〝王朝女流文学開花の条件〟① | 好文舎日乗

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本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

そんな頃、三谷栄一・山本健吉編『日本文学史辞典 古典編』(角川書店 1982.9)を見つけた。角川小辞典シリーズの1冊である。国文学科への進むことを決めていたので、迷わず購入した。「中古文学の概観」(7279頁)から、王朝女流文学開花の条件をとして考えられるのは、①後宮文芸サロンの形成、②国語表記の獲得(仮名の発生と流布)であることを知った。

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(前略)摂関政治体制は政治や経済等さまざまな点において私的なものを喚起したのであるが、この政治体制は、婦女子を天皇の後宮に入れ権力と栄華を誇るものであったから、それ故後宮の果たす役割を大きくし、その後宮は平安文学を形成する場である文芸サロンとなった。後宮文芸サロンと言われるのは、禁中に入内した皇后・中宮・女御などの妃や、賀茂神社に奉仕する斎院、伊勢神宮に奉仕する斎宮、あるいは摂関家の姫君を中心として、そこに仕える女房や集う貴族によって形成されている。そこでは歌合・物語・日記などの創作・書写などが行われ、またそこに集った女房や貴族達の恋愛を中心とした贈答歌などの和歌が詠まれている。

中古文学が形成される場の問題とともに、この期の文学形成に重要な役割を果たしたのは、国語表記を獲得したことである。前代までの表現の困難さを克服し、わが国の人々の感情を隅々まで表現することを可能にしたのは、仮名文を生み出したことによる。この仮名文は平安前期に当る9世紀後半に確立したと考えられているが、漢文から仮名文へという移行は、公的なものから私的なものへの移行のなかでも、文化史的に大きな出来事であったといわなければならない。仮名文の発生は、国語を口語によって表現することを可能にした。一般に散文小説は、口語表現が可能にならない限り発生しないものだと言われているが、中古文学はこのようにして散文小説への道を開き、物語文学や日記文学、また随筆文学を生み出していった。

仮名には草仮名と片仮名があるが、草仮名は一般に「女文字」といわれている。今日のひらがなの母胎となる草仮名は、女性の間に使われはじめた。この草仮名の常用流布に伴って和歌や消息などの仮名文が表記しやすくなり、時代思潮の国風化とともに、男性にも使用されるに至ったものであろう。この草仮名発生の時機も平安時代前期のこととして位置づけられる。(76頁)

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『日本文学史辞典 古典編』は良質の文学史辞典で、そのわかりやすい解説は、当時高校生であった僕にもよく理解できた(後年、修士課程受験の際も大いに役立ち、後輩たちにも貸したり、購入を勧めたりした。現在は絶版であることが惜しまれる)が、疑問が解消されたわけではなかった。①に関して言えば、後宮という性格上、歌合が行われたり、「そこに集った女房や貴族達の恋愛を中心とした贈答歌などの和歌が詠まれ」たりすることはわかるが、なぜ「物語・日記などの創作・書写などが行われ」たのかが、まだよくわからなかった。②に関して言えば、院政期や中世においても、相変わらず、仮名文は常用されている。にも拘らず、どうして女流文学は衰退したのか、という問いの答えにはなっていないと感じた。こういった疑問は己の無知から来るものかもしれない。大学で専門家による文学史の講義を聴いたり、図書館で専門書を読んだりする必要性を強く感じたのである。