熊本は今何が起きているのか。

 

地元に戻りボランティアセンターで活動する大学生と、同じ西原村で活動する神戸にある被災地支援団体の代表が神戸に滞在されているタイミングでパネルディスカッション方式の報告会を行いました。

 

日時:2016年5月20日(金)15:30~17:00

 

話者:頼政(被災NGO協働センター代表)

        寺本(西原村出身、大学2年)

司会:稲葉滉星(神戸大学持続的災害支援プロジェクト代表、工学部建築学科4年)

 

~以下本文~

 

Q1 西原村で支援を始めたきっかけは?

頼政(以下頼):

地震が起きるまでは(西原村のことを)知らなかった。

14日、前震が発生した直後に団体のスタッフが熊本へ。当初は益城町で活動の予定。

16日朝の本震で西原村をふくむ広い範囲で大きな被害が起こった。被害調査をスタートし、知り合いのツテをたどり、物資を届けるなどしながら避難所を渡り歩く。

益城町などに報道が集中しすぎており、周辺の地域も被害があるのにもかかわらず報道が入っていない状況。

西原村益城町南阿蘇村の間に挟まれている。1400戸以上の家屋が全半壊

→倒壊率が高いにも関わらず、支援者のネットワークの中でもあまり支援に行くと聞かれなかった。実際入ると赤紙がすごく多い。益城町南阿蘇村に挟まれていることもあって支援者、ボランティアも4月中旬あたりまでなかなか来なかった。支援が薄いところに入っていこうと思い西原村での活動始めた。

 

寺本(以下寺):

(どんな経緯で活動を始めたか?)

地震の後に関西で物資や募金をつのり、それを持って行こうと4月24,25日に帰郷。

現地の状態を目の当たりにして、自分が活動をしなければと感じた。

神戸に一旦帰り、休学の手続きをして4月30日からボラセンで働いている。

 

Q2 西原村ってどんなところ?

寺:

農業が盛ん。自然が多く畑が多く、山に囲まれている。高齢者の方が多く、大きな家に高齢者の方だけで暮らしている家庭が多い。農業をしている方が多い。人との距離が近い。

 

頼:

熊本市内に車で1時間と好立地。高齢化率24%。

子育て中の若い世代が暮らす新興住宅と、昔ながらの集落が混在。外から見ると外からの人が入りやすい、オープンな風土の印象。村に力があるようにも思う。

過疎高齢化、若い人への子育て両方への支援が必要と感じる。

稲葉:

避難所で若い世代と高齢者世代で協力しているような雰囲気はあるのか。

 

頼:

それぞれの世代のネットワークがある印象。もともとの自治会があったり。

 

寺:

背景として二極化していると感じる。もともと住んでいる人と移住者の溝がある。

いろいろな背景の人が一緒に復興に向けて取り組みたいいう思いがある。

 

Q3 西原村はいまどんな感じ?

寺:

震災前、地元をあまり好きになれなかった。古くからのきまりごととか。

震災が起こって、みんな困っている状況におかれ、自分たちで新しく作っていかないといけないというきっかけになっている。

それを住民の人たちが自分の足で踏み出せるように環境を整えたいという思い。

震災直後は緊張もしており頑張らなきゃという気持ちでやっていたが、1か月経ち問題が具体的に見えてくることで、気持ちが切れてきているのかという印象。

しかし一方でがれきが撤去されていくことで前向きになるという意見も。

進んでいくお手伝いをしなければと。

 

頼:

1か月経って村の人たちががんばろうとしている。

外から来た人がそれに沿って後押ししていければ。 

罹災証明が発行されることで再建プランを考えられる。

今後どうするのかの判断をしていかなければならない。

6月中旬には仮設住宅への入居があり、応募も始まった。 

再建を具体的に考えるようになることで不安や焦り。

ボランティアの入れない赤紙を張られている家の持ち主へのケア。

また赤紙と罹災証明の内容の関係などの制度に関する情報が住民さんに伝わっていない。

赤紙が貼ってあるともう住めないのではと思ってしまう。

また、がれき撤去などのボランティアまだ必要。

その他、避難所に現在避難している方は、仮設住宅入居まで避難所に残ると考えられる。

そういった方々へのケアをどうすればいいか。環境面を考えなければならない。

様々な課題が見えてきた部分と、現地の方が動こうとしているタイミングであり、課題解決に向けて、現地の方をつなげることが必要。

Q4 支援てどんなことしてるの?

頼:

ボランティアセンターの運営を中心にしている。

やってくるボランティアを被災者の方につなげる役割。

地元の方の動きを支える。

過去の事例なども参考にしつつより良い形の支援を模索していけたら。

また、避難所での足湯ボランティアなど通して被災者の声を集めている。

 

寺:

地元ということもあり、住民目線で住民の方とコミュニケーションを取っている。

自転車で移動しつつ、外にいる方に声かけなどをする。

ひとりひとりのコミュニケーションを大事にしたい。

何をしてもらいたいか本人もわからない状況。まずは会話の中から困っていることなどを聞き、どういう解決策があるか提示していけたら。

みんなが辛い経験をしているから周りの人に言えない。コミュニケーションを取ることで気持ちのはけ口になれれば。

 

Q5 今後どういう状況になりそう?人々の心の変化や、どう動き出すか。

頼:

これから仮設住宅の建設、入居。仮設は抽選のため、当選したかどうかという問題が出てくる。

302戸の仮設住宅建設予定だが50が木造、250がプレハブで、ギャップがでそう。

自力再建できるかの瀬戸際で大変な状況になるのではないか。

これから1人1人置かれている状況が多様化していくため、個々の事情に合わせた対応の仕方を考える必要がある。制度の網から漏れた人への支援。

現在はまだがれき撤去など。これからは生活の支援、きめ細かい支援が必要。

 

寺:

村の人たち主体の復興をしていきたい。被災者が主体で行うことでより意味のあるものになるのではないか。

気持ちがふさいでるからか、人それぞれ動き出しに差が。しかしすでに動きだしたいと考えている人たちを集めて団体を作っている。活動していく中で、今までふさいでいた気持ちの人も村の人たちが頑張っているから私も頑張ろうと思える、気分の底上げ。

自分が動けば変わるんだと感じられるような環境を作りたい。楽しく復興できれば。

 

Q6 学生ボランティアが行って何ができる?

頼:

西原村に行くなら、ファンになってほしい。農業が盛ん。

この時期本来なら親戚みんなでから芋(西原村の特産)の植え付け。親戚や本人も被災しているためできない。収入源であるため、来年の収入がなくなってしまいかねない。

西原村では農業復興ボランティアセンターという新しい枠組みができた。農家の支援に行き、植え付けや出荷などを手伝う。

もう一つの狙いは植え付けに行くことで、収穫にも行きたい、作物を購入したいと考えるボランティアがでていく。現地の方の農業へのモチベーションを高める原動力に。

通うことで忘れていないというメッセージにもなる。

若い学生が行き、いろいろ発見することが現地の人にとっては新鮮。

農業、花壇整備、お茶飲んでお話しなど。まず行ってみることで見えてくることも。

どんどんいろんな人が関わっていってほしい。

 

寺:

自分自身も日々迷っている。住民の方のお話しを聞けば聞くほどわからなくなる。

現地のいろんな方とコミュニケーションを取ってそのうえで何ができるか考えて欲しい。

そこからいろんなアイデアを教えてほしい。

 

Q7 ここにいる人に伝えたいこと

頼:

関心を持ち続けて欲しい。何かのタイミングで思い出してほしい。復興まではまだまだかかる。現時点で、GWでたくさん来ていたボランティアもどんどん減っていっている。直接的でなくても、長いスパンでできることを探す。お手紙、募金など。

自分のできる範囲で持続的な関わりを。

 

寺:

ずっと気に留めていて欲しい。神戸から離れたところで起こった出来事で、ずっと考えていることは無理かもしれないが、熊本で何かがあれば気にかけてもらえたらうれしい。

ずっと伝え続けることで関心をもってもらえれば。

 

〈感想・質問〉

・現地に入ってボランティアとして活動する場合、この時期に来てほしい、この時期ならこんなことができる、というのがわかれば教えてほしい。

頼:

転機になるのが、仮設に入るタイミング。コミュニティができるよう集会所で集まれるようなことをする。あるいは地元の方のアイデアを盛り上げる。

現在出ている案)炊き出しマルシェ、陶器市など。開催の時期に合わせて行く。

出会った人と関係を作り、1年に1回でも会いに来てもらえたら。

自分たちの行けるペースで。

 

・今後仮設住宅に入っていく時に抽選とおしゃっていたが、仮設に入ることでコミュニティがばらばらになると考えられるがそれに関してはどう思うか。

頼:

しょうがない面もあるが抽選というのはあまり良くない。

一応仮設は一か所なのでマシではあるがお隣同士がまったく違う人になる可能性がある。

行政に対しても提言する必要ある。仮設に入ったタイミングでケアをする人たち(看護師、ボランティア、心のケアをするチームなど)が連携する必要がある。

 

寺:

ばらばらになるのは、仕方ないといえば仕方ない。結果として良い状況にしていければ。

新しいコミュニティができるきっかけになればと。

 

・農業復興ボランティアは長期的な支援の受け皿になるのか。長期的な支援の1つとして、観光という手段がある。おすすめのスポットなどあれば聞きたい。

頼:

農業復興支援センターの期間はっきり決まっていない。当面から芋の植え付けは5月いっぱい。その後は状況を見て考えていく。もし終わってしまっても、生活支援に取り組むセンターを残す案。そこでは受け入れ可能なのでは。

また寺本さん中心に新しい団体があるので、それも1つの受け皿になる。

 

寺:

白糸の滝。パワースポット。俵山の物産館。山で遊べたり、花がきれいだったり。おしゃれなカフェ、パン屋さんも。風景がとても良いので見て欲しい。

 

・断層として言われていた地域のわりに、備蓄がなかった。今後の震災が起こった時に向けての問題点があれば。

頼:

断層の上に家が建つのは仕方ないが、それをわかっているかいないかで違う。

自分が住んでいる地域性、言い伝え、歴史などについても知ることが大事。

備える事。耐震化や備蓄など。ローリングストック法など、防災を自分の身近なところに取り入れていく。

例)自分の荷物に小さな懐中電灯入れておくなど

自分のすんでいる地域の避難計画など知っておくことも大事。

 

寺:

これまであまり災害なかった。住民の方もまさかここで起こると思わなかったという認識。もしかしたら起こるかも、という意識を持つだけで、行動も変わってくるのでは。

 

・故郷に戻っていろいろな方の声を集めているということだったが、多かった意見、印象的な話など。

寺:

印象的なのは、どうしたらいいのかわからない、何から手をつけていいかわからない。という話。もし災害にあったときにどうするか、どういう順番で事が進むのか、自分は何をするのか考えておく必要がある。

高齢者の方と接することが多いが、家や土地への愛着が強く住めないとわかっていても家の様子を見に来たり花の手入れをしたりしてしまうと話す人が多く、安全面も重要ではあるがその人の気持ちを大事にして、思い出の地に何かできればと感じた。

 

・世代間の二極化。復興に向けての意識や方向性の違いなのか、コミュニケーション不足という認識なのか。

寺:

若い世代は西原村を出て熊本市内などに移住する人が多い印象。若い人が戻ってくるようにするのが今後の課題。

閉鎖的ではないと思う。これまでは交わる機会がなかったのではないか。

 

頼:

若い人は自治会の加入率が低く、情報がいかないことも。これから自治会にどれだけ若い人を入れていけるか。

若い人も、西原村が好きで移り住んでいる人が多いので、震災をきっかけに(関係が)大きく生まれ変わる可能性も。