〝誰にでも出来ることなんか……〟 | 好文舎日乗

好文舎日乗

本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

翌日、大学へ向かうバスに乗っていたら、Cさんが声をかけてきた。

「おはようございます。昨日はありがとうございました」

「あ、おはようございます。これから授業ですか?」

「今日は午前中だけなので、午後から図書館に籠もろうと思っています」

「相変わらず熱心ですね(笑)」

「1つ質問させていただいていいですか?」

「どうぞ。僕にわかることですかね?」

「例えば、〝亭子院〟が〝宇多天皇〟だって偶然知っていたからよかったですけど、こういったのは、『国史大辞典』や『和歌大辞典』なんか確認するんでしょうか?」

「勅撰集歌人の場合なら、『続群書類従16輯下 和歌部』所収の『撰集作者異同考』が「同姓同名諱」「異姓同名」「僧同名」「女房同名」などに分類されてます。あと、名古屋和歌文学研究会編『勅撰集 付新葉集作者索引』(和泉書院 1986.7)が参考になる。『私撰集作者索引』(和泉書院 1996.3)もあります。でも、伊地知鐵男編著『日本古文書学提要 下巻』(大原新生社 1969.6)の第3部〈古文献利用の便蒙〉の〝(五)法号・称号・異称索引〟をコピーして持っていればよいでしょう。この〈古文献利用の便蒙〉はとても便利な手引書で、他に〝(一)古記録用語特殊解〟〝(二)古記録用語「難訓索引」〟〝(三)記録異名索引〟〝(四)日記一覧〟〝(六)主要補任一覧〟〝(七)神宮寺異名(音引き)〟〝(八)寺院異称・異名〟〝(九)特殊文庫一覧〟〝(十)異・略・俗字体文字集成〟〝(十一)片かな字体〟〝(十二)草かな字体〟〝(十三)かな連字体〟〝(十四)書状用語の連字体〟が収められていて重宝します」

「古文献利用の…何でしたか?」

「〈古文献利用の便蒙〉です」

「ベンモー?」

「〝童蒙〟に〝便〟である、つまり初心者のためにわかりやすく書かれた便利な本、手引書のことです」

「すみません、ドーモーって何ですか?」

「〝童蒙〟は幼くて物の道理を知らない者、子どものことです」

「あ、だから〝童蒙〟なんですか! あの、そういうことって、どうしたらわかるようになるんでしょうか?」

「〝童蒙〟ですか? 辞書をこまめに引いてくれれば……」

「そうじゃないんです。伊地知鐵男編著のこれがいいとか……。A先生はそういったことは何も教えてくださらなくて……」

「僕も誰に教わったわけでもありませんよ。自分で憶えたんですから」

「自分で憶えたって、どうやってですか?」

「先生の研究室を訪ねて話している時などに、耳は先生の声に集中させながら、目は背後の本棚をチェックするんです」

「本棚ですか?」

「あ、A先生はダメですよ。雑誌と古典文学全集、研究書の類ばっかりで、基本文献が揃ってないから。説話文学のB先生の本棚がいいです。あの研究室の両面の書架は勉強になります。それと、古本屋を回ったり、図書館に籠もったりして基本的な文献を実際に触りながら知るってことですね。新刊本屋だけでは勉強になりません。2、3年前は学部生に呼びかけて古本屋巡りをしたものです。それと、僕は大学1年生の秋から、附属図書館の課長さんの許可をもらって、自由に書庫に出入りしていました」

「すごいですね!」

「いや、最初は閲覧カードをいちいちカウンターで渡してたんですが、あまりに頻繁に書くもんだから、特例として許可するから、自由に入ってくれって言われたんです。単に面倒臭かったんでしょ。それからは講義をサボって書庫で過ごすことが多くなって、3年生になる頃には、国語・国文と漢文学に限れば、どこにどんな本や雑誌が置いてあるか、すっかり憶えてしまいました。適当な課長さんのお蔭で力がつきましたね(笑)」

「すごいです。お願いです! 夏休みにでも古本屋巡り、是非企画してください!」

「わかりました。考えておきます。伊地知さんの本、図書館になかったら、院生室の僕の机にありますから、来てください。あ、下巻だけなら、B先生の研究室にもあったな」

「下巻だけがですか?」

「下巻の価値、その有用性をわかってるんですよ。さすがB先生!」

周りの学生が動き出した。ふたりで話込んでいるうちに、バスは大学に到着したようである。

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それから1週間後、ゼミ生15名のレポートが提出された。結論から言えば、A教授に「〝読みのセンス〟がない」と評されたCさんのものが一番よかった。抜きん出ていた。これに対して、「この子たち、センスがあってね。ウチのゼミのホープなんだよ」とA教授が称揚した2名の女子学生は、辞典類の切り貼りで誤魔化しており、その出来は特にひどかった。僕は迷わずに最低点をつけた。後から聞いたところでは、「あんな誰にでも出来ることなんかやっても意味ナーイ!」と言っていたらしい。A教授も彼女らの言葉に同意していたとか。「誰にでもできること」が出来なかったということをもっと深刻に受け止めるべきであろう。脆弱な基盤の上に打ち立てられた「読み」に、いったいどれ程の価値があるというのだろうか。