陸軍六ヶ峯山砲壕と丸亀藩斥候所(三豊市) | 自然、戦跡、ときどき龍馬
2018-06-11 01:48:14

陸軍六ヶ峯山砲壕と丸亀藩斥候所(三豊市)

テーマ:大日本帝国の秘密基地

[対空監視哨跡と八丁山台場の斥候]

以前、香川県三豊市詫間町の荘内半島の浦島太郎伝説記事に於いて、太郎が亀の分骨埋葬所(浦島神社こと大空龍王宮)前で竜宮踊りを村の子供たちに教えていたことを説明したが、その側の太郎も越えた箱峠は八丁山(207m)と六ヶ峯(146.2m)の登山口でもある。

 

八丁山は半島最高峰の紫雲出山登山道(四国のみち)の中腹にあり、中世、海崎備前守元村が海崎城(新田城)を築いていた。ここに幕末、丸亀藩が「箱三崎(海崎)台場」(八丁山砲台)を築造したとされる。

 

但し、城跡の堀切や郭、井戸等は確認されているものの、台場の痕跡は判然としないという。それもそのはずで、標高207mというとあまりにも高所過ぎて、幕末の大砲では海まで届くか否か疑問。

現在、山上はヤブの密林でヤブ漕ぎ装備なしでの探訪は困難。ただ、前述の井戸の中には金の杯があると言われており、それを持ち出すと激しい腹痛に見舞われるという。

 

一方、箱峠を挟んで相対する尾根の六ヶ峯には、享保5(1720)の藩主の巡視時、台場の斥候所が置かれたという。しかし享保年間に台場関連施設が設置されるのはあまりにも時期が早いため、参考文献(旧詫間町の公的機関の冊子)自体の誤記かも知れない。

 

その文献には太平洋戦争中、斥候所跡に防空監視哨があった旨の記述があるが、地元の聞き取りでは、生里集落側の山に山砲を据えていたという。生里で一番高い山は八丁山だが、六ヶ峯の方が集落に近い。戦前は展望も優れていた。そこで高知市の陸軍鷲尾山砲台のように、六ヶ峯は対空監視哨と山砲がセットになっているのではないかと睨んだ。

 

六ヶ峯の南の尾根には、箱集落から四国のみちが上がってきて横断しているが、車の場合は八丁山登山時同様、箱峠の紫雲出山登山口前広場に駐車する。尚、この広場は元々展望所だったのだが、現在はヤブで何も見えない。

 

峠の南から林道が北西に上がっているのでこれに入る。すぐ分岐があるが、車止めチェーンの張られた道を行く。

四国のみちの横断分岐を過ぎると左手に電波塔群が現れるが、一番奥の塔辺りに井戸と方形竪穴壕が並んでいる。陸軍の発電施設壕と冷却用井戸だろうか。

 

塔群を過ぎると道が狭くなり、荒れ気味になるが、尾根の西下にヤブ化した往還のようなものが見える。これは斥候所設置の際、整備された登山道かも知れない。

 

やがて踏み跡は不明瞭になり、所々ヤブも現れるが、赤テープも設置されている。三角点踏破マニアだろうか。

地形図(六島)の破線は尾根の勾配がきつくなると尾根を南西に逸れて行くが、そのまま尾根を上がる。

 

山頂の手前には尾根を塹壕が横切り(上の写真)、一部が崩れた低い石垣がある。現在は土砂の堆積で、山頂の北と南に湾曲した石垣が見える程度だが、この石垣は本来、円形に築かれているという。

山頂には三角点とヤブがあるのみで、対空監視哨跡の痕跡は見当たらない。

 

が、先程の塹壕を北東に下ってみると、そこには直径数メートルの竪穴壕(上の写真)があった。この形状と規模から言えば、これが山砲壕だろう。塹壕は監視哨と繋がっていることから、監視哨は山砲の観測所の役目も果たしていたことが分かる。

山砲壕上の斥候所の石垣が崩れているのは、この壕を掘った際の地盤沈下によるものか、或いは昭和21年の南海地震によるものだろう。

 

下山後、父母ヶ浜に寄るはずだったが、太陽がウロコ雲に隠れていたことから、それを取りやめ、以前解説した、浦島太郎のある伝承地に再び行ったのだが、そこには前回探訪時には気づかなかった奇勝群があった。それは後日投稿したい。

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