佐田岬半島の陸軍豊予要塞(1)第二砲台砲側庫と隧道 | 自然、戦跡、ときどき龍馬
2018-08-10 01:12:57

佐田岬半島の陸軍豊予要塞(1)第二砲台砲側庫と隧道

テーマ:大日本帝国の秘密基地

[迷彩色が残る地下施設]

豊後水道の海防のため、陸軍は大分県東部と愛媛県伊方町の佐田岬半島周辺に大正後期から昭和初期にかけて豊予要塞を築造した。

 

過去何度か解説したが、狭義の「要塞」とは、陸軍の当該要塞法(「豊予要塞法」や「芸予要塞法」等)で規定された、砲台を中心にした海防陣地である。故に海軍に要塞は存在しない。この要塞法が施行されて初めて、土地の買収・接収が可能になる。

 

四国本土で唯一の要塞が佐田岬半島の豊予要塞で、先端の岬に第一砲台施設、正野谷周辺に第二砲台施設がある。第一砲台は大正139月に着工し、1511月に竣工した。第二砲台は第一砲台の竣工と同時に着工され、昭和210月に完成した。

 

が、その後の世界軍縮会議で昭和9年、第二砲台の30センチ榴弾砲4門(上の所蔵古写真は28センチ砲)は撤去されてしまう。第一砲台の15センチ・カノン砲4門は日本が本土防衛に本格的になった昭和198月撤去されたが、翌年春、新たに岬とそのすぐ先にある御籠島(みかごじま)に洞窟式砲台を築造し、12センチ榴弾砲を2門ずつ配備した。映画「硫黄島からの手紙」等でお馴染みの横穴壕に大砲を格納するタイプの砲台である。

 

陸路からこの二ヶ所の豊予要塞の砲台を探訪する場合は第二砲台(上の地図)からになるが、第二砲台は第一砲台より規模が大きい。30センチ榴弾砲は口径30.5cm、全長5m、砲身の重量は14トンに及び、400kgの砲弾を11,750m先まで飛ばすことができた。これは当時の最新鋭の最大口径火砲で、大正7年に大阪砲兵工廠で製造されたもの。

 

第二砲台への入口には近年、旧正野谷桟橋(上の写真)の案内板が設置されたから分かり易い。佐田岬への県道沿いである。その桟橋は第二砲台の建設資材の陸揚げ時や大砲撤去の際、使用された。コンクリート舗装の小径の終点がその桟橋故、バイクなら通行可。

 

しかし砲台の主要施設へは二軒目の民家の庭のような箇所で正野谷を渡り、山際を北西に進んで行く。下草が茂っているため、バイクは不可。

ほどなく、まるで昭和期の遊園地を彷彿させるような、鮮やかな迷彩色のコンクリート壁が現れ、隧道(上の写真)が開いている。

 

隧道内壁には二基の砲側庫壕が掘られている。各高さ3m、幅4m、奥行7mの規模だが、中は空っぽ。

隧道を抜けた先に砲座が現れるが、池のようになっている。戦後、溜池として利用されていたからである。10年前、訪れた時はかなり荒れていたが、もしかすると旧正野谷桟橋の案内板設置時、ある程度整備された可能性がある。

 

次回、第二砲台施設中、最も見応えのある施設を紹介する。

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