私は、会社員時代に病院向けのシステム業界で仕事をしていました。提案営業やプロジェクト会議などで年間100回以上はプレゼンテーションを行っていましたが、そのほとんどが民間病院を相手にしたものでした。
特に大きな理由はなく、たまたま民間病院の仕事が多かったのです。
しかし、36歳の時に自治体病院だけに特化した会社の支援をすることになりました。
自治体病院というのは、○○県立病院、○○市立病院のように地方自治体が運営している公的な病院のことです。
私の使命は、システム事業、コンサルティング事業の立ち上げでした。
一応その会社に社員としての籍がありましたので、契約社員という感じでした。

関東地方はもちろんのこと、東北、関西、四国などいろいろな病院にプレゼンに行きました。
そんなある日、某県の中核である県立病院のプロポーザルに参加するという指令が出ました。
いわゆるコンペです。
その時は、最終的に12社での争いになりました。
私は、プロポーザル仕様書を詳しく読み込み、それまでの経験とノウハウをフル活用して渾身の提案書を作成しました。過去に数多くのシステムプロジェクトを手掛けていましたので、私が自信を持って完成させた提案書でした。
ところが、その数日後、その会社の専務に呼び出されました。
私は、お昼でもご馳走してくれるのかと思い、軽快なステップで専務室に入りました。すると専務が実に穏やかな口調で一言つぶやきました。

「伊藤君・・・これではこの案件取れないね~」

そのあまりに穏やかな口調と思いもよらない言葉に面食らったのをはっきりと覚えています。
私は、あまりに意表を突かれたため、全く反論などせず「どうしてですか?」と聞き返しました。
理由は至ってシンプルでした。
「だって提案の内容が仕様書の順番になっていないよね~」
「公務員はね、仕様書の通りに採点表を作ってその順番でしかチェックしないんだよ~」
「僕が役人OBだから間違いないよ~」
まさに目から鱗とはこのことでした。
民間病院を中心に仕事をしていた私には全く分かりませんでした。
私の感覚だと、民間はあらかじめ提示された仕様をきちんと踏まえていれば、多少の順番が違っても提案全体を理解してくれていましたし、実際にそれで何件も受注を取っていました。
しかし、自治体の公務員は全く違っていました。
僕がOBで長年そうだったんだから間違いないと言われたら疑う余地などありません。
確かに役所の事務手続きもそうかもしれません。記入欄のミスや漏れが一つでもあれば、受け付けられません。それと同じことです。考えてみれば、公務員はそれが仕事ですから当然と言えば当然ですね。

それまでの私がいかにどんぶり感覚のプレゼンをしていたか思い知らされました。
そして、相手の環境によって受け止め方が大きく異なることを腹の底から思い知らされました。
その後、私はそのアドバイスをもとに提案書の内容を修正し、実際にプレゼンテーションを行いました。
結果は見事「受注」でした。しかも、他社に圧倒的な大差をつけての勝利だったと、後日プレゼン審査員を務めた看護師さんに教えてもらいました。
当時、その会社は新規事業の立ち上げ中でしたから、主だった実績などほとんど無い状態でしたから、そのことも私は誇らしかったのをよく覚えています。
しかし、この勝利は、実はプレゼン会場ですでに予感めいたものがあったのです。
当日、後ろから2番目のプレゼンだったのですが、私は必要以上に早く会場控室に乗り込んで、壁越しに各社の発表に聞き耳を立てていました。ちなみにそんな不格好なことをしているのは、私だけでした。
そこで分かってしまったのです。
ほとんどの会社が仕様書の順番を律儀に守らずにプレゼンをしていることを。
業界大手の会社も歴史のある老舗企業もみんな自分の都合で提案を行っていました。
おそらく各社とも必要項目は全て含んでいるから問題ないだろうということだったのではないでしょうか。

物事を知らないというのは、こういうことなのだと思います。
そして相手を良く知るとは、こういうことなのだと思います。
この出来事以来、私は、プレゼンはとにかく相手が命、相手の中の中までとことん見るようになったのは言うまでもありません。
私は今日、一つのプレゼンテーションを聴いてきました。
いろいろな人のプレゼンテーションを聴くことは、とても良い研究になります。
そして、人によってさまざまなプレゼンテーションがあります。

面白いプレゼン、退屈でつまらないプレゼン
思わず惹き込まれるプレゼン、何の興味も持てないプレゼン
あっという間に時間が過ぎるプレゼン、時計の進みがやたら遅いプレゼン
もっと聴きたいと思わせるプレゼン、やっと終わったと感じるプレゼン
当然、後者よりも前者の方が良いに決まってます。
皆さんそれを目指していろいろと試行錯誤をされていると思います。

では、どうすれば聴き手が面白いと感じ思わず惹き込まれるプレゼン、あっという間に時間が過ぎてもっと聴きたいと思わせるプレゼンができるようになるのか?

それは、プレゼンターの頭の中にプレゼンくんがいるかどうかだと私は思っています。
プレゼンくんって何?と思うでしょう。
プレゼンくんとは、私にとっていわばマスコットキャラクターのようなものです。
そして、常にプレゼンを作る時に近くにいて横からかわいい声でコメントをしてくれます。
「わぁーそんなにすごいんだねー」「なるほど実はそうなってるのかー」「あーそれは意外だったなー」「そうか、それなら僕でもできそうだ」「なるほどこれなら簡単だね」という感嘆の声を発してくれます。
これは、実際にプレゼンテーションを行った時の聴き手の心の声をプレゼンくんに代行してもらっているのです。しかも、小難しいコメントではなく、極めてシンプルな感嘆の声です。

やはり、プレゼンテーションには意外性が不可欠です。
何となく想像がつくことや一般的に有名な理論や法則を聴かされても何のありがたみも感じません。
今まで誰も考えなかったこと、誰も言わなかったこと、誰も気づかなかったことが無ければ、面白いプレゼンになりません。聴き手はその話にありがたみ、価値を感じ取ることはできません。
そこで自分のプレゼンの中に意外性のあるポイントが存在するかどうかを確かめてくれるのが、プレゼンくんなのです。

もし、プレゼンくんが何も感嘆の声を発するところが無ければ、あなたのプレゼンには意外性がありません。そうなると実際のプレゼンでも聴き手は同じような反応しかありません。
そこではプレゼンくんに何と言わせたいのか?もう一度そのことを良く考えてみてください。

ただし、それは深く難しく考え込むことではありません。

プレゼンくんです。
幼稚園児が夢中になるようなかわいいマスコットキャラクターです。
体長5cm、年齢10歳ぐらいのプレゼンの妖精だと思ってください。
シンプルにです。簡単にです。簡単に感嘆の声を考えてください。
これがいわゆる「小学生でも分かるように」ということにつながるのです。
是非、お試しあれ。
今日もコンビニに行きました。昨日も行きましたし、明日もたぶん行くでしょう。
おそらく皆さんも日常的にコンビニ行くことは多いでしょう。
私は最近、コンビニに入るととても気になることがあります。
それは店員さんの挨拶です。
「いらっしゃいませーこんにちはー」「いらっしゃいませーこんにちはー」「いらっしゃいませーこんにちはー」「いらっしゃいませーこんにちはー」「いらっしゃいませーこんにちはー」
店員の数だけ全く同じ挨拶が聞こえてきます。
中には、品出し中の人がこちらの顔も見ずに言ってくることもあります。
素晴らしいマニュアル!素晴らしい徹底ぶり!素晴らしいスタッフ教育!でしょうか?

以前、あるお店で挨拶が悪かったのか、対応が悪かったのか、一人の頑固そうなおじ様がクレームをつけていました。
「この店はマニュアルが無いのか!」「マニュアルの徹底がなっとらん!」
相当マニュアルが好きなお方のようで、傍から見ていてちょっと可笑しかったです。
そもそも挨拶が無かったことに怒っているのか、マニュアル通りやらなかったことに怒っているのか、よく分かりません。
マニュアルで決められたことを言われてそんなに嬉しいでしょうか?
マニュアルってそんなに大事でしょうか?
みんな同じというのは気持ち悪くないでしょうか?
確かに、危険が伴う作業などではマニュアルをしっかり作って、それを全員が徹底的に守るということはとても大事なことです。しかし、人とのコミュニケーションについてはマニュアルではなく、もっと気持ちとか一人ひとりの個性を重んじても良いのではないかと思います。

プレゼンテーションも同じことです。
確かに他人に自分の意見や考えを伝える場合に最低限のルールは大事です。
それは本当に最低限のものであって、言ってみればごく当たり前のレベルです。
それを無理に「説得の方法」「相手を惹きつけるテクニック」なんて考えようとしてしまうのでプレゼンテーションが小難しくなってしまうのです。そして、みんなが同じようになってしまいます。
しかし、伝え方にマニュアルを求める人は意外と多いものです。
所詮、与えられたマニュアル通りに作ったプレゼンテーションなど何のオリジナリティーも面白みもありません。
それでは、コンビニの店員の挨拶と同じです。
もっと自分の感情に素直に訴えて、相手に素直に表現することを考えた方が良いかもしれません。
要は、ルールと感情のバランスを取りながら取り組むことが大切です。
もっとお客さんの顔をよく見て、思わず口を突いて出てくる言葉を伝えれば良いと思います。

そんなことを考えながら日々コンビニへ行くと、プレゼンの勉強にもなりますよ。
ちょっとだけですが。
「もらう人ではなく、与える人になりなさい」

これは、母方の亡くなった祖母が自分の子供、そして私たち孫の世代にも繰り返し言っていた言葉です。

世の中には二種類の人がいる。もらう人と与える人。
他人から何かをもらうととても嬉しい、それは間違いない。
しかし、それを与えた人はもっと嬉しい。
だから、お前はもらう人ではなく、与える人になりなさいということでした。

この言葉の意味を端的に具現化した形が起業です。
母方の家系には、起業家がたくさんいます。
祖母から見た子供世代に2人、私を含めた孫の世代でも3人います。
何よりまず祖母自身が昔はホテルの社長をしていましたので、まさに起業家系です。
今となっては笑い話ですが、祖母と私が九十九里の海岸線をドライブしていた時、
「ここにおしゃれなホテルを建てたら儲かりそうだ。やろうかな~」と言っていました。
当時、すでに80歳に手が届きそうでしたが、何とも頼もしい起業家精神です。

最近は世の中に多くの情報が溢れ過ぎています。
特にFacebookなどに代表されるSNSでは個人が自由に発信しています。
私は、そうした情報の嵐を眺めているとこの「もらう人」と「与える人」を思い出します。
もらう人は常にもらい続け、与える人はいつも何かを他人に与え続けています。
もらう人は「やったーもらったー嬉しい」と言い続け、与える人は「今日も与えることができて嬉しい」と言い続けています。
さらに特徴的な事は、もらう人は「もらって自分が嬉しい」と言っていて、与える人は「もらってくれてありがとう」とその相手に御礼を言っていることです。
もちろん、与える人もたまには他人にもらうこともあるでしょうから完全に100%とは言いませんが、このような傾向が非常に強いことが分かります。

やはり、いつの時代も、どんなものが流行っても、世の中はもらう人と与える人の二種類に分かれるようです。
これは別に善悪の問題ではなく、その人のあり方なので誰が強制することもありません。
たまたま私の母方の家系では、与える人カルチャーが重んじられていただけです。
しかし、一度立ち止まって考えてみるのもわりと有意義なものです。
プレゼンターも言ってみれば与える人です。講師もやはり与える人です。
今こうしてプレゼン講師として活動しているのは、祖母のDNAが生きている証拠でしょうか。

そんなことをちょっとだけ考えながら本日のセミナー資料を印刷しています。
先日、知り合いの社長さんから相談がありました。

「うちの社員は、ただ仕事しているだけでお客さんに提案して仕事を新たに作り出すことができない。何が原因?どうしたら良い?」というものでした。
その会社は、以前、私がコンサル的な立場でサポートしていたのですが、その時も大きな課題として社長さんは頭を抱えていました。その後も全く変化が無いようでした。

この「提案ができない」という状況、原因は大きく二つ考えられます。
一つ目は、そもそも提案などする気がないということ。
日々、決まった仕事を繰り返しているのが楽だから、それに浸っていたいという状態です。これは、仕事と言うより作業ですね。決まった時間に出社して、決められた作業をつつがなくこなし、時間が来たらおウチへ帰るというパターンです。ある意味幸せかもしれませんが、私はすぐに飽きてしまいそうですし、なんか太りそうです。

そして、二つ目は、提案の方法が分からないというものです。
「そりゃ、できれば自分だって提案の一つぐらいしたいさ、だけどどうやったら良いのかが分からない」というケースです。私は、意外にも(?)こちらの理由の方が多いと思っています。提案という言葉って実に幅が広いものです。道具を使うわけでもないし、書類の所定の欄に記入したから成立するものでもありません。しかも良い提案となると、ますます意味が分からなくなってきそうです。

私は、提案ができる人とできない人の違いは「法則」にあると考えています。
まず、提案ができない人というのは、身の回りに起きるさまざまな事象から法則を編み出すことができません。どんな事柄に対しても、いつも漫然としてしまい、単純に右から左へ受け流すことしかしていません。
一方で、提案ができる人は、そうした身の回りの事象から法則を編み出すことができます。さらに、提案ができる人は、自分の中にいろいろな法則を増やして自分ライブラリーを作る努力をしています。つまり、あらゆる事象に対して常に観察、分析の目を持って、原因や解決策、予防策を考える姿勢が身についています。
その結果、お悩みを抱えた人に対して、自分ライブラリーの中からピッタリな、あるいは一番近いであろう法則を選び出して、原因を明らかにした上で解決策や予防策を示すことができるようになります。

これがいわゆる「提案」ということです。
さらに、その提案が相手にとって本当に最適なもので、最短且つ完璧に解決、予防が図られれば「良い提案」だったということになるわけです。
つまり、その場で問題点や相手の状況だけをいくら考えても、提案はなかなかできるようにならないということです。日頃から常に法則を編み出す目を持って、物事に取り組むという蓄積が必須になります。今すぐ目の前に提案する必要性がなくても、また将来的にあるかないか分からなくても、いつも編み出す目を持っていなければならないということです。

したがって、提案しろ!提案しろ!と社員や部下に口うるさく言っても、その問題自体が解決することはありません。だいたい強制された仕事ほどロクなものはありません。もっと根本的な原因を考えて、日頃の姿勢から変えていかなければなりません。今回ご相談をいただいた社長さんに、そのあたりのことを「提案」したいと思います。
みなさんは、プレゼンで失敗したことはありますでしょうか?
それも、ちょっとやそっとの失敗ではなく、悲惨な泣きたくなるような大失敗です。

私は、過去に2回、大事なプレゼンで目も当てられない大失敗を経験しました。
1回目は、20代の後半、病院に対するシステム提案のコンペのプレゼンでした。場所は、和歌山県の南紀白浜、私は東京からの出張だったので、前日に現地入りしてオーシャンビューのホテルで宿泊までして当日を迎えました。
どんな失敗だったかというと、時間が全然足りませんでした。というより、私のプレゼンが完全に時間オーバーのため途中で打ち切られました。それも全体の約4分の1程度しか説明できなかったという惨状です。しかも、当日は社長、常務、現地の支店長と社員が固唾をのんで見守っていた中での惨状です。目も当てられないというか、あまりにお粗末な結果に一同唖然としていました。

2回目は、某大学病院におけるプレゼンでの大失敗です。この時もシステムに関する説明をしたのですが、私の用意した内容と聴き手の要求が1ミリも噛み合わず、20分間のプレゼンに対して40分間あちこちから質問が噴出するという事態に陥りました。しかも、この時は500人の聴衆を目の前にしての失態でしたので、質疑応答にプレゼンの倍の時間がかかってしまいました。結局、私の説明には何の意味も無かったということです。500人の期待を見事に裏切り、明後日の方向の話をしてしまったということです。本当に大失敗でした。

いかがでしょうか?少しは悲惨さが伝わりましたでしょうか?
まさに、今思い出しても泣きたくなるようなとんでもない大失敗です。おそらく、ここまで悲惨な経験をした、あるいはこれを超える失敗をお持ちの方は、そう多くはないのではないでしょうか。
しかし、あえて言います。私は、この2回の大失敗があったのでプレゼンテーションを自分の得意技にすることができました。1回目では、準備不足から事前準備の重要性、2回目では自己中心的⇒聴き手に合わせることの重要性、プレゼンにとって欠かすことのできない事柄について身をもって学ぶことができました。
まさに身をもってです。ここまで悲惨な失敗をすると、本人は意外にも清々しいほどその大切さに気づくことができます。余計なうんちくを抜きにして、真髄、真理とも言うべきものにたどり着くことができます。周囲の人間にしてみれば冗談じゃないと言うかもしれませんが。

結局、中途半端というのが一番よくありません。
失敗なのか、成功なのか、うーんどちらかと言うと・・・まあ成功とはいえないな・・・こんな状態では何の気づきも得られません。こういう人が、細かいノウハウばかりに走りやすく、知識偏重型になってしまいます。
そうならないためにも、大失敗覚悟で、一度大舞台で勝負してみると良いと思います。自分はプレゼンが苦手で、できれば人前で話などしたくないと言って避けてきた人は、特に挑戦してみましょう。大丈夫です。どんなにズッコケても私より悲惨にはなりませんから。
そうそう私のプレゼン大失敗王者の称号は譲れません。
万が一、私のレベルを超えたとしても大丈夫です。その時には、プレゼンテーションで本当に必要なことに心の底から、身をもって気づくことができます。

とにかく、成功するも失敗するも気持ちは最高レベルで行きましょう。
「どうすればプレゼンで自信満々に話せますでしょうか?」

これは、先日のプレゼン個別指導を受けられた方の言葉です。さらに、続けて・・・
「先生はものすごく自信満々ですよね?何か良い秘訣とかあるんですか?」
この方、以前に私のセミナーにご参加いただいたことがあったそうです。

他にもこのような質問はとても多く受けるのですが、私の答えは、決まってこうなります。
「自信なんてあったり、無かったりです。むしろ最初から自信満々なんて少ないですよ。」

私は、会社員時代に年間100回はプレゼンテーションを行っていました。単純計算だと3日に1回は、どこかでプレゼンをしている感じでした。私の場合は、提案営業、コンペ、プロジェクト会議など主に社外でお客様に対して行うプレゼンが9割を占めていました。
毎回、目の前には考え方も要望も異なる人が次から次に登場してきます。特に、私の前職は医療業界で病院関係の仕事をしていましたので、医師、看護師、薬剤師、臨床検査技師、放射線技師など非常に専門性の高い、いわばこだわりの強い人ばかり相手にしなければなりませんでした。もちろん、一般企業と同じように内部での力関係や複雑な人間関係もありますから、お客様同士の間でも意見の相違や対立が生まれることもよくありました。
そんな状況の中での3日に1回のプレゼンです。
今でもよく覚えているのは、毎日とにかく不安だったことです。
今日のお客様はどんな人たちなんだろう?一番に何を求めているんだろう?仲が良いのかな?悪いのかな?偏屈な人はいるのかな?ブチ切れ沸かし器の人はいないかな?皆さんスムーズに協力してくるかな?ちゃんと物事が上手く進むかな?そんなことが常に気になる状態でプレゼンを行わなければなりませんでした。

ですから、自信なんてほとんど無かったように記憶しています。
しかし、自信があることと自信を持つことは別だということです。ここがとても重要なのです。

自信が無ければ、自信を持てば良いだけのことです。これは自分の気の持ちようなので、いくらでもコントロールすることができるはずです。私に「良い自信の持ち方」のアドバイスを求めてくる人は、自分でコントロールしようとしていないので、その時点で既にダメかもしれません。簡単に自信が持てる方法があるくらいなら、私が知りたいですから。
所詮、プレゼンの自信なんて後付けです。このように変わります、このように改善します、このように進めていきます等、話している段階では何の保証もありません。これから先の未来のことなど誰にも分かるはずがありません。ぶっちゃけて言うと、プレゼンで宣言してしまった手前、何とか結果を出さなくちゃなんてざらです。
だからこそプレゼンは人を成長させてくれるのだと、私は思います。
他人に宣言をした瞬間に、結果に対して自分にあらゆる責任が発生します。そして、その責任を全うしようとするからこそ、持てる知恵を振り絞って考え、できる行動は何でもしようとします。そこまで思い切り力を出し切れば、次のプレゼンの時にほんの少しだけ自信が持てるかもしれません。しかし、周囲の状況が異なれば、自信よりも不安の方が大きくなることでしょう。

実は、プレゼンテーションでは伝える内容よりも、むしろ自信をもって宣言する姿勢、そしてその結果に対して一意専心に取り組む姿の方がよっぽど評価されるのです。つまり、プレゼンテーションは全てが始まる出発点だということです。ですから、もしあなたが今度プレゼンテーションを行うとしているなら、その時点でその他大勢から抜け出し、評価の第一歩が始まっているのです。唯一、プレゼンテーションであらかじめ自信が持てるポイントは、そこぐらいです。そのことをしっかり認識できるかが、大きな分かれ目と言うことになります。

セーフティーバントや内野安打なんか考えず、ブンブン振り回していきましょう。
あなたはもう重要な局面でバッターボックスに立つ覚悟は決めたんですから。
もう何年もテレビをつければ決まってお笑い系の番組が放送されています。

番組のテーマは、お笑いでなくとも多数の芸人を出演させて、何とか笑いに結び付けようという意図が感じられます。
世の中の現状と将来にあまりに不安が多すぎて、笑ってでもいないと心のバランスが保てないのでしょうか。そう思わずにはいられないほど、とにかくお笑い要素ばかり盛り込まれています。

しかし、本当に笑える瞬間ってどれくらいありますでしょうか?
実際のところ、私はほとんど笑えません。
全く面白いと思えるネタや話題が見つかりません。

特に、番組セットの後ろに並んでいるひな壇芸人や次から次へと登場してくる若手芸人は、全く面白いと思える人がいません。楽屋裏での内輪話や業界話ばかりで、間が持たなくなると奇声を発したり、スベリで無理にウケようとしたりで目も当てられません。
一体、最近の芸人の中にきちんとした漫才や漫談、コントのネタで笑いを取れる正統派はどのくらいいるでしょうか?
タカアンドトシとサンドウィッチマンはちゃんとした芸ができますね。東京03のコントも正統派で面白いと思います。最近は見かけませんが、アンジャッシュの二人のコントもアイディア満載で笑えます。ブラックマヨネーズとフットボールアワーもその気になれば正統派の漫才は抜群ですね。

やはり、一時の流行で終わらずに継続的に売れている人は、正統派の芸ができる技術と発想力をしっかりと持っていることが分かります。小手先のインパクトやスベリ芸に走らなくても、笑いと正面から勝負できる技量の持ち主が、この先もずっと残っていくことでしょう。

実はこれ、プロのセミナー講師にも同じことが言えると思います。
今や石を投げればセミナーにあたると言われるぐらい、全国各地でいろいろな人がいろいろなテーマのセミナーを開催しています。
私と同じビジネス系、起業系から心や精神を扱ったメンタル系、SNSを中心としたWEB系、お金に関するマネー系や成功する人になるための人生系など、挙げればきりがありません。
参加者側からすると選び放題のセミナー天国でしょうか?
講師側からすると競合乱立状態のセミナー地獄ですが。

私は、テレビでお笑い芸人の群れを見ると、いつもそれにセミナー講師を重ね合わせてしまいます。
やはり、より多くの人を集めて、より高い満足度を獲得し、継続的に長く活躍する講師になるためには、正統派にならなければならない。私は、このことを常々自分自身に言い聞かせています。
目先のインパクトや突飛さに頼るのではなく、小手先のテクニックで誤魔化すのでもなく、人々の課題を根本から考え、解決できるような王道を行かなければならないと思います。
いずれこのセミナー天国(いや地獄)も淘汰され、厳選されていくでしょう。一部では、すでに淘汰が始まっているとも言われています。
私はプレゼンテーション講師ですから、人が人に伝えることの意味を根本から考え、伝えるという行為は一体何なのかを真剣に考えていきたいと思います。

また、これはセミナー講師だけでなく、ビジネス全般にも言えることだと思います。個人でも企業でも、たとえニッチ、ベンチャーであったとしても、世の中の動きや人々の活動を根本から捉えて、正統派になることが今後ますます見直されるようになると思います。

そんなことを考えながら、お笑い番組を一瞬のぞいてみるのも結構楽しいものですよ。
「ちゃんと理由を聞かせてよ」
このセリフ、あなたは言ったことがありますか?言われたことがありますか?
男性、女性によって言ったり言われたり、いろいろな経験があると思います。なんだか男女の恋愛話のような雰囲気が出てきましたが、今回はそういった話ではありません。

実はこれ、私がいろいろな人のプレゼンを聴いている時にいつも口にしたくなることです。もちろん個別指導の時は連呼していますが。
多くのプレゼンテーションにおいて新しい提案や考えが伝えられます。それを聴き手にしっかりと理解してもらおうとするならば、きちんと理由を示さなければならないのは言うまでもありません。おそらくほとんどの人が、そんな当たり前のことは百も承知だと言うでしょう。

しかし、私からするとそれが全くと言うほど出来ていません。正確に言うと、理由が理由になっていないのです。

それはなぜか?

それは、理由が自分の理由になってしまっているからです。ただ単に自分がその考えに至った理由を付けているだけで、聴き手に理解してもらうための理由になっていないのです。

一つ単純な具体例を挙げると、
「明日、私は温泉に行きたいのです。なぜなら、ここ数日とても冷え込んだために体の芯から温める必要があるからです。」と、大体こんな感じです。このようなプレゼンテーションが実に多いのです。

もうお分かりですよね。しっかり「なぜなら」という理由の接続詞を使ってはいますが、一つも理由の説明にはなっていません。ただの希望、願望を並べただけで、「そうなんだーじゃあ行けば?」と言われておしまいです。そんな馬鹿な・・・という方もいるかもしれませんが、実際にはこの程度のミスをしている例は非常に多いものです。

話を聴く側からすると「なぜ温泉なのか?」が分かりません。体を温める方法なら他にもいくらでもあるのに、どうして温泉が登場してきたのか、その理由をきちんと説明しなければなりません。
それから「なぜ体を温める必要があるのか?」も説明する必要があります。単なる気持ちの問題なのか、それとも温めないと病気にでもなってしまうのか、あるいは全く違う理由が隠されているのか、詳しく言及する必要があります。もし病気にでもなってしまうと言うなら、明日なんて悠長なことを言っているのではなく、今すぐ急速に温めた方が良いのではないかと逆に言われてしまいそうです。
加えてここ数日冷え込んだ理由や先週と比べてどのぐらい冷え込んだのかを示すこともできそうです。

こうした話の隅々までしっかりと先回りして、なぜその考えに至ったのか、これで本当に聴き手が理解できるのかをよく検討しなければなりません。今の温泉の話は、かなり揚げ足取りのような展開に思えるかもしれませんが、そのぐらい事前に自分の話を検証しておくことが必要です。やり過ぎなぐらいでちょうど良いのです。
それがしっかり出来るようになれば、どこで誰に話をしても必ず「分かりやすい」と言われるようになります。合言葉は、なぜ?なぜ?なぜ?です。

あなたの話には、ちゃんと理由が付いているか?その理由は、自分の理由ではなく聴き手にとっての理由であるか?人に話をする前に今一度よく確認をしてみてください。
皆さん、PowerPointを使ってプレゼン資料を作るとき、どのような手順を取っていますでしょうか?
下書きスケッチもないままにいきなりPowerPointを立ち上げたりしていませんか?
やはり、最初に資料全体の構成と大まかなアウトライン、重要なメッセージやキーワードを洗い出してから、PowerPointでの作業に取りかかるようにしてください。
これは結構、常識的なポイントだと思っていましたが、意外にもまだまだ浸透していないようです。
最近、私の個別指導にいらした方のほとんどがご存じありませんでした。
まだまだ何もない真っ白なスライドを相手にイチから格闘している人が多いようです。
ましてや、とにかく資料さえカッコがつけば何とかプレゼンを乗り切れるだろうとか、資料を作り出せば自然とアイディが浮かぶだろうなどと考えていたら、それは大きな間違いであると言わざるを得ません。

下書きがないとなぜダメなのかと言いますと、頭の使い方がバラバラになってしまうからです。
全体の論理的な構成はどのようにするか、伝えたい内容をどのように図解で表現するか、画像は何が良いか、塗りつぶしは何色が良いか、線の太さはどのくらいにするか、影は付けるか付けないかなど、いろいろなことを同時に考えることになってしまいます。
これらを大きく分けると論理的な左脳系の思考とセンス的な右脳系の感覚になります。
つまり、正反対の頭を行ったり来たりしてしまうので資料にまとまりがなくなってしまうのです。
そして、作業に長時間費やしてしまうのもこれが原因です。

ですから、まずは下書きで思い切り左脳を使い切ってしまいましょう。
その後で、色や線、影や効果といった右脳に集中するようにしましょう。
つまり、PowerPointを立ち上げた状態で記載する言葉を考えないようにするのがポイントです。
私はよく白紙に枠だけのスケッチシートを用意して、思い浮かんだ言葉や図解のアイディアを自由に書き出していきます。
これが出来ればPowerPointの作業は実に短時間で終えることが出来ます。
是非、皆さんも試してみてください。

$プレゼンテーション講師・伊藤誠一郎ブログ