中山康樹さんの思い出 | kobarijazzのブログ

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音楽評論家の中山康樹さんが亡くなって一月が経ちました。2015年1月28日死去。62歳でした。

中山さんは高名な方なので、スイングジャーナル編集長時代から知っていましたが、僕が初めて仕事をしたのは1991年の春、FM東京の衛星ラジオ、ミュージックバードにジャズ専門チャンネルを開設したときでした。四半世紀前ですから彼は40歳前後の若さだったのです。

とにかく頭の良い人で、番組編成会議などで、議論がこんがらがった時など「それなら、こうすりゃいいじゃないですか」と本質をズバリと口にする人でした。それだけに彼を恐れた人も多かったと聞いています。

この時分、彼とは番組制作も含め、複数の縁があり、六本木や渋谷で随分飲みました。クールな人ですから、酔うことはないのですが、深更までお付き合いくださいました。この間に彼が手がけた仕事の一つが六本木芋洗い坂の「Sweet Basil」設立です。これも惜しくも昨年閉店しましたが。

色々あって、彼が文筆一本で立つようになってからは、すっかり書斎の人となり、出歩くことも少なくなりました。

最後に会ったのは2012年の初夏。彼の還暦のお祝いが四谷のいーぐるで開かれたときのことです。いーぐるの後藤さん、イントロの茂串さん、評論家の村井康司さんなど、いーぐる一杯の中山さんのお仲間の集いでした。

最後のジャズ評論家といった風格をお持ちの方でした。

下記は中山さんの新著発行にちなんで「HAMAJAZZ」2012年3月号に書いたものです。彼はこの後もたくさん著書を著しましたが、あくまで2012年時点という前提でお読みいただければと思います。




『ジャズ史の書き換え時期がせまっている』

音楽評論家の中山康樹氏、知り合いなので中山さんと呼ばせてもらうが、彼の近著『かんちがい音楽評論』(彩流社)がめっぽう面白い。先月号で紹介した本『バット・ビューティフル』が、帰らぬ時代への呼びかけとその谺(エコー)であるとすれば、これは現在の日本のジャズ界に対する鉄槌だろう。エコーは懐かしくもまた美しいが、鉄槌は打たれれば痛いにきまっている。

 中山さんは執筆にあたって版元の編集者に「全員を敵に回しませんか」と言われたそうだ。これは使嗾ではないか。挑発、そそのかし、けしかけ。この人は編集者として有能だ。「よーし、一丁腹をくくるか」と筆者に思わせたらしめたものだ。中山さんもさるもので「もう回してますけど」と答えるとこの編集者は「もっと」と言ったらしいから二人とも言論人として度胸がすわっている。中山さんはファンも多いが、確かに敵も多いひとだ。『マイルスを聴け!』から始まる「聴け!」シリーズはビル・エヴァンスを経てボブ・ディラン、桑田佳祐に及ぶが「お前から言われたくない」と反発するひとが多いときいた。一見上から目線の命令形だから抵抗を覚えるのかもしれないが、熟読すればあえて偽悪の仮面をかぶってものを言う中山さんの真摯な気持ちが伝わってくる。

 『マイルスを聴け!』にしてもそれまでのジャズ評論が概括してきた歴史観を突き抜けて「マイルスも一人の人間、誰かさんが作った鋳型(ジャズの帝王とか)にはめてみないでくれ」と言っている。ならば『レコードに残されたマイルスの真の人間像』とでもタイトルすればいいようなものだが「聴け!」。あくまで「聴け!」。これは一流の音楽にたいしては、一流の聴き手たるべしという中山さんの基本的な音楽観、あるいは評論家としての職業観である。はげしい聴きこみとそれを文字にする苦闘を経験すれば、こもごも至って、多言を要するよりあえて居丈高を装いたくもなるのだろう。だから「聴け!」なのだ。

 『かんちがい音楽評論』はこういう意識をもつ中山さんの打ち鳴らす警鐘でもある。旧態依然の守旧派の一方には、放恣に音楽を使い捨てにする刹那主義の一群がある。ライヴしか聴かないひとの一方にはレコード命のひとも。善導者による啓蒙時代はとっくに終わっており、初心者は何を信じていいのかわからない。評論家は業界と癒着し感受性と筆力を磨くことを忘れている。その間を活字メディアにもネット上にも半可通による無責任な(というより無益な)言葉が飛び交う。だからますます混乱する。

 中山さんはここに鉄槌を下すわけだが、その言葉に説得力があるのは彼がジャーナリストとして筋を通してきたからだ。ロックに明け暮れた少年時代、マイルスの追っかけをやった青年時代。「スイングジャーナル」に入社し、ヴェテラン執筆陣も震えあがらせる名編集者として名を馳せ、ついには編集長をつとめる。ここまでなら音楽好きの青年の成功譚だが、中山さんの振る舞いの潔さは音楽評論家として独立した後の進退だ。筆一本で生きる覚悟を決めると業界との交わりの大部分を断ってしまう。たとえばレコード業界と交流すればスピーディな情報提供などの便宜を受けることもあるだろう。それ自体は悪いことではないが、つきあいが深まれば批評の切先が鈍くなるのが世の常であって持すべき公正は失われる。いわんや会社持ちの「飲み会」などは論外なのだが、頻々とおこなわれていること、私は隣接業界にいたからよく知っている。だから邦盤ジャズに愚作なしという奇態を招いた。洋物や故人の作品には厳しいことを書く評論家でも、日頃の個人的なつきあいがあったりおごられたりではね、ものが言えなくなる。
 中山さんはまずここに一線を引く。次にネット上を行きかう言論。ネットでは誰でも発言できるが、玉石が不規則に分布する無法地帯でもあるから言辞に重量感がなく、相対的に評言の価値を下げたと彼は見ている。

 次いで「ジャズ入門書」「ジャズ雑誌」のかんちがいに言及し耳の痛い言葉が連なるが、本書の白眉は第4章「ジャズ史観のかんちがい」だろう。このなかに「油井正一的ジャズ史観の限界」という項目がある。油井さんが名高い『ジャズの歴史物語』(現在ではアルテスパブリッシング社から復刊)をスイングジャーナル誌に連載したのは1967~72年で連載終了間もなく同社から単行本として出版されている。学生時代に第一回から愛読した私は自分のジャズ観まで規定されてしまうほど影響を受けたものだ。それも神ならぬ油井さん(と彼が属し把握した時代感覚の及ぶ範囲)の受容能力には限りがあるという自明のことを忘れるほどに。著述のあまりの見事さに目が眩んでいたのだが、どこか漠然とした違和感が残ったことも事実だ。巧妙なマジックを見せられたような違和感。解明すればこんなことだろう。例えば本書は単行本化されて40年だが、刊行時から遡る40年前は1932年なのである。1932~1972年(油井さんが概観した時代だ)と1972~2012年(『ジャズの歴史物語』以降の時代)の距離が等しいとは私には到底おもえない。前者のデューク・エリントン「スウィングしなけりゃ意味ないよ」からマイルスの「オン・ザ・コーナー」までの豊かさ!一方後者は?

 これが油井マジックである。油井さんは1998年まで存命したが、ご自身が耽溺した時代のジャズとそうでないものに対するときの温度差が大きい。惚れ込んだものを紹介する熱量の高さは、歴史家の法を超えている。

 油井史観が残した影響力とは功罪あってこういうものだが、裏返せばその後のジャズ評論家の怠慢が浮き上がらないか。村井康司氏に『ジャズの明日へ』(河出書房新社)という好著があるが、これもすでに出版から12年が経とうとしている。中山さんがここに(単行本の一章だが)「ジャズ史観のかんちがい」を提示してくれたことは画期的である。ニュー・オルリンズから今日まで、ジャズの営みは決して不連続ではないと捉える私としては、ご苦労ではありますが中山さんに21世紀の視点からジャズの通史を書いていただきたいと思う。このための情報は油井さん当時とは比較にならない質量が揃うと思うが、重要なことは過去の価値観を縦横に検証して、この上に新しい中山史観をたてることだろう。中山さんが書けば間違いなく逼塞したジャズ界に風穴を開けると思う。それが後世に向かって中山マジックとして作用することがあってもいいではありませんか。歴史は常態として書き換えられ続けるべき宿命をもつものなのだから。