読書嫌い① | 好文舎日乗

好文舎日乗

本と学び、そして人をこよなく愛する好文舎主人が「心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつ」けた徒然日録。

尾木直樹が『教師格差』(角川oneテーマ21 2007.6)で、「教師は本を読まない、ということは、いまや出版社や書店の嘆きにもなっており、筆者の経験からも確信に近くなっています。(中略)PISA(OECDによる生徒の学習到達度調査)などの国際学力調査においても『日本の子どもの読解リテラシーが足りないこと』が指摘されていますが、教師たちがすすんで本を読まないのに、子どもの読解力を高めることなどできるのでしょうか。教師が本を読まないという事実は、子どもの読解リテラシーの低下だけではなく、〝教師の学力低下〟問題に結びつけて語られても仕方のないことかもしれません」(48)と述べている。


高校時代、僕が最も信用できなかったのが国語と社会の教師であった。
スポーツ嫌いの体育教師はいなかった。
音楽嫌いの音楽教師にも出会ったことがない。
英語嫌いの英語教師や数学嫌いの数学教師の噂も聞いたことがない。
しかし、読書嫌いの国語教師や社会科教師は、掃いて捨てるほどいた。国語や社会の教師が読書嫌いというのは致命的であろう。大学時代の仲間で教員になっていった者の多くが読書にはあまり熱心ではなかったように思う。


松永暢史が『中学入試国語選択問題ウラのウラ』(主婦の友社 2006.11)の第一章で「国文学科出身者は、知識暗記の力ばかりを磨き、現代文の読解がやや足りぬ者がほとんどです」(16頁)とか、「国文学科は力がなくても進学できる学科の典型です」(16頁)などと述べているが、僕の経験から言っても、この指摘は正しい。


「わが国の国語教育は、国語のできない者たちによって担当されていると言っても過言ではありません」(17頁)という松永の言葉を「暴言」だと感じられないのは、僕がこれまでに多くの国語の出来ない国語教師に出会ってきたからなのであろう。