空海の巨大磨崖仏から鉱山跡と展望城跡を大回遊 | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[岩窟の磨崖仏群や火口跡の池も]

香川県さぬき市の津田湾南に火山(259.8m)から雨滝山(あめたきさん・253.2m)に連なる山塊がある。両山共、中腹まで車道が通じているものの、そんな単純な車での移動コースでは火口跡の神秘的なパノラマを誇る池や廃墟の鉱山施設等を巡ることができない。そこで自治体が整備した道に廃れた道や鉄塔巡視路を加え、山道と車道歩きを何度も繰り返す二山を最も楽しむための回遊ルートを設定した。

 

起点は自治体が整備している「火山展望遊歩道」登山口。これは登山口の東方にある花生山蓮花院西教寺から奥の院である「穴薬師」に到る道程に整備されている西国三十三ヶ所観音霊場のミニ霊場参拝道の登山口でもある。

 

奥の院までは車道化されているが、登山口から僅か10分少々で穴薬師に達する。手前には弘法大師が一夜で彫った言われる巨大な数メートルに及ぶ磨崖仏がある。奥の院内の本尊が薬師如来の磨崖仏であることから、この磨崖仏も薬師如来ではないかと言われているが、デザインが同じく弘法大師が彫った高松市の五剣山中腹の大日如来磨崖仏に似ていることから、ここの磨崖仏も大日如来である可能性がある。しかし風化が著しいため、確かめようがない。

 

その奥の院の扉を開けると異様な光景が広がっている。以前紹介した、大泉洋が怪奇体験をした四国霊場71番札所・弥谷寺の獅子の岩屋のように、岩窟を覆う形で堂宇が建立されているのである。しかもその岩窟内は一部が鍾乳洞の石柱のようになっており、その石柱を始め、各所に薬師如来や不動明王、十二神将等が浮き彫りされている。

大師が彫った磨崖仏の上部の巨岩にも役小角等の磨崖仏が彫られているが、それや穴薬師内磨崖仏群は鎌倉時代の作だと言われている。

 

展望遊歩道は奥の院西から火山と雨滝山を結ぶ稜線に上がった後、火山分岐を過ぎ、稜線の東の突端へ出て終わっている。そこにあるのが火口跡だと言われる鬢盥(びんだらえ) という池である。広さは16m×10m程度で子供でも入水できそうな位、浅い。この北西のヤブの中にも池跡がある。

 

「鬢盥」の由来は天正11(1583)、長宗我部元親軍が雨滝城に侵攻して城主を降伏させた後、兵士がこの池で洗髪したという伝説によるもの。ここは展望所としてベンチも設置されており、眼下には鵜部鼻や陸繋島である弁天島、東かがわ市沖の島群、津田湾から瀬戸内海まで見渡すことができる(下の写真)。

 

鬢盥からは火山分岐まで引き返し、火山に登頂するが、こちらはマイナー峰だけあり、展望はない(下の写真)。

火山からは更にマイナーなルートを辿る。西に急角度で落ち込む尾根を下り、中腹で南東の斜面に折れる踏み跡を進み、東讃採石場跡のズリで踏み跡が途絶えると、ズリ沿いの涸れ沢のような廃道化した道跡を下る。この道跡は鉱山の貯鉱庫に出る。

 

貯鉱庫(下の写真)の先はヤブ化しているが、すぐ鉱山内車道に出て、これを下り、柴谷トンネル上へと向かう旧道に出る。

トンネル西方の柴谷峠手前で一旦鉄塔巡視路に折れた後、すぐ尾根直下を走る雨滝山登山道へと上がり、雨滝山へ登頂する。

 

雨滝山は中世の雨滝城跡であり、山頂部(下の写真)は広大で鬢盥に勝るとも劣らない展望が広がっている。ここからは雨滝森林浴公園に含まれている西の尾根道を下って遊歩道に指定されている道路に出て、これを柴谷トンネル南東の道路の急カーブ部まで下り、そこからまた少々起伏のある鉄塔巡視路を南下し、登山口の800mほど手前の道路に出る。

火山と雨滝山を巡るのに、このコース以上に優れたルートは存在しないだろう。コースガイドとコースマップは→磨崖仏群から火口跡池と鉱山跡とパノラマ城跡を回遊

 

PS:今年の正月旅行はこの10年間で最も優れたものだった。今回の山行は元旦に行い、前回投稿した四国新幹線未成線跡は12日に巡った。他の日は香川県本土側のエンジェルロード(海底出現道)や浦島太郎伝説地、離島の山等を探訪した。それらは今後、投稿して行きたい。

 

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