クルーズパーティの話

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8月の末、詳しいことは省くが、もう今の勤め先には長い事いられそうにもないので、転職活動をすることになった。

自分としても、遅かれ早かれ転職することにはなるだろうと感じてはいたが、まさかこんなに早くなるとは思わなかった。だが、この職場は何かと問題があるし、おそらく自分の成長も望めないので、まぁいい機会だと思うことにした。

今年の夏は例年に比べて全く季節感というものが無かった。街を歩くと確かに、少年の頃のように、太陽は照っているし、蝉もミンミン鳴いているが、夏はもはや自分の物では無い感じがした。なので、半そでの中高生を見るとなんだか切ない気持ちになることがしばしばあった。

 

9月の初め、お得意先の主催で、クルーザーで東京湾を回るというなんともバブリーなパーティに参加した。会社からららぽーとまで移動した。8月が過ぎたといえども、小雨の降る蒸し暑い夜だった。

 

クルーザーの室内には、自分の年ではもったいないような、シャンパンやらご馳走が並べられ、重役やOBも数多く出席していた。自分はイギリスの領事館のパーティへ招かれた中年の紳士風の男と、以前週に一度くらい話していたお得意先のきさくなおじさん、ブラジルから半年ほどインターンでお得意様に通っていた青年、OBの方と話をしていた。紳士風の男はとにかく知識が豊富で、イギリスでの貴族の敬称のつけ方とか、イギリスのビジネスとか(イギリスが金融や会計の母国でもある)、僕もイギリスは好きな国なので、中々興味深かった。自分も中年あたりにはこんな感じになりたいと思った。

気さくなおじさんは、どうやら今月で退職してリタイアをするそうだ。「とにかく趣味は持っといたほうがいいぞ。定年するとやることないから」とのことだった。「ギター弾き続けますよ」と僕は答えた。ギターは楽しいし、おそらく生涯弾き続けるが、老後の楽しみとか、余暇とか、そういうものに飲まれてしまったのかなぁと感じた。

 

パーティと言えども接待なので、自分の会社(とはいっても自分含め3人しかいないが)の女上司がお得意様のOBの爺さんに「別れのキス」ということで、手にキスをされていた。女上司曰く、この爺さんは「かわいいおじさん」とのことだった。どうせ利害関係はすぐに切れるので、その爺さんに「じゃあ、僕にもキスしますか?」と聞いた。「いや男にはしないのよ」とのことだった。ちょっといいエピソードだが、女上司は普通に次の週にも僕をいびってきたので特に意味は無かった。

その後女上司がお得意様に促され、東京湾の海へ向けてシャンパンをつきだし、ナイフで栓を取るという余興をしていた。満面の笑顔だった。社内では、いつも不愛想で、いびってくるのに。まぁなんとも器用な事だなぁと見ていた。無事、シャンパンの栓は海へと飛び出し、グラスに注がれた。ただ、この女上司は何に対して栓を飛ばしたのだろうかというのが不思議でしょうがなかった。

 

クルーズのパーティが終わり二次会が船着き場のバルの外で行われた。その頃には雨は上がり、夜は一層に深まっていた。一通りの参加者と話した後、お得意様の社長が自分の隣に座り、覚悟はしていたが、やはりお酒が入っていたこともあり説教が始まった。

僕は相槌を打つが、お得意様の社長曰く「君の言葉は全部表層的で、実質が無い。」とのことだった。以前も全く同じことを言われた。もし友達との話なら「じゃあ、そもそも実質とは何ですか。」と意地悪な質問をしたいところだが、お客様なのでとりあえず言わないでおいた。そもそも、実質のある仕事ってなんだい。会計士の自分が言うのもあれだが、お金自体に実質はあるのか。よく言えば、信用、悪く言えば幻想でなりたっているじゃないか。しかし、「じゃあこの社長は実質がある上で働いていると自負しているのだな」と暗に捉えたので、僕は「なぜ社長は働いているのですか。」と質問した。

すると「日々過ごす中でもっと良くなりそうだな、もっとうまく自分ならできるだろうなと思ったことを実行するだけ。それだけ。」とのことだった。

「失敗してもいいんだよ。よく七転び八起きというけど、7回だろうが、8回だろうが関係ないの。とにかく立ち上がって事にあたるしかない。それだけ。」

 

つまり、生活ということだな。嫌な人ではあるが、案外良いこと言うじゃないか。優秀でもあるし。謙虚に受け止めることにした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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素晴らしきオワコンの世界

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みなさんはオワコンという言葉をご存じだろうか。

 

「終わった」「コンテンツ」を省略して「オワコン」といい、通常は「時代遅れ」とか、そういう侮蔑の意味合いを込めて使用されるころが多いのだが、私はむしろオワコンだからこそ、人を魅了してやまないことがあるのではないかと思う。

 

今年の前半に「けものフレンズ」というアニメが流行ったが、元々、ゲーム、漫画、アニメのメディアミックスで展開していくはずだったが、ゲームはすでにアニメが始まる前にサービスを終了し、漫画もあまり有名ではない、「終わってるコンテンツ」だったそうだ。アニメもヒットこそしたが、その舞台は、人類が絶滅した後の動物園という完全に終わってる世界観なのだ。 

 

けもフレもそうだし、団地とか軍艦島の廃墟ブーム、若者の「エモい」という言葉にしろ、オワコンは何故か、いやオワコンだからこそ人を惹きつけるものがあるのではないか。日々コンピューターと見えざる手により生み出される、半永久的に終わらない仕事に日々を費やす我々にとって、心のどこかでこの騒ぎが「終わって欲しい」と思っているのかもしれない。だから、そういう終わらない日常へのささやかな反抗として、こういう「オワコン」は人の心を惹きつけるのかもしれない。

 

ちょっとした考察はこの程度にして、僕の好きな「オワコン」を紹介したいと思う。ちなみに、作品の舞台が「終わっている」という意味と時代遅れという意味、両方の意味でここでは「オワコン」とする。

 

バグダッド・カフェ

 

 

ラスベガスの外れにある、その華やかさとは対照的な寂れたモーテルが舞台の「バグダッド・カフェ」は僕の好きな「オワコン」の一つだ。モーテル自体も十分終わってるのだが、モーテルの滞在人も、社会からはじき出されたような「終わってる」人たちで溢れている。これだとすごい暗そうな映画に聞こえるが、主人公のドイツ人の女性がこのモーテルにやってきてから、モーテルの雰囲気が明るくなるのだ。後半でラスベガスを真似たショーをやるのだが、文化祭みたいな規模で相変わらず終わってるのだが、滞在人は皆うれしそう。肩の力がとても抜けていて、蜃気楼みたいな映画。

高校生の頃、丁度この一帯にあるモーテルに滞在したことがあり、そこも、店員さんがかったるそうに接客してたり、まずそうなご飯をロビーでお客さんが食べていたり、そういう体験を個人的に思い出させる。

 

ヨコハマ買い出し紀行

 

 

自分の故郷が横浜ということもあり、タイトルに惹かれてこの作品を視聴した。人類がほぼ絶滅した世界で、主人が不在にしているカフェで働く(とはいっても客は来ない)ロボットのお話。

静かなシーンが多く、またBGMもとても良い。風や雨のような自然音も人間関係とはまた別の騒がしさを演出している。 時間がゆっくり進んでいて、人類みんな諦めの中にいると、こんなに穏やかで、平和になるんだなぁと、ディストピアなんだかユートピアなんだかよくわからない世界観だが、不思議と心安らぐ。ちなみに、この時代のことを、この作品では「「夕凪の時代」」と粋な言葉で表現している。

 

大分麦焼酎二階堂のCM

 

 

昭和モダンっぽい雰囲気と、情緒あふれる詩と、素晴らしい音楽と僕の好きなもの全部ごちゃまぜにしたような感じがとても好き。総合芸術ですなぁ・・

 

ベニスに死す

 

 

主人公の音楽家の壮年のおじさんが、イタリアの一大観光都市のベニスで出会った美少年にどうしようもなく惹かれていくという話なのだが、その美少年の若さ、美しさ、その永遠っぷりと、壮年のおじさんの終わってる感の対比が切ない。永遠を称える美少年の美しさに狂わされ、壮年のおじさんも若作りをしようと化粧をするのだが、それが哀しいかな、道化にしか見えないのだ。美と永遠から隔絶されていく老いの悲しさを描いた映画。映像効果もとにかく素晴らしい。最後に明らかになるのだが、実はこのベニス自体も終わってる事が判明する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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My Favorite Things

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僕は人見知りである。就職が決まった後から同世代の集まる異業種交流会や合コンのようなものに知人のつてを使い月に1,2回顔を出すようになったのだが、人見知りの性格で場を盛り上げることができない。 そして人見知りな性格もさることながら共通の話題がとにかく無いのである。 例えばそういう場で好きなアーティストの名をきかれ「ジャンゴ・ラインハルト」なんて言った日にはもちろん周りは何とリアクションしたらいいかわからないだろう。なので僕は返答に困ってしまう。盛り上がり命の飲みでは致命的である。

「周りに囚われず、好きなものを追求していこう」ということを信条(もしかしたら自己弁護)に学生時代生きてきたのだが、これは裏を返せば「協調性が無い」ということになることを最近はふつふつと感じている。僕は学生時代、よくある表現だがなぜみんながみんな同じような曲を聞いて、あるいは同じ作品を見て感動して、それで皆が仲良くなっているのか不思議で不思議で仕方なかった。しかし今思えば各々努力して情報収集して協調性を持とうとしていたのかもしれない。 「他人」ありきな事を自分がなくてダサいと学生時代感じていたが、人と接するからには「自分」ありきな人より、「他人」ありきのほうが、もちろん集団に打ち解けやすいに決まっているのだから。その例の僕の好きなミュージシャンのジャンゴラインハルトはジプシーで、最もジプシーというと集団に属さず放浪生活をするから自由であるというのがよくある認識なのだが、実はてんでそんなことは無い。 例えば、イタリアに行くとしたら、まずその時流行りのカンツォーネ(イタリアの国民歌)を楽器で弾かなくてはならない。「私たちはイタリアの方々には敵意はありませんよ。よろしくお願いしますね。」というジプシーなりの礼儀なのだ。

 

最近とある近所の茶道教室の体験へ行った。母親のつてで、茶道教室の存在をしったのだが、10年ここに住んでいるのが周りにそれらしいものがあるとは知らなかった。住所の場所まで行くと若干和風な趣のある、とはいってもよくある住宅とあまり変わらない建物だった。

妙齢の女性の先生と80近い母親と父親がご自宅にいらっしゃった。妙齢の先生はご結婚なされてなく、家でのアクセサリー作りを主な収入としている。なので親からは大変心配されている。あまり自己主張は強くなく、現代社会をバリバリ生きているいわゆるキャリアウーマンとは正反対の方だった。しかし、お茶のこととなるととにかく知識が豊富で色々な話を話してくださった。
3畳半の茶室は先生の父親の手作りで、確かにすこし荒のあるところもあるが、しっかりとした茶室になっていた。この家の方はとにかくこの茶室を誇りに思っているらしく、特に先生の母親が「この壁は聚楽土を使っていて・・・」とか「ここのふすまは取っ手が無くて・・・」とか、

親戚をできたばかりの茶室招いてお点前をしたことを2,3回は僕に話した。そういった話を2時間以上はしていたと思う。途中で段々返答に疲れてきた。先生の母親の方は娘とは真逆で、本当によくしゃべる。昔はOLをしていたらしく、会計士を目指していたこともあり、自分の職業が会計士なのでいうのも恥ずかしいが、いわゆるキャリア組なのだと思う。娘とはつくづく真逆なのだ。しかし、リタイアした今一番彼女が誇っているものはこの娘の「茶室」なのだ。

この茶室はこの家族だけでやっと作り上げたもので、限られたお金で先生がこだわりにこだわった資材や設計を指導して、父親が組み立てを担当した。彼らの「周りに囚われず、追求していった好きなもの」の結晶なのだ。近所にありながら、一度も気づかない。

誰の目にも留まらないところに、本当に自分が好きなものはあるのかもしれない。

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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演奏会

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久しぶりに演奏会へ行ってきた。 とはいっても、そんな大勢でやるようなものでもなく、パイプオルガンとバイオリンのデュエットだった。 慣れない仕事の中、毎日職場を行ったり来たりで、無味乾燥な日々を過ごしているので、折角稼いだお金で何かをしたいと思いクラシックのコンサートに足を運んだ。

今までロックのコンサートは何回か足を運んだことはあるが、クラシックはあまりない。 しかしどうも最近クラシックへの興味が湧いていて、何か新しいことが始まるかもしれないという気持ちでチケットを購入した。ロックは今まで散々やってきたので、とにかく日常を壊すきっかけが欲しかったのかもしれない。そして今日心を躍らせてコンサートホールへ向かった。 サンシャイン通りででラーメンを食べていたら一曲目に間に合わず二曲目から客席に通されることになった。会場のスタッフはきっちりとしたスーツに蝶ネクタイとかなりフォーマルな装いで丁寧に僕を案内してくれた。ロック畑出身の自分にはなじみのない光景でますます期待が膨らむ。 ロックのライブハウスはまず地下の入口のじめじめした阿片窟みたいなとこところで煙草を吸っている集団がたむろしていて、中に入ると宣伝の壁紙がベタベタと貼られていて汚い。そして、なんか機材かなんかの独特の匂いがある。こういう雰囲気よりむしろ、このクラシック独特のハイソな雰囲気にはとても惹かれていた。

さて配られた曲目リストを見ると大分マニアックそうな曲目ばかりなので(自分にとっては)、はたしてどれほど客がいるか、まぁ数十人というところかと思いきや、コンサートホールにびっしりとお客さんがいる。おそらく数百人はいたんじゃなかろうか。目の前のパイプオルガンも見事な作りで、とはいっても伝統的な感じではなく、白いサンゴ礁のような綺麗な模様がちりばめられていて現代的な感じがした。

曲が始まった。最初はパイプオルガンだけのソロだった。やや音量が小さいようにも感じたが、それでも綺麗だなぁと思った。さすがはクラシック。 曲が終わるとバイオリニストの女性が舞台袖から出てきて、 会釈をした後デュオが始まった。第一声からグっと引き込まれた。「おおっ!」となった。音色がとにかく美しい。ひきこまれるのである。目頭のあたりが思わず熱くなった。「ああ綺麗だなぁ、俺の親はなぜ小さいときにバイオリンかピアノを習わせてくれなかったのだろう。」なんてことを考えたりしていた。「今習うにしても、バイオリンはやっぱキツイよな。大好きな楽器だけど、なにせフレットレスだから絶対音感が無いと厳しい。あれは子供の頃からやってないとだめな楽器だ。じゃあピアノか? ピアノなら案外いけるかもしれない。ジョン・レノンやボブ・ディランだって弾けてる。となると時間か。社会人はなんだかんだ時間がなくて困ってしまう。社会人は大変だ。」 

とさっきまで我を忘れて感動していたのに、いつのまにか思考のドツボにはまり、仕事を忘れるために演奏会に来たのに仕事のことを考え始めたのである。果てには「あのパイプオルガン、楽器といえども建物に備え付けであの大きさだから、工事進行基準で原価計算するのかな」 と会計士の職業病まで発病するありさまだ。 これではいけない、頭を空っぽにするのだ。 Don't think, Feelだ。と思うも時すでに、遅し。認めたくないがこの演奏会に飽きてきたのだった。 この時には「やっぱビートが欲しいよな。ビート。あとデリカシーを欠いたようなホンキートンクピアノとエレキが恋しい。」と、ロックに郷愁をいだいているのだ。コンサートが終わり、いつもより1時間遅い電車に乗って家路についた。電車の中では、ロックギターの神様ことジミ・ヘンドリックスと日本のおどろおどろしい怨念を歌う人間椅子をyoutubeで聞いていた。 僕の日常を破壊する作戦は消化不良に終わってしまった。このコンサートが終われば新しい生活が始まるはずだったのに、一向にその気配がない。 日常を破壊するにしても、破壊した後にはまた別の日常が待っているのである。 いったい救いはどこにあるのでしょうか。アーメン。

 

 

 

 

 

 

 

The two sisters-Clannad

二人の姉妹-クラナド





There were two sisters side by side
Sing aye dum, sing aye day
There were two sisters side by side
The boys are born for me
There were two sisters side by side
The eldest for young johnny cried
I'll be true unto my love
If he'll be true to me

二人の姉妹が並んでいた。

注1)シング・アイ・ダム  シング・アイ・デイ

二人の姉妹が並んでいた

男の子たちは私のために生まれたのよ

二人の姉妹が並んでいた

姉妹の姉は若いジョニーに懇願した

「もし、彼が私に正直になれば、私も愛する人に正直なるわ」

※以下、リフレイン省略

Johnny bought the youngest a gay gold ring
He never bought the eldest a single thing

ジョニーは、姉妹の妹に煌びやかな金の指輪を買った

けれども、ジョニーは姉妹の妹には決して何も買わなかった。


Johnny bought the youngest a beaver hat
The eldest never thought much of that

ジョニーは姉妹の姉にビーバーの帽子を買った

けれども、姉妹の姉は妹の指輪には及ばないと思っていた。

As they were walking by the foamy brim...
The eldest pushed the youngest in...

姉妹が川の際を歩いているとき

姉は妹を川に突き飛ばした

Sister, oh sister give me thy hand...
And you can have johnny and all his land...

「お姉さん、お姉さん、お手をかしてくださいな!

 そうすれば、ジョニーも彼の家もすべてあなたに差し上げるわ!」

Sister I won't give you my hand...
And I'll have johnny and all his land...

「妹、わたしはあなたに手をさしのべるつもりはないのよ!
 そうすれば、ジョニーも彼の家も私の物だわ!」

So there she sank and away she swam...
Until she came to the miller's dam...

妹はやがて沈んでいき、彼方へ運ばれた

粉屋の水車小屋にたどり着くまでは・・・


Miller took away her gay gold ring...
And then he pushed her in again...

粉屋は彼女の煌びやかな黄金の指輪を盗ってしまった

そして彼はまた彼女を川へと投げ込んだのだった

Miller he was hanged on the mountain head...
The eldest sister was boiled in lead...

やがて粉屋は山で縛り首

姉妹の姉は釜ゆでとなったそうな・・・


注1) このフレーズは日本で言えば「あらよいさ」的な意味なので訳さないでおきました。

感想)

最初聴いたときは、この爽やかなメロディーから「きっと村娘の素朴な恋でも歌ってるのかな~」なんて思っていましたが、訳してみたら全然違いました。昼ドラでしたw

姉妹で愛しのジョニーを取り合うものの、ジョニーが愛したのは妹。嫉妬に狂った姉は妹を川に沈め、おまけに見ず知らずの粉屋にジョニーからの贈り物まではぎ取られて・・・

さんざんですね(笑)

実は、この歌、イギリスやアイルランド、の伝統的な歌で、他にも、そこからの移民が多いアメリカやポーランドなどでも歌われているそうです。

ちなみに、この歌、もう一つバリエーションがあって、妹が川に流されているのを吟遊詩人が拾ってその髪の毛で楽器を作り、その楽器が犯人の名前を言うという、なんともシュールな内容のものもあります(笑)