貨幣負債論はバカの極み

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あなたが会社から受け取った給料、住宅購入のため銀行から借りたローン、昼食に食べたラーメン代として財布から支払うお金、年末の旅行資金として銀行に積み立てる貯金…

『貨幣(お金)』は、それを手にし、使う人々の目的に応じて様々な形に変化する。

ある人にとっては「所得」となり、他人からモノやサービスの提供を受け取るための「支払い手段」にもなる。
それを貯蓄すれば「金融資産」になるし、家や車を買うために借りると「借金や債務」にもなる。

“貨幣の本質とは何か”という真理を追究するにあたり、経済活動をたえず循環し続ける貨幣のある一時点だけを切り取るのは、誤解や誤用の素となる。

「水」は、それを容れる容器の形状に応じて、いかように変化する。
コップに注げばコップの形になるし、浴槽に溜めれば浴槽の形になるだろう。

スーパーの飲料コーナーに並ぶ大量のペットボトルを見て、「水の真の姿はペットボトルの形状だ」と断定する者がいるとしたら、間違いなく周囲から嘲笑を買うだろう。

貨幣の一形態のみを捉えて、「貨幣は負債だ」と言い張る輩も、これを同じ過ちを犯している。

最近、新聞をはじめとするマスメディアが、MMT(現代貨幣論、現代金融論)の話題を採り上げる機会も増えてきた。

緊縮主義(反国民主義)という既得権益者にとって、まさにトマ・ピケティ以来の“外圧”と言え、財務省やマスゴミの連中は、自分たちの権益を護ろうと、MMTに対して、「異端」だの「支離滅裂」だのと猛烈な批判を浴びせている。

筆者は、積極財政による活力に満ちた社会を目指す立場から、
① 「自国通貨建ての国債を発行する国は財政破綻しない」
② 「税は政府の財源では無い」
③ 「貨幣供給量は、量的緩和ではなく財政赤字の拡大によって増える」
④ 「財政規律よりも財政拡大を優先し、失業者をなくすべき」
というMMT論者の主張には大いに賛同する。

これらは、「機能的財政論に基づく積極財政金融政策を以って、財政問題など歯牙にもかけず実体経済への資金供給(貸すカネではなく、直接的に所得へ化けるカネ)を最優先とし、社会的課題の解決に邁進すべし」という筆者の従前からの主張と軌を一にするからだ。

積極財政論やMMTが、まともな形で議論の俎上に上り、少なくともリフレ理論なみに経済論壇の一角に確固たる地位を占め、経済理論の一派として根付くことができるのか、まさに剣が峰と言ってよい。

この大事な時に、MMTを支持する国内の論者が、MMTを活用してどういう社会形態を創ろうとするのか、緊縮政策と構造改悪による破滅寸前の日本経済をどのように立て直すつもりなのか、彼らの熱意がいまひとつ伝わってこないのにイラついている。

日本におけるMMT信者は、MMTとは何か、貨幣とはなにかという点の説明にばかり気を取られ、肝心の経済政策は“消費税の増税凍結や減税、廃止”のみに止まり、家計や企業の凍り付いた消費意欲を掻き立てる具体的な政策提案に欠けている。

消費税の廃止あたりの主張は、積極財政論者によって、すでに十年以上前から訴えられており、MMTが実現すべき経済政策が消費税廃止の一点突破のみというのは、あまりにもインパクトに欠け、“経済学における天動説から地動説へのパラダイムシフト”を自称するMMTの沽券に関わるのではないか?

「自国通貨建ての国債を発行する国は財政破綻しない」、「税は政府の財源では無い」とまで言い切っている以上、無限にある財源を活用して、

・歳出規模の大幅拡大
・社会保険料や医療費の国庫負担割合引き上げ(難病治療は全額国庫負担)
・幼児教育~大学までの教育費無償化(給食費を含む)
・一人月3万円のベーシックインカム実施(既存の社会保障制度は温存)
・自然災害被害者への国費負担による見舞金支給(一人2,000万円)
・ロスジェネ世代の正規公務員への登用促進
・年金受給年齢の60歳への引き下げ
・科学技術費や防衛費の倍増
・すべての公共インフラ設備を30年以内に更新
・公共交通機関の維持向上への国費投入(JRの国営化)
・原発再稼働に向けた安全対策費への国費投入(ついでに原子力規制委員会の廃止も)

くらいの積極的な提案をしてもらいたい。

筆者は、国内のMMT信者(=貨幣負債論信者)の主張を聞くにつけ、理論を活用して社会のために何をやるかよりも、理論の支柱となる「貨幣負債論」や「租税貨幣論」という根拠ゼロの書生論の証明にばかり熱中しているようにしか見えない。

こんなありさまでは、MMTを攻撃的に紹介するマスゴミや財務省の連中の批判に耐えきれないし、MMTの本質を国民に理解し賛同者を増やすことなんて不可能だろう。

国民の関心に爪痕を残すには、論の合理性(そもそも、貨幣負債論や租税貨幣論に合理性など微塵もないのだが…)に固執して、信用創造とか古代メソポタミアのツケ払い帳といった、貨幣の本質を説明するのに何の役にも立たぬ例を引き合いに出し、辻褄の合わぬ説明に四苦八苦しているのは、あまりにも情けない。

MMTがいかに国民に希望を与えられるのか、いかに国民生活を向上させられるのかを、もっと熱心に説くべきだ。

貨幣負債論の信者たちは、『信用創造(=貨幣発生)でMMTが分る』、『通貨の発生と消滅が解ればMMTが解る』と主張するが、正直言って、信用創造論をいくら捏ね繰り回しても、貨幣の本質には辿り着けないだろう。

一般的に信用創造とは、「銀行などの金融機関が本源的な預金を貸し出し、その貸出金が再び預金されてもとの預金の数倍もの預金通貨を創造すること(デジタル大辞泉)」を指す。

これに対し、貨幣負債論者は、「貸出による預金創造論(=預金を元手に貸し出しを行うのではなく、貸し出しによって預金が新たに創造される)」を主張するが、はっきり言って早とちりでしかない。

貸出により預金が創造される(貸し出されたカネが支払い手段として使われ、それを受け取る者の預金に化ける)のは当然だが、それは従来の信用創造の範疇で十分に説明できる事象であり、何も目新しいものではない。

問題なのは、金融機関が預金という元手ゼロの状態でも、政府の国債発行を基に循環する資金により、金融機関は貸出の原資を得て民間事業者への貸出が可能という貨幣負債論者の主張である。

これは、「政府が日銀に直受けさせて国債を発行し、それを財源とする政府支出を行い、民間に資金が行き渡るまで、民間経済の資金需要が一切発生しない」という極めて特殊な環境を前提とする空想上の世界なら成立するかもしれないが、現実には通用しない。

預金なしで貸出が可能なら、銀行は定期預金キャンペーン(低金利時代に入ってからあまりやっていないが)をしてまで預金集めをする必要はないし、面倒なだけで収益性の低い預金管理事務や決済事務にコストをかける必要もない。

貸出のみで預金を創造できるのなら、高度成長期にオーバーローン状態(預貸率100%超)が恒常化していた事実を説明できない。

貸出額と同額の預金が発生するうえに、人々がこぞって持ってくる預金を受け容れざるを得ない以上、貸出額が預金額を上回るはずがないからだ。

さらに、かつて北海道拓殖銀行や兵庫銀行、太平洋銀行、新銀行東京、日本振興銀行などが不良債権や信用不安に端を発する預金流出により破綻した事実も説明できない。

貸出だけで預金を創造できるという主張は、「貸出さえ伸ばせば、預金(貨幣)が創造され景気が良くなる」というリフレ派のポンコツ金融緩和一本足打法にも通じるものがあり、非常に危うい。

そもそも、我が国に国債や金融システム、信用創造が存在する遥か以前から貨幣は存在していたのだから、国債発行に絡めたエセ信用創造論を以って貨幣の本質を証明すること自体に無理がある。

国債発行や信用創造は貨幣活用の一形態にすぎず、それだけで貨幣の本質を説明するのは、カレーライスを例にしてお米の本質を証明できたと吹聴するがごとき愚行だ。

貨幣は国債がなくとも創造できる(政府紙幣)以上、国債発行や信用創造から貨幣の本質にアプローチするのは無駄な行為でしかない。

経済行為とそこで使われる貨幣というツールの本質は、まったく別物なのだ。

国債発行は政府の負債、信用創造(預金と貸出の連鎖)は預金者と銀行や企業間に発生する負債。
つまり、貨幣負債論の信者は、負債を起点とする経済活動の枠内に貨幣を押し込め、「貨幣は負債の発生から生まれる」と結論付けたがる。

だが、これこそ、冒頭に紹介した水の事例と同じ過ちだ。

経済活動の中で無尽に行われる取引には、権利と義務を伴う“資産・負債(債権・債務)”に係るものもあれば、一方的な所得や収入、資産に化けるものもある。

信者たちは、量的に多い金融取引を以って貨幣の姿だと勘違いし、“水の本質はペットボトルの形状だ”というのと同じレベルで、貨幣の本質は負債だと初歩的な思い違いをしているだけにすぎない。

世の中にある貨幣は、現金よりも金融機関の預金口座に入っているものが圧倒的に多い。
預金口座に入った瞬間に、それを受け容れる金融機関と預金者との間に貸借関係が発生し、さらに預金を貸出として動かすたびに金融機関と借主との間にも貸借関係が生まれるため、この世の貨幣はすべて貸借関係の延長線上にあると勘違いしてしまうのだろう。

実体経済内にある膨大な量の信用取引や貸借契約と、そこで使用されるツールとしての貨幣の本質をごちゃまぜにしてはならない。

貨幣はあくまで道具であり、たまたま貸借契約の清算に使われるから、負債や債務であるかのように映るだけのことだ。

経済の成長は、国債増発を起点とする民間経済による負債の膨張によって支えられているのは事実だ。
それゆえ、貨幣負債論の信者は貨幣の本質を負債と見間違うのだが、明治創成期の1,000万倍にも膨張した国債(政府の負債)の信用や、天文学的な数値に及ぶ民間経済の信用取引(民間経済の負債)を最終的に保障するのは、国家が有する通貨発行権である。

実体経済が膨大な負債を抱えきれるのは、政府紙幣、つまり、円という貨幣の通貨発行権という「絶対不可侵かつ国民共有の資産」の存在があるゆえなのだ。

「自国通貨建ての国債を発行する国は財政破綻しない」というMMT論者が大好きな定理、つまり、円という貨幣を基点として発行される国債や、円を媒介とする信用取引の類いは「国家が持つ自国通貨の発行権という大権」の下に庇護されている、という事実を忘れてはならない。

そして、通貨発行権の資産性は、国家の生産力や供給力、流通基盤、法の順守力、国民の勤勉性等々といったモノやサービスを創り出す力、それを流通させ国民生活の向上に活用する力によって担保される。

もし、貨幣が負債だとしたら、実体経済下の膨大なる負債を担保する資産が消失してしまうだろう。

なにせ、取引相手の信用を担保し、負債の清算に使われる貨幣そのものの資産性が失われるのだから信用取引自体が成立せず、経済活動における「信用」、「与信」という概念すら危うくなってしまう。

国家は、政府紙幣発行により、国債がなくとも貨幣を発行できるし、発行された国債(政府負債)の信用を最終的に保障するのは徴税権ではなく、通貨(貨幣)発行権という絶対的な資産である。
その一事を見れば、貨幣負債論など、まったく根拠のない暴論であることが解る。

貨幣負債路の信者の中には、「貨幣負債論は絶対的な真理。理解できないなら暗記しろ」とアホなことをほざく者もいるが、貨幣負債論が相手にされないのは、白を黒と言い張る大嘘を論拠とするがゆえである。

彼には、「貨幣負債論など暇人の寝言。それが理解できないなら、負債の対価として何を、誰に、何時までに返済するのか、箇条書きで答えてみろ」と言っておく。

ついでに、彼らが大好きな“租税貨幣論”のいい加減さにも触れておこう。

貨幣負債論&租税貨幣論の信者は、「税を通貨で政府が受領するから人々が通貨を使う。要するに徴税力に象徴される強力な国家権力が通貨制度の前提になっている」と主張するが、その同じ口で「税は財政支出の財源ではない」と言い張る矛盾に気付かないのか?

彼らは「民間の余剰資金を吸上げてインフレを抑制する」ことこそ税の役割だと述べるが、国家が貨幣を召し上げるためのツールにすぎない税を崇拝して、貨幣を使おうとする変わり者なんてこの世に一人もおるまい。

中南米、東南アジア、アフリカ諸国のように、納税に使えない米ドルが一般的に通用する国々の現実を見ても、租税が貨幣流通を駆動させるなんて寝言を吐く馬鹿者の神経を疑う。

貨幣は国家が発行する絶対的かつ国民共有の“資産”であり、資産であるがゆえに、国債や実体経済下のあらゆる信用取引という負債の永続的な膨張が許されるのである。

よって、貨幣を負債呼ばわりするのは、経済活動における負債の存在を自ら否定する暴挙としか言えない。

「誰かの負債は、他の誰かの負債」という定理を、債権・債務の関係にある両者の外側から最終的に保障しているのが、唯一、国家のみが発行権を有する“貨幣”特有の資産性なのだ。

貨幣負債論信者は、信用創造(一般的な信用創造とは異なる定義だが…)を貨幣発生と結び付け、貨幣が負債であるかのように騙るが、正直言って、彼らのブログをいくら読み込んでも、挙げられた諸々の事象や説明文と、貨幣は負債であるという結論がまったく結びつかず、彼らが自信満々に“そもそも貨幣は負債なんです”と言い張る根拠をどこにも見出せない。

整合性も合理性ない公式や理論を暗記しろと言われても、誰もやろうとはしないだろう。

最後に、最近見たMMT絡みのネット記事を紹介する。

『MMTと呼ばないでくれ』(東京新聞)
https://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2019050102000129.html
「自国だけの通貨を持っていれば、その通貨は限りなく供給できるので、国の財政赤字が増えても気にしなくていい-。米国発の極論とも言える考え方が注目を集めている。
 「現代金融理論」(MMT)と呼ばれる。米ニューヨーク州立大のステファニー・ケルトン教授が提唱者だ。(略)
バブル崩壊以降、大半の日本人や日本企業は支出を切り詰めてきた。将来が不安だからだ。みなが家族のために、会社の存続のために少しずつ支出を削り、頑張った。
 この結果、極端なインフレは起きず、海外から無用な借金もせずに済んだ。つまり国の政策というより「民」の涙ぐましい努力が経済危機を何とか防いできたのではないか。
 こうした努力は経済指標では測りにくい。ただ、日本人が生活を守るために懸命に続けた知恵の結晶を、MMTなどと机上の理屈で呼んでほしくはない。」

東京新聞は、国債が累積する中で我が国に目立ったインフレが起きなかったのは、国民が涙ぐましい努力で生活を切り詰め、消費を抑えてきたおかげだと自慢げに騙っている。

平成不況下にインフレが起きなかった(生活必需品の価格はかなり高騰気味だが…)のは、緊縮財政がもたらした所得低下が需要不足を蔓延させた所為でしかなく、褒められるどころか、不況を悪化させた結果として非難されるべきものだ。

だが、緊縮主義者という生き物は、使うカネがなく、満足に物も買えなかった平成不況の惨状すら、「国民の涙ぐましい努力」と美談風に騙る卑怯な連中であり、緊縮主義へのシンパシーが強い国民も、お涙頂戴風の三文芝居にコロッと騙されるのがオチだ。

こんな状態で、「貨幣は負債だ。貨幣は負債によって発生するのだから、経済成長のためには負債をもっと増やさないといけません」なんて言った日には、経済のケの字も知らず、負債や借金を毛嫌いするだけの一般国民から猛反発を喰らい、「貨幣も負債だって? それじゃあ、1,000兆円もある借金をどうやって返すんだよ??」、「自国通貨建ての国債なら国は破綻しないなんて言ってるけど、自国通貨だって、所詮は負債なんだろ? “負債建て”の国債をバラ撒いてはたんしないわけないだろ‼」と詰問され、何も言い返せず即終了だろう。

どうも、貨幣負債論信者の主張を聞いていると、貨幣は負債だという持論の証明が目的化し、その手段として負債の極大化を強弁しているようにしか見えない。

本来なら、国民共有の資産である貨幣を大量にばらまき(=活用)経済を活性化させ、、人材教育や育成、国民生活の向上を図り、国富たる生産力を増大させるべきなのだ。

そうすれば、民間経済の取引量も増えて資金需要も盛り上がり、嫌でも負債や債務は膨張するだろう。

彼らは、無限の財源を活用して、日本が抱える膨大な社会的課題を解決するための政策に踏み込もうとせず、ベーシックインカムのような直接給付による刺激策を嫌うが、それは、貨幣に固有の資産価値を見出し、それを無償で民に渡すのを惜しむ発想があるに違いない。

「働かざるもの食うべからずだから、ベーシックインカムには反対」なんていうバカ者もしかりだが、そういった主張の根っこにあるのは、結局、本人も気づかぬうちに貨幣が持つ資産性に囚われ、それを他者が無償で手にするのが気に喰わないという下品な妬みでしかない。

真に貨幣が負債なら、それが他人の手に渡るのを嫉妬する必要はなく、それを妬む者などこの世に一人もいないはずだから…

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