中国の製鉄の歴史について書かれた本を見つけました。

中国では春秋時代頃から製鉄が行われていました。製鉄には直接製鉄と間接製鉄の2種類が存在します。日本のタタラ製鉄のようにドロドロの飴状くらいで製鉄するのが直接製鉄、一度鉄を完全に液体にして鋳鉄(銑鉄)にするのが間接製鉄。

間接製鉄で作る鋳鉄(銑鉄)は炭素が多くなり過ぎて脆いので武器にはできません。

中国では前漢時代に銑鉄(鋳鉄)から炭素を抜く「脱炭」が本格的に行われるようになりました。これを炒鋼と呼びました。

炒鋼法は革新的な技術でした。直接製鉄で作られた鉄は内部に石や空気などゴミやカスが大量に内包されるので、ハンマーで叩いて物理的にそれらを排出しなければなりません。叩いていると伸びていくので折り返す。これが折り返し鍛錬。かつては世界中で行われていました。

炒鋼法は一度鉄を液体にします。液体の上にゴミや空気が全部浮き出るので内部にゴミも空気のスも入りません。

この方法で刀剣を作る場合、青銅器のように鋳型に流すだけではダメなのですが、鉄を細かく割って脱炭した後に鍛造で成形することができます。脱炭しないただの鋳鉄だと叩くと割れるので鍛接・鍛造成形できないけど、炒鋼ならばそれが可能なわけです。直接製鉄のように内部のゴミや空気を出すために何度も叩いて伸ばして折り返してを繰り返さなくても靱性のある鉄器を作れるようになった。

両漢時代(弥生時代)に普及した技術のようです。漢で銅剣から鉄刀に置き換わる時期に一致します。



↑前漢時代の刀には刃部のみ焼入れされた刀があるとのこと。日本刀の土置きと同様のものだったのか、それとも別の方法だったのでしょうか。

↑百錬鋼について

百錬鋼のほかに30錬鋼、50錬鋼、72錬鋼などがあるとのこと。つまりこの数字は何かしらの具体的な数であろうと。ただし、それが何の数字なのかはわかっていない。加熱回数なのか、折り返しの層数なのか。ただし一般には加熱回数を指すとのこと。



↑また、百錬鋼はもとは塊錬鉄滲炭鋼つまり日本刀と同種のものからスタートし、炒鋼を用いるものに改められたとのこと。

個人的には塊錬鉄を鍛えたものが百錬鋼であって炒鋼はこれにあたらないように思うのですが、どうなのでしょう。



↑中国では長く直接製鉄と間接製鉄が併存しました。その理由として、原始的な炉で低温で可能な直接製鉄の方が環境に適している事も多かったからだと書かれていました。

ただし、南北朝時代になると炒鋼法より効率的な灌鋼法が普及。塊錬鉄を作る直接製鉄は消えていきます。

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奈良時代の日本でも炒鋼法は行われていたようなのですが、なぜか日本ではその後行われなくなり直接製鉄が刀剣作りの主流になります。

ただし、古刀期の製鉄方法の「ズク押し法」はこの炒鋼法と同じであるという人もいます。中世日本のズク押し法は失伝してしまっているので何とも言えない所であります。

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鉄鉱石を溶かして銑鉄にしたものを中世日本では鉄原料として輸入していたと書かれている書籍がありました。

それを日本全国で脱炭(精錬)して鉄製品を作り使用していたというものです。炒鋼法と同じく。

おそらく、有名な大村氏の軍刀サイトの「古刀の原料は大陸からの舶載鉄」という話のモトになったものだと思います。また次回紹介したいと思います。

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