暖かいオークランドです。

 

庭のFeijoaという果物の花が咲き始めました。

 

 

 

 

 

前回の記事に引き続き、「心配する」という行為に関する記事を書いていきます。

 

友達を心配する、親が子を心配する気持ちというのは当然でしょう。

 

しかし、その心配するということをし過ぎてしまうと、害になりかねないということです。

 

私はチャクラ掃除をしていますが、そのときに感じたことがありました。

 

あるときにある人のチャクラ掃除をしているときに、どうしてもその人の腰に焦点がいったことがありました。

 

感じてみると腰がとても重いのです。

 

なぜそんなに重いのかを見ていくと、第三者の心配するという気持ちがそこについてしまうのだと感じました。

 

第三者はこの世にいる人、いない人関係ないですね。

 

この世にいる人だと生霊ということになってしまうのでしょうか。

 

生霊となるのは、何も憎いと思う相手だけに憑くわけではなさそうです。

 

ランギヌイ神様に聞いてみたのですが、

 

 

「心配して、その人の人生の責任をすべて負えるのか」

 

 

という答えが返ってきました。

 

そして、

 

 

「他人を心配する前に自分をよく見つめて」

 

 

とも入ってきました。

 

 

「自分をよく見つめることで他人を心配する気持ちを持つ必要がなくなる。

 

相手のことは相手に任せておけるようになる」

 

 

とも仰っています。

 

 

 

 

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