
宝くじにまつわる噂話というのが、かつてのタイにはふんだんにあって、真偽の程を問わなければ話としては楽しいものだった。‘90年代半ばに聞いた話で、いちばん最初のものは新聞にも載ったというのだが、おれはまだタイ文字が読めなかった頃のことだからソースはなく、聞いた話だ。
タイの宝くじは、いっぱんには「ล็อตเตอรี่(ロットゥリー)」と呼ばれ、これは英語のlottryとかlotteryという単語からの外来語で、歴とした「หวย(フヮイ)」というタイ語があるにも関わらず、そう呼ばれるのを滅多に聞いたことがないのは、おれが外国人だからそう言っているのか。そんなことより、初めて聞いた宝くじのニュースというのが、その抽選方法が変わったという話だった。
2桁の組番号と6桁の当籤番号を選ぶための合計8つの箱に、それぞれ0から9までの数字を記した玉が10個ずつ入れられており、外から数字が見えぬように窓もなく、手を入れる穴にも隙間が空かないように切れ目の入ったゴムのような蓋が取り付けられた仕組みになっていたにも関わらず、不正があったというのだ。
←こんな感じのゴム その方法というのが、聞けば簡単なことで、当たり番号の玉だけ、キンキンに冷やしていたというのね。なるほど。手でゴソゴソ探す時に一個だけ冷たい玉があれば、これは一発で捕まえられる。アッタマ良いじゃん、と笑ったんだが、宝くじ好きのタイ国民は憤懣やるかたなく、公営宝くじ事務局の前には抗議の人々が押し寄せ、連日大騒ぎだったという。今まで買った宝くじに何してくれてんだよ、インチキだったんだな。カネ返せ! って話で、全国の宝くじファンは怒り心頭だったのだが、宝くじが好きではないタイの大人なんてものはRHマイナスの血液型を持つ者よりも少ないだろうし、放っておいたら暴動にまで発展しそうだったから、タイ政府も対策を急いだ。
もうね。デジタルの数字がグルグル回って、ボタンをポチッと押したら番号が出るなんてシステムはインチキやり放題だから、ハイテクなのはダメで、はいてかない方向だ。ノーパン喫茶だ。いやそうじゃない。ローテクの方向だ。で、満を持して発表されたのが、「玉が冷えているかどうかわからないように、玉は汁物を注ぐ玉杓子で掬います」というものだった。
おー、いぇー。これならだいじょうぶ。とは思わない。玉杓子を差し込む隙間から見えてんじゃないかとか、箱の中身が同じ数字の玉ばかりだったらどうすんだよとか、疑いだしたらキリがない。いやだいじょうぶ。事前に箱の中身や玉杓子等々ぜーんぶチェックします、ってことで宝くじ事務局は押し通した。
いや、その立会人が怪しかったらどうすんだ。って疑念には「立会人は任意の第三者」ってことで話を通したが、そんなの、カネ握らせたら簡単に転ぶよね、おれなら間違いなく転ぶもんね、という根拠で人々は不満を持ったが、そんなことを言い出したら疑念の際限というものがない。
そうした間にも宝くじは月に2度の予定通り売り出され、なし崩し的に抽選方法は玉杓子方式が取られた。その結果、当籤番号がランダムな感じだったので、「まあいいか」っていうふうに国民の怒りも沈静化した。それまでは「999999」なんていう、あり得ないことはないが、普通に考えたら10年に一遍も出ない数字が頻繁に出ていたらしいから。
その後、数年経つと「999」なんてのが往々にして出るようになるんだが、さすがに6桁のゾロ目なんていう遠慮のない当選番号は見たことがない。
9のゾロ目が多いのは、それがタイでは縁起の良い数字だったからで、当時のプミポン国王が「ラマ9世」という呼び名もあったため、とうちの奥さんが言っていた。なるほどね。だから「9999」のナンバープレートはプレミアが付いてひどく高価だからカネモチの証だと言われていた。
香港なんかの廣東語圏ではラッキーナンバーが「8」だ。廣東語で「ぱっ」と読むんだが「發」という字と発音が同じで、「發財(ぱっちょい)」なんかに見られるように「景気良い」「儲かる」という意味があるからだという。さすが華人だ。タイ人も今でこそ漢字は使わないが、元々が中国南部に暮らしていた民が追いやられて今の場所に落ち着いた人々だから、中華文化圏の民ではある。その証拠は枚挙に遑がないんだが、そのうちのひとつに中国系のタイ人に多い習慣で火葬のときの副葬品に紙製の自動車、紙幣、家などの豪奢なアイテムの模造品を一緒に燃やして、あの世でも生活に困らないように施す、または現世では貧しかったけれども彼岸では豪華にね、と願い送り出す文化がある。写真は紙の副葬品屋で、①の写真で男が手にしているのは紙製のカメラだ。金魚がぶら下がっているのは「金魚滿堂」から。中華の壽言(ほぎごと)では「金玉滿堂」ということの方が多いが、どっちも才能・学識、財宝・財産が豊饒であるというような意味。②の写真はスマフォと紙幣。もちろん紙の模造品だ。
←① カメラと金魚
←② スマフォと紙幣 副葬品屋は火葬施設のある寺の近くで商売をしてるんだが、タイの紙幣を模した物は見たことがないし、製品に書かれた文字は中文ばかりでタイ文字がないので、中国からの輸入物ではないか。旧正月が近づくと、中華街は中国からの縁起物で溢れるんだが、あれが送料無料なのかと思うくらい安い。まあ地続きだし、人口が日本の10倍だから薄利でも良いのかもしれない。
宝くじの話だった。タイの宝くじは好きな番号が買える。「234649(兄さんヨロシク)」でも、「875656(花ゴロゴロ)」でも「747683(足長爺さん)」でも良い。最後のは無理がありすぎるが、どれも日本語の語呂合わせで買うことに意味がないとは思う。まあとにかく6桁の番号なら何であろうと、店にあれば売ってくれる。ずいぶんまえに今の券面額80バーツになったとき、定価で売らなければ罰せられた筈だったのが、今ではまた手数料が乗って100バーツになることがよくあるようだ。ノンタブリーの宝くじ事務局に行って買えば、間違いなく定価だそうだ。でも外人だとボラれたりして。流石にそんなことないか。
うちの奥さんが、日本にも宝くじがあると知って、「ねえ。買おう!」と目を輝かせて言うので、買いに行ったところ、「え。好きな番号が選べないの?」と驚愕していた。「そんなんじゃ、運だけではないですか」消沈を隠せない。どうも宝くじの当たりは運任せではなく、自らの予想で引き寄せるものだという考えのようで、「もう少し真面目に取り組んでほしい」と言う。「ニホンジンは、もうちょっと真摯だと思ってたのに」とまで言う。
たしかにタイの宝くじ屋は「何の番号が良い?」と言う。展示板にその番号がなければ、ごそごそと別の箱から「はい、これ」と束を出す。「なん枚だい?」って訊く。「あー、その番号は売れちゃったわ」ってこともあるようだ。むかし買ったとき999などは「良い番号だからね」と、他よりも高かったこともある。これは売り手の気分で決まっていたので「じゃ、要らない」と言うと、やっぱり50バーツで良いや、とかテキトーだった。券面が40バーツのときの話。
←宝くじの屋台 1等が600万バーツ(およそ2,100万円)だ。しかも組違いで同じ番号が買えるから、当たれば600万バーツ×買った枚数ということで、けっこう莫大な金額が当たる人がいて、もう新聞やテレビが黙ってない。当たった人も「報道は困ります」なんて言わずにニッコニコのダブルピースで写真に写ったりしてて笑っちゃうんだが、聞いた話だと、そういう人には会ったこともない親戚が全国から、わらわらと訪ねて来るそうで、タイらしい良い話だ。もちろん当たった人もタイ人だからタダで追い返したりしない。そんなんでいいのか、というと、そんなんでいいのだ。タイだからね。
そんな一攫千金の夢だもの。これを買わないタイ人なんて、どこかにいるんだろうが、そんなタイの大人は見たことも聞いたこともない。「買うんだけど、当たらない」と言うので、毎回同じ番号を買えば? と言ったら、ひどく驚いて「そんな買い方をするタイ人はいないと思う」と軽蔑混じりに言われた。そんな投げ遣りなことで良いのかというニュアンス。宝くじなのに。でも、おれの知る限りのタイ人は同意見のようだ。
では、どういう予想で買う番号を決めているのかというと、けっこうテキトーで、「あなたのラッキー番号を教えてくれ」ってのは、よく訊かれる。あと、病院での順番待ちの札が機械から、みょーん、て出てくるでしょ。あの番号を買ってみようとか、なんかランダムに出会った数字ってのは多い。あと、信じられないかもしれんが、新聞に宝くじの当たり番号予想ってのが載るんだ。購読層に関係なく、一流紙からタブロイド紙まで全ての新聞に予想がある。人によってタイラット紙がよく当たるようだとか、いやクルンテープトゥラキット紙だよ、とかそれぞれ贔屓があるようだ。
←新聞各紙のくじ予想 それから仏頼み。寺にお伺いを立てるってのは、よくあって、寺によっては霊験灼かと言われる有名な坊主がいて、水に蝋と墨を垂らし、それを紙に転写した模様で占うとか、あと有名どころでは寺に奉ってある鰐の歯で占うってのもあった。その歯を見て坊主が「今回は893」とか言うの。


そして、よく聞くのが夢占いで、夢に蛇が出てきたら、これはもう「買い」だって言うのね。蛇が右腕から脇腹に移動して、そして左足に巻き付いたとかいう夢なら、それで当たり番号がわかる。タイ人は身体の部位に番号がついてて、アタマが1で右腕が2で、とか言う。うちの婆ちゃんが、これで当てましたとか、タイ人の身近な人に一人は必ずそんな人がいるようだ。この部位の番号って、みんな共通なのかなと思ってたら、うちの奥さんに言わせると「あんなものは人それぞれのテキトーです」と言う。うちの奥さんはそういうのに懐疑的なんだが、だから宝くじを買わない、ってことはなく買う。タイ人だからね。「迷信で買うなんて馬鹿げてる」って言うんだが、当たったことがないんで、説得力がこれっぽっちもない。それから「うちの家族の誕生日は、当たらない」って溜息まじりに言われたときは、笑うとかわいそうな感じで、思わず目を逸らしてしまった。
←個人営業の流し歩くくじ売り で、ここからはまったくソースのない噂話なんだけどね。先代の国王の在位中に、今の玉様はコータイシで、皇太子ってのは明太子よりも偉いんだ。このコータイシが宝くじの責任者つうかボスだったというのね。だからもう、それだけでもすんげぇカネが息をしてるだけで転がり込んでくるんだって話だったが、真偽の程はわからない。
そして、ここからも聞いた話なんだけど、ある人が渋滞で停車中、ごつん、って衝撃を受けたと。あ。こりゃやられたな。オカマ掘られたに違いないと、ギアをニュートラルに入れてサイドブレーキ引いて被害状況を確認しに降りたと。そうしたら後続のメルセデスからも男が降りてきて、「あー。凹んじゃったねえ」と。文句を言おうと男を見たら、どうも押し出しが強いつうか、立ってるだけで圧が凄い。なんだこのひと、と、何気にベンツの後部座席を見たら、あれ? 見たことある人が座ってるぞ。玉子様(いちおうオージサマと書くのは控えて玉子様ね)そっくりじゃん。これは文句なんか言ったら大変なことになるかも、と合掌(ワイ)を頭上に、最上級の挨拶をしたら、また別の男が降りてきて、「あのね。今度の宝くじ、末尾555のをたくさん買いなさいね」と言い捨ててクルマに乗り込んでブイーンって行っちゃったっていうんだ。
だから、そりゃもちろん買ったよね。555。借金してまで買えるだけ買った。もうこれ以上買えませんっていうまで買って友人にも顛末を教えたら、みんな脱兎のごとくその場を飛び出して555を買いに行ったという。んで555は当たったのかって。そりゃもう当たるわけで、そいつは一財産作ったらしいよ、って話はタイ人なら誰でも知ってる話だ。まあ都市伝説ってことで。
ふつうに考えたら「そんなわけあるか!」って話だが、タイですからね。でも嘘かもしれない。有名な話ってだけ。
末尾3桁のが当たったら、今は1枚につき4,000バーツだ。当時は幾らだったっけな。まだ宝くじの券面額が40バーツとかだったんなら当籤金も2,000バーツとか、そんなもんだったんじゃないかな。それにしても50倍でしょ。借りた金に色付けて返しても痛くも何ともない。まあ本当の話ならね。
ついでに笑っちゃったのが、ブンソンというおじさんで、ある日とつぜん親切だった。いつもは訊かないのに「コーヒーを飲むかい?」って訊いてくるし、昼飯を買ってこようか? とか、これは何か魂胆でもあるのかと思って「カネ貸してくれ」って言われたら断ろうかな、とか身構えてたら、他の人たちにも訊いて回ってる。どういうことだ。全方面に親切だなんて、おれの知ってるブンソンじゃねぇぞ。
そしたら、事務員の娘さんが「やだ! このひと。宝くじの当選番号の発表があるから、徳を積んでる(สะสมบุญ)!」と叫んで、文字通り一歩引いてて、やっぱりタイ人でも難色の表明として、引くのね。徳を積んで引かれるなんて、と思うかもしれないが、ブンソンの場合は明らかにヨコシマだからね。そりゃ引かれる。いっぽうブンソンのおっさんは恥ずかしそうに「へへへ」って笑うだけ。そうなのか。そんなことしてまで当てたいのだ。
これで外れたら笑っちゃうなと思ってたら、はたして外れてた。日本の宝くじと違って10枚買ったら1割の戻しがあるわけでもなく、ぜんぶハズレ。徳の積み方が足りなかったってことだね。昼飯頼めば良かったかな。つうか、そんなんで当たるんなら、おれも偽善に励んじゃうよね。あんなもの、徳は関係あるわけない。
หวย - Getsunova feat. แม่น้ำหนึ่ง [Official MV]
さて、今日の歌だが、「หวย(フヮイ – 宝くじ)」という曲で、先月リリースされて80万回再生だから、良い感じの出だしでヒットしてる。メインのバンドは「ゲツノワ」っていう連中で、タイの大人気バンドってことになってる。たしかにそれなりにヒットしてるんだが、それほど興味のないバンドだった。デビューは2008年。ファーストアルバムのリリースがその8年後で、セカンドアルバムは2019年。「ゲツノワ」ってバンド名は、日本語の「月(Getsu)」と英語の「Nova(新星)」を繋げたものだそうで、だから異なる言語を繋げるなよ、と言っておく。気持ち悪いじゃん。ヘンなバンド名の他には特に突出したものがないバンドって印象だったが、今回のは違う。「なんだこりゃ」と思いながら観ているうちに引き込まれる。イマドキのバンドで、ボーカルの他はドラムスとギターが二人。え? ベースいないの? コミックバンドなの? と思うかもしれないが、コミックバンドではない。ギターの一人がキーボードも兼ねてて、このキーボードがMIDIキーボードだったりMIDIコントローラーだったりする(このMVには映ってない。音は別取りだから)。つまり打ち込みも同時に流しているわけで、この打ち込みの音の中にベースのパートがある。こないだのエントリーもベースのパートがなかったけど、あれはスマフォを想定してか低音の音割れを嫌って、まるっきりベース音を排除するという音作りだったが、こっちはベース音もちゃんと打ち込んである。でもベーシストがいるときみたいに低音が頻繁に鳴ってるんじゃなくて、要所で最低限鳴らしてる感じ。使い方が巧いといえば巧い。やっぱりスマフォを意識してるんだろうか。
あと右側のギターがフェンダーのストラトなんだろうが、ネックだけ左利き仕様のと取り替えてて、正直意味がわからん。普通のネックだと高音弦のチューニングが狂いやすくなるのを嫌ったんだろうか。でも、これだと低音弦が狂いやすくて、そっちの方がいかんと思うんだが、レフティーに換えるのに、たいした意味はないんだろうな。おれって、ちょっと変わってるんすよ、っていうやつかもしれない。若いからね。
曲は聴いた通りだ。ゲツノワにしちゃ、まあ良い感じかな、と聴いていたら、2分47秒あたりからシャウトで入ってくる女性ヴォーカルが妙にスリリングだ。ラップの語りが生々しくて、わき上がるような勢いがないのにフラットでリズムは良い。歌のパートも良い。でも妙に素直だ。見た目はイモっぽいけどワイルドな娘だなと思ったら、シロウトだった。歌が巧くてリズム感の良いシロウトです。驚いた。この娘は宝くじの当たり番号を占うプロの占い師で、名前はแม่น้ำหนึ่ง(メーナムヌン)という。メーナムは「川」。ヌンは数字の「1」。ヘンなあだ名だ。あだ名はともかくホントによく当たるらしく、有名だって言うんだけどね。しかし、何でこんなに歌が巧いんだろう。まあ、巧いから共演の運びになったんだろうが。
まえに紹介した化粧品メーカーの社長のピムリパイも滅法歌の巧いシロウトだったが、最近のタイの娘は歌が巧いのがゴロゴロいて凄いね、どうも。昔のタイ娘は総じて音痴だったが。たいしたもんだ。
曲の作り自体は、特筆することはない。歌詞もつまらない。
いちおう歌詞も訳しておくか。
幸運を祈る 運が悪ければ本当の愛は失われる ああ あなたは美しい
私はどうしたらいいのか
金持ちになるために くじを買う 真の愛は勝負で失われる ああ あなたは美しい
あなたの心を推測するのは 宝くじに当籤するよりも難しい
あなたの心を推測するのは 宝くじに当籤するよりも難しい
午前7時14分 これは良い数 すぐに彼女にメッセージを送る
しかし 一年待っても 彼女は読まない
お気に入りの食堂 29番テーブルに案内される この番号を買おう
しかし最後は いつまでも待たされる
バレンタインデーには何本の花? 縁起の良い数 僧侶が言った通りに
しかし 当たらない 他の人も皆答え 花束は巨大になっていく
勇気を出して 彼女を食事に誘おう 縁起の良い日に
彼女は同意したけれど 時間がなかった
彼女は電話で 忙しいと言う
これからどうすりゃいいのか 寺院に行くかな
チェンマイに行って テープタンチャイにお伺いを立てる
それとも 街で鶏肉を運び 卵で占ってみるか
子供の頃から知っている 当たりくじにはヒントが必要
みごと当たらないかな しかし 彼女は見向きもしない
宝くじのような愛 共有できない あるのは壊れた心だけ 交換済みの
宝くじのような愛 共有できない あるのは壊れた心だけ 交換済みの
1つの数字に賭ける 7935 馬鹿だな
なぜ彼女は聞く耳を持たないのか 目配せにも興味がないのか
わかりやすいタイ語よりも簡単なのに
線香に火をつけて占ってみよう その番号を送信しよう 彼女に知らせるんだ
浮き沈みってものがあるだろう あなたが他の誰かを愛しているなら 泣いてしまう
宝くじのような愛 共有できない あるのは壊れた心だけ 交換済みの
宝くじのような愛 共有できない あるのは壊れた心だけ 交換済みの
歌詞は何も新しいことない。他の曲も主張ってものが希薄で、そういうことには興味がないんだろうね。
ただ、今回から曲の傾向が違ってきている。作詞作曲はいつも通りปณต คุณประเสริฐ(パノット・クンプラサート)というギターとキーボード担当のメンバーで、これから化けるかもしれないので、取り上げてみた。
まあ、そんな訳で、歌が先で、宝くじのことを色々と思い出しちゃった、ってのが今回のエントリーだった。普段とは逆の着想だが、読んで何の役にも立たないのは、いつも通りで、それに関しちゃ満足だ。