跡も東側にある。

東側から見ると、磐座の奥まった所にメンヒルが立っているように見えるが、南側に回ってみると、磐座の下の石が、神戸の六甲山系にある「おしり岩」のような丸味を帯びており、おしりの割れ目にメンヒルが立っている。

 

このメンヒル、東側から見ると尖った円錐形のようだったが、角度を変えて見ると長方形になっている。

西側は藪っぽいが、ストーンサークルは一応、ある程度確認できる。特に長い石の辺りは環状になっているのがよく分かる。

列石は南側の一部、欠損している箇所もあるが、資料を見る限りでは、全部で40数個ある。吉備中央町教育委員会では、これを磐境としている。

祠の下辺りに帰路の道標があったので、下って行ったが、三差路に出た所に道標はなかったため、左折すると道はなくなった。しかし視界の中の谷状地形を下ればいいので、適当に下って僧房跡の南方に出た。

今後は2001年後半、探査する予定だった四国のストーンサークルを追ってみようと思うが、岡山の三ヶ所目のエンジェルロード探訪時は、また岡山県内のストーンサークルや戦争遺跡を訪ねるかも知れない。

今後も四国と周辺県の超古代遺跡を探索して欲しい、という方は下のバナーを是非。


人気ブログランキング