昼休み、運転して、実家へ。
会議をこなし、母を乗せて駅前のスーパーOXへ。
東急沿線の方々には認知度が無いスーパーだが、
小田急商事が経営する、老舗スーパー。
高齢化がますます進む玉川学園駅周辺住民に合わせ、
少量、小口、厳選品が置かれており、
先が短い母のような世代は、
「どうせなら、少しだけでいいから良いものを食べて逝きたい」
と、このスーパーを選ぶことが多い。
私なら、近くの三和で充分だ。
少しでも節約して19年残るローン返済に回したものだ。
初めて訪れる小料理屋さん。
亡き父の名前の文字を冠した新進気鋭のお店で、
母も喜んだ。
エレベーターが無いので、階段では一苦労したが、何とか入店。
17:30 まだ誰も来客ないこの時間に、テーブルに着く。
広々とした店内、暖簾も風に揺れ、空気の循環も完璧だ。
運転手にはノンアルを、母と私でビールを飲むことになった。
合流を目論んでいた娘からLINE。
「21時まで仕事。何かテイクアウトできたら、お願いします!」
良く働く娘で、社内規定の残業時間制限に引っかかり、
10月は残業をしないように上司と調整しているとのことだ。
やはり、血か。
猛烈に働き、余暇には徹底的に遊ぶ。
いいことである。
お通しで、卵焼き。卵焼きで高い値段出す店もあるが、私のお腹のように、太っ腹だ。
とにかく腰の低い店主、店員さん(親子では?)で、
いちいち蘊蓄など上から目線で語らない。そして、リーズナブルな価格。
これぞ、居酒屋の鏡、である。
生意気でエラソーで値段だけ高い店がたまにあるが、
イヤミ言わせたら、かなりの偏差値高い私にかかったら、
労働意欲無くすほど、笑顔で干してしまうだろう。
母でも楽に食べられるだろう、あん肝タワマン(笑)
こんなに美味しい料理を食べていると、やはり21年前に早世した父を思い出す。
酒をこよなく愛し、母の決して上手ではない料理でも、
オイシイ、オイシイと食べた父。
極、という字の付与を避けがたいほどの貧乏をしたからこそ、
食べられる喜びと幸福感を噛みしめ暮らした、母と、父であった。
比較して自分の安穏に感謝する思考は真向から否定したい自分だが、
身内なら許されるだろう。
やはり両親の苦労した茨の道に比べたら、私など、
格安赤ジュータンの端っこの縫い目の上だけでも、
ゆらゆらと足を外しながら、歩けてきたのかもしれない。
酒を飲めない男は、正直、世の中では無価値に近い。
一口、ひと舐め、でもいいから、飲食店、とくに和食を専門にする店に来たら、
オーダーすべきだし、その位はするべき、
というのが私の居る世界でのコンセンサスだ。
家族で和食屋に来て全員で「お茶、いただけます?」ってやっているのに出くわしたら、
メガバンクの支店の金庫開けさせて、
そこで死ぬまで暮らしてろ、と言われてしまうだろう。
もう一度言うが、最低限、一杯だけでも許すから、
酒は頼め。
酒の飲めないのと一緒であれば、
「ちょっとだけ、飲みたくなったなァ」と呟けばいい。
仲居サンには
「下戸だから残すかもしれないけど、
このお料理前にしたら、飲みたくなるねぇ」
と、ちらっと言える男になろう。50歳越えたら、ね。
私は飲食店の回し者ではなく、実に厳しいユーザー側には居る。
ただ、顧客とサービス側は、平等であるべき、とは思っている。
嘘っぽいほど持ち上げてくる店は、
私の会社の役目とか、
(地獄に陥っているけれど)むしり取ろうとしているカード、
に興味があるのであって、
人間としての評価で付き合って居るとは、到底思えない。
だから、ありがとう、というコトバは、客人こそが店側に言うべきで、
そして、店側は-当然のように-、謝意を述べるのが、常識というものだ。
私が出入りする店のほとんどが、
客人が店側に真っ先に頭を下げる店が、ほとんどだ。
なぜか。
それだけのモノ、空間、質、喜びを、
常に、与えてくれているからである。
頭を下げられてばかりの男とは、別れなさい。
頭を下げることを知らない男とは、一緒にいることを恥じなさい。
頭を下げることを自然にできる男は、男の中の、男だ。
女??
女は、そんなにペコペコしないでいい。
女は、男の宝物なのだから、堂々と美しくしてれば、いい。
母が驚く。
「あなた様は、この店は、初めて?」
だから、さっきから言っているだろう、今夕が初めてだ、って。
耳が悪いからどこまで理解していたのか、怪しいねぇ、
と、たしなめると、
「美味しいねぇ、美味しいねぇ」とサクサクやっている。
家人には娘へのテイクアウトの注文をさせて、
私は、日本酒に移行だ。
二重生活、という響きは、悪くない。
一夫多妻制、というのは、良くない。
私は、一夫多才でありたい、と思っている。
実家に来れば、こうした楽しみがある、となれば、
また実家へ帰ってきたくなるものである。
奥地バダイに住めば、薄暗いマンションのドアを開ければ、
徒歩一分で回転する寿司レーンを前に緑茶が飲める。
徒歩一分で78円のカップラーメンが買えるドラッグストアがある。
徒歩二分で緊急病院がある。
徒歩三分で、フリードリンクコーナーで、スタバやポールより美味い
コーヒーが楽しめるのだ。
テレワークで二重生活。
悪くない。
このお店の屋号は、「しょう」と発音するらしい。
帰ろうとしていたら、ようやく御年輩の夫婦が来店した。
「久しぶりね、ようやく、来れたわよォォォ」
奥さんのほうが良く喋る。
これもザ・小国・ニッポンで見かける、あるあるな風景である。
女は店側に媚びようとするばかりに、
実は店側からすると、ちょっとズレた発言をする傾向にある。
あくまで、傾向だ。
男は媚びるよりも、つっけんどんとなったり、
他愛の無い会話が出来ずに、「ちょっと面倒なひと」と思われがち、だ。
私なども苦労する点である。
込み入った話に生きてきただけに、他愛の無い話が、男はニガテなのだ。
定年したら、(資産家以外は)込み入った話は、ほとんどない。
どうでもいい世間話ができるように、精進したいものだ。
毎夜宴席だったコロナ以前の生活を模擬的に再現するこの企画、二日目。
初めての来店だったが、感激しながら店を出て、階段を降りた。
母の歩行をサポートしながら、、、、、、、、
さてさて、翌日は三週間ぶりの、出社である。