龍馬脱藩道沿いの鉄道廃線跡(1)国鉄バラスト採取線 | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

明治から昭和に敷設された鉄道の多くは、藩政期の主要道沿いを走っていますが高知・愛媛・山口の坂本龍馬の脱藩道沿いにもいくつかの現行鉄道と鉄道廃線跡があります。


自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-砂利積込場近くの鉄道廃線跡 この前、季刊雑誌「RYOMA」の編集長のブログでは、坂本龍馬ゆかりの地を走る路面電車が紹介されてましたが、「歩き」に拘る私は、脱藩道沿いの鉄道廃線跡にスポットを当てます。


龍馬の生家跡からいの町の中心街までは、土佐電鉄伊野線(路面電車)の現行路線脱藩道ルートに沿って走っていますが、高知市といの町境界の咥内坂付近は、昭和30年代前半まで、電車のルートは今とは若干異なっていました。


咥内坂付近は以前、北と南の尾根がくっついており、電車は北から南へと、トンネルを抜け、急カーブを描き、進路を西向きに戻していたのです。

そこの辺りの廃線跡は殆ど残っていないので先に進みます。


次はいの町波川(はかわ)の仁淀川橋を西に渡った地点。真・脱藩道は以前解説したように、橋の袂を北に折れていきますか゛、反対の南に折れた所にある「波川公園にこにこ館」の南百数十メートルの辺りから、現在のJR土讃線波川駅までの間に、昭和20年代後半から30年代後半、国鉄の線路下に敷くバラストを運ぶ専用貨物線軌道が走っていました。


自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-カーブを描く鉄道廃線跡 現在、線路のバラストには石灰石等が使用されていますが、昔は川の砂利を使用していたのです。しかし丸みを帯びた川砂利では荷重による線路の沈みこみが早く起こるため、不経済で、且つ、採取している仁淀川の環境への影響も考慮されることになり、仁淀川での採取は中止され、軌道も廃線。以後、バラストは高知市春野町の柏尾山で採れる石灰石を使用することになり、ダンプ運搬になったのです。


前述のにこにこ館の南方がバラスト線の起点で、砂利の積込場跡ですが、横の堤防が昭和62年に改修され、廃線軌道跡の半分の幅にまで侵食しています。


その堤防に沿う狭い車道が侵食された軌道跡で、緩やかにカーブを描きながら集落内へ突入。その後県道39号を横断しますが、当然ここには踏切がありました。


ここからJR波川駅までは未舗装の野良道のまま廃線跡が残り(二枚目画像)、風情がありますが、数分を経ることなく、波川駅前の現行線路に吸収されてしまいます(三枚目画像)。波川駅が設置されたのは廃線後の昭和39年。


砂利積込場跡から波川駅まで歩いても10分程度ですから、龍馬の脱藩道探訪がてら、歩いてみては如何でしょうか。詳細は拙著「四国の鉄道廃線ハイキング」を。


自然、戦跡、ときどき龍馬~春野公麻呂のブログ~-現行線路との分岐地点

[ps]

昨日、高知の演歌歌手、大輝さん(三十数年前、別の芸名で全国デビューしていた)のリサイタルを観に行っていましたが、元知事の橋本大二郎さんも歌を五曲歌われました。大二郎さんは今、東京の方の大学で客員教授をされていますが、なんと大輝さんと同じ高知市春野町の音楽事務所からCDを出していたのです。


元アナウンサーだけあって、歌唱力はなかなかのものでした。

大輝さんの歌は少し前まで、高知のいくつかのスーパーの鮮魚売り場で流れていました。高知市内の主婦の方なら必ず耳にしたことのある「土佐のカツオ」です。


今は新曲も出し、これからコンサートも精力的に行っていくとのこと。CDは高知市はりまや橋一丁目の小松レコードに常備していますが、そこ以外での購入先については、雅の里音楽事務所TEL090-3186-7848まで。

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