『大鏡』は平安時代後期に書かれた歴史物語です。

大宅世継(おおやけのよつぎ/190歳)と夏山繁樹(なつやまのしげき/180歳)という2人の老人※架空の人物が中心となって昔の出来事を語っていく中で、歴史が綴られるという趣向。

まず最初に天皇の伝記(文徳天皇~後一条天皇)が語られ、そのあと、大臣たちの伝記に移っていきます。

こういう構成を「紀伝体」といいます。

 

今回から数回にわたって花山院の出家についてのエピソードを連載します。

 

次の帝は花山天皇と申しあげた。冷泉院の第一皇子である。御母は贈皇后宮懐子と申しあげる。太政大臣伊尹様の長女である。
この帝は、安和元年戊辰十月二十六日丙子の日、母方の御祖父、伊尹様の一条の御邸宅でお生まれになった、とあるのは、今の世尊寺のことであろうか。
その日は、冷泉院の御代の大嘗会の御禊があった。
同じ安和の二年八月十三日、皇太子にお立ちになる、御年は二歳。
天元五年二月十九日、御元服、御年は十五歳。
永観二年八月二十八日、即位なさる、御年は十七歳。
寛和二年丙戌六月二十二日の夜、驚き呆れましたことは、誰にも知らせなさらず、密かに花山寺にお出ましになって、御出家入道なさったのが、御年十九歳。
在位なさった期間は二年。その後、二十二年御在世なさった。 


(原文)

次帝、花山天皇と申しき。冷泉院第一皇子なり。御母、贈皇后宮懐子と申す。太政大臣伊尹のおとどの第一御女なり。
この帝、安和元年戊辰十月二十六日丙子、母かたの御おほぢの一条の家にて生まれさせ給ふ、とあるは、世尊寺のことにや。
その日は、冷泉院御時の大嘗会御禊あり。
同二年八月十三日、春宮にたち給ふ、御年二歳。
天元五年二月十九日、御元服、御年十五。
永観二年八月二十八日、位につかせ給ふ、御年十七。
寛和二年丙戌六月二十二日の夜、あさましく候ひしことは、人にも知らせさせ給はで、みそかに花山寺におはしまして、御出家入道せさせ給へりしこそ、御年十九。
世をたもたせ給ふ事、二年。その後、二十二年おはしましき。


【語釈】

●花山天皇

第65代天皇。968年~1008年。(在位984年~986年)

●懐子かいし

藤原懐子。「贈皇后宮」とは、死後に皇后の位を授けられたことを意味する。

●伊尹これただ/これまさ

藤原伊尹

●戊辰つちのえたつ/ぼしん・丙子ひのえね/へいし

いずれも十干十二支の組み合わせの1つ。十干じっかんとは「甲乙丙丁戊己庚辛壬癸」のこと。世界は「木・火・土・金・水」という5つの元素により構成されると考える五行思想に、「え&と」という陰陽思想(え:兄=陽/と:弟=陰)を掛け合わせたのが十干。

木⇒木のえ(甲)・木のと(乙)
火⇒火のえ(丙)・火のと(丁)
土⇒土のえ(戊)・土のと(己)
金⇒金のえ(庚)・金のと(辛)
水⇒水のえ(壬)・水のと(癸)

これに十二支を組み合わせた十干十二支が年・月・日に割り当てられている。

●おほぢ

祖父のこと。

●世尊寺

奈良県に同名の寺があるが、それとは違う。伊尹の邸を「桃園第」といったが、それを受け継いだ伊尹の孫である藤原行成が邸内に寺を建立し、それを世尊寺と称した。

●大嘗会の御禊

大嘗会の読みは「だいじょうえ」。新帝が即位した年に限って行われる新嘗祭にいなめさいのスペシャルバージョン。いわゆる収穫祭。11月に行われた。それに先だって身を清める儀式が「御禊」で、こちらは10月に行われる。ちなみに、新嘗祭は現在では勤労感謝の日となっている。

●花山寺

元慶寺がんけいじ/がんぎょうじのこと。


事象の列挙で面白くないですよね。

せめて元慶寺の写真でも掲載してごまかしましょう。

 

※元慶寺鐘楼門。独特の風情がある門。

 

しかし、在位期間たった2年で退位→出家とはいったい何があったのでしょうか。

このあと、物語らしく展開していきますので、乞うご期待。

 

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