≪県屈指の危険な廃線跡≫
高知県香美市物部町大栃を基点とした大栃林用軌道は昭和9年、大栃-別府間に軌道を敷設したことに始まり、以後、昭和中期にかけて別府から南の杉熊川沿い、及び別府より北の別府峡・物部川沿いへと軌道を延伸させ、両河川から東の支流沿いにも支線の軌道
を敷設した。
この内、現在の国道195号沿いを走っていた本線その他主要路線については、魚梁瀬森林鉄道のように、「命の保証はしない」という条件で一般客も乗車させていた。廃線になったのは昭和30年代後期で、線路は昭和39年までに撤去されている。
この廃線跡についてはまだこの軌道の資料収集を行っていなかった’90年代末、たまたま竜頭(森林管理署作成の登山略図での表記
は「竜頭山」。当時はまだ作図されてなかった)の登山口を探っていた時、別府峡沿いに二本の隧道と路盤を発見していた。それが後に別府線の廃線跡であることが分かった。
森林管理署の資料を見ると、別府線の大半は現在の林道・西熊別府線と重なる。別府峡の門谷峡(最も川幅が狭く、両岸の岩 盤が石門のようになっている箇所)の南にある素掘
り隧道は、軌道の隧道を拡幅したものであろうと思われる。
現在の林道は別府峡の右岸(西岸)を走っているのだが、軌道は途中で左岸(東岸)に渡り、再び右岸に戻る。口西橋の北方から口東谷の南に架かる橋までの区間である。この区間は国有林施業図を見ると、廃線後、6割程度が一旦車道化されていたようである。と、言ってもレールを外した後、路面を均し
た程度のもの。
昨日、別府峡の紅葉狩りに行ったついでにこの区間を十数年ぶりに歩いたのだが、廃線跡は一変していた。以前は2本目の隧道まで難なく歩くことができたのだが、最初の隧道から先、至る所で路盤が崩落していたのである。別府峡は高知県屈指の断崖絶壁が続く深い谷故、路盤が消失した後に残るのは崖のみ。つまり、
鉄橋が撤去された後の深い谷と同じである。恐らく、中東山登山口に到る大栃林道63線と同じく、’04年の台風で崩壊したものと思われる。
しかしそんな理由で、途中で廃線跡探訪を中止することはできない。そこで崩落個所は、下りられそうな箇所を探し、木の枝や岩盤の出っ張り部等を掴みながら、崖を一旦下り、急傾斜の斜面をトラバースした後、再び四つん這いになって崖を這い上がる、
ということを繰り返したのである。ホールド(手掛かり部)やスタンス(足場)を少しでも誤れば、別府峡に転落してしまうので、緊張の連続。故に一般の鉄道廃線ファンや廃道・隧道マニアの方は、間違っても一本目の隧道から先へは進まないで戴きたい。
コウモリがぶら下がっている2本目の隧 道の少々先には、対岸から渡された簡易索道があるのだが、その先の崩落箇所を見た時、「これは無理だ」と思った。時刻も16時を回っており、これ以上、時間を要す崖の上り下りを続けることはできなかった。
対岸を見ると、一ヶ所だけ、岩盤が途切れた斜面があった。川が大きく蛇行している箇所で、地形図でも等高
線が他の所と比べるとなだらか。
そこで少し引き返して崖を降り、脛位まで渓谷に浸かりながら、対 岸へと渡渉した。渡ると尾根直下に踏み跡がついており、難なく林道に上がることができた。
別府線がこれほど崩壊しているということは、他の路線で急傾斜の所は皆、同じだろう。
別府線は地域の人々の記憶にのみ、姿を留める森林軌道路線と言えるだろう。
[車でのアプローチ]
別府峡もみじ茶屋~芝生広場~政谷橋~素
掘り隧道~門谷峡~竜頭山登山口道標を過ぎて現れるのが口西橋。車はその北の路肩へ駐車する。林道を少し上がった所の右手下に吊橋が架かっているのでそれを渡る。大勢で渡ると崩落する危険もある。
渡った対岸が廃線跡で、ルートは南西に向かうが、最初の隧道を抜けると方向感覚が狂い、眼下の物部川の流れが逆になる。知らない間にルートが反転していたのである。吊橋から最初の隧道までは十数分程か。
