まず、自分は何をしたいのか。


歌を歌いたい、
楽に生きたい、
苦しみたくない、
人と関わりたくない、
食べ物を口にしたくない、
動きたくない、
家にいたくない、
どこか遠い所へ行きたい、
知らない場所へ行きたい、

人に嫌われたくない、
本当は授業を受けたい、
嫌とか言いながらみんなと過ごしたい、
ジャージを着たい、
朝早起きをしたい、
だるい体を今すぐに起こしたい、
人と話したい、
たくさん勉強したい


この中には、それを普通にやっている人がいて、

きっと努力すればできることで、けどその努力がどうしても出来なくて、
それで自己嫌悪に陥って、
自分のこと大っ嫌いだし
なんなら、死ねって言われたし?


そんとき実感した。私の周りの人は優しすぎて、生きてなんて言ってくれてたこと。
すっかり忘れてた。
そりゃ私に死んで欲しい人も居るでしょって笑


なんでそんなこと忘れてんのって感じだけど。
死ぬ理由とか生きる理由とか
両方自分は、ほとんどなくて。
死ねないから生きてる感じで、
もし、死ぬのが痛くなくて怖くなくて普通にできるものなら、来世に期待したいよ。
この人生無理だなーと思ったら、すぐ捨てられるような世界線が良かったよ。
けどそんなんじゃないから。

ありがたいことに、自分が死んだら悲しむ人がいてくれる。
それだけを事実として持っていれば何かをする時に立ち止まれるかもしれないけど、
それは生きる理由。
それとは反対に死んだら嬉しい人
(何も思わない人)がいるってことは、それも事実だから、
それは死ぬ理由。
自分にとって都合のいい生きるを信じるって言うのは我儘なんじゃないかって気もしてくる。


結局、生きてって言ってる人もいるっていうのは
、自分にとって良い意見だけを視野に入れているだけで、
生きてって1人にでも言われたら生きてていいみたいなやつは、


例えば、1人の男がいて、その男が無意識にも人の嫌がることをしていて、そのせいで大勢から嫌われてて、直接的に死ねなどの悪口を言われたとする。
家族からは、生きていて欲しいと、居場所を認められていたが、
悪口等に心を病んだ男は死ぬ。
けれど、その男の家族は、
死なないで欲しかった。と、嘆く。
だが、その男が死んでから、男を嫌だと思っていた人達。被害者が減り、誰かしらは思うだろう、「男が死んでよかった。」と。


これを見て、どう思うか。
なんとも思わないか。
男が可哀想だと思うか。
男が死んで良かったと思うか。


今まで私が言われてきた、
少しでも生きててと言う人がいるなら生きて。
みたいな言葉に当てはめると
男は、生きていた方が良かった。
けれど、本当にそうだったのか。
男1人の命を守るのか
みんなの幸せを守るのか
考え方的には沢山あって、
男に苦しめられているのを傍観者じゃなくて、苦しめられている側(被害者側)になれば少しは、

死んでよかった。と思うのかな。

けれど、男に生きてて欲しいと願った人たちがいて、男に死ねと言った人がいた。


男は悪い人だったからとかいう理由で死んでよかったのだとしたら、それはきっと、誰でもあてはまって、
誰かにとって優しくても誰かにとっては嫌な奴だから、
そんなのは関係ないんじゃないかなと思ってる。


自分の話がこんなに壮大だとはもちろん思ってはいないけど、
結局は、生きてと死んでを両方言われたら、
本当に、
「生きて」を信じて生きろ。
と、堂々と言えるのか。
って言うのを聞きたかった。

そりゃ、この話がおかしいと思う人もいれば共感してくれる人もいるだろうし、
人の意見で何を信じるっていうのはないけど、
単純に、
生きてを信じろ。って言えるなら、
根拠はなんだろうなと思っただけ。