闘病記、前回「大学病院での診察日程が決まるまで」の続きです。

2012年9月17日(月)のことであった。

帰ってきた私は母が整形外科から紹介状と検査画像の写ったCDーROMを受け取っていてくれたことを確認し、母と今日あった出来事について話し合い今後の予定について確認した。

母は私が仕事中に母からや整形外科からの電話を何回か取れなかったことについてやきもきしていたようだった。

紹介状は水色の封筒に包まれていた。私も中を見てみたいと思ったが、大学病院の先生宛とされていたので、「あ、これは患者は開けてはいけないものなのか。」と思った。私は病院への紹介状を見るのも初めてだったのである。

宛名には「肝胆膵外科」と書かれてあった。文字通り、肝臓、胆嚢、膵臓に関する外科のことだ。私はこれらの文字を見たとき、初めて自分の腫瘍のCT画像を見たときと同じような恐怖感を感じた。何かそういったものに関する病気が疑われているのだろうか。肝臓や膵臓といった沈黙の臓器と言われる臓器の病気は結構恐ろしいのではないのだろうか。仮に膵臓癌であったとすれば、早期で発見されることは珍しいと聞いたことがある。もしかしてこれはそういった恐ろしい病気の末期的な状態なのか。治療法はあるのだろうか。インターネットで肝臓や膵臓の病気についても少し調べてみた。私はそうして病気についての乏しい知識であれこれ考えたが、結局は何もわからず不安と腰の痛みだけが残っていった。

願っていたのは「これ以上状態が悪化せず、とにかく早く診察予定の21日が来てくれ」ということだった。そうして17日の夜も腰の痛みがあったが何とか眠りについた。

18日(火)の朝もやはり腰痛で目が覚めた。いつもと同じ午前3時頃だ。私は、もういつもの作業といった感じでトイレに行ってボルタレンの座薬を自分の肛門に入れた。この作業をするときは「もうこんなみっともないことはしたくない。どうしてこんな思いをしなければならないようになってしまったのか。」といつも思った。しかし、薬を摂ると、薬が何とか痛みに効いてくれるはずだと信じることができた。実際には、痛み止めを摂った後も痛みが止むことはなかったので、もう痛み止めで耐え続けることも限界に来ていることを感じていた。それでも、痛み止めを摂ると、少なくとも痛みは少しマシにはなった。この期間は、食後に飲むロキソニンと痛みが特にひどいときに摂るボルタレンの存在が私の精神を支えた。「なんとか耐えてくれ!」私は心の中で叫んでいた。私はこれらの薬を常に持ち歩くようになっていた。

腰の痛みは酷かったし、状況もかなり悪いことは確信していた。しかし私はその日も会社に出勤した。もう通勤電車で30分立つこともできないほど腰の痛みが酷かったので、快速電車で50分かけて通勤するようになった。電車のシートはやはり腰に負担をかけないように設計されているのか、座っていると、立っているときよりは腰の痛みを感じずにすんだ。電車を降りてからの10分間も、歩き続けることができず、途中にあったベンチで休憩してからまた立ち上がり歩いていった。いつもより少し遅れて何食わぬ顔で出勤したがやはり周囲は心配そうだった。同じ係りの人たちは「無理せず休んでていいよ。」と気遣ってくれた。管理者の上司たちには相談したが、「勤務するのかどうかは自分自身で判断しなさい。」ということだった。管理者は安易に従業員の欠勤についてアドバイスや指示ができないのだなと私は理解した。

私は、21日の金曜日まで職場にずっと出勤していたかった。休んで1人でいても不安になるだけだと思ったからだ。仕事をすると、少なくともその時間は目の前の仕事に集中しなければならない。その間は腫瘍のことなど考える暇がない。職場の同僚と話すことが出来たことも、私の気を紛らわせたし、引き継がなければならない仕事もあった。

私の腫瘍のことは、他の係りの職員たちも知るところになっていた。ある人は「きっと、良性のもので取ればすぐによくなるよ。私の知り合いにもそういう人がいたよ。」と声をかけてくれた。他の人も私の不安を和らげようと、暗くならないように話してくれた。こうした配慮はありがたかった。私は少しでも笑っていたかった。楽しく話している時間が私を不安から救ってくれた。

同じように18日の火曜日が終わり、そしてまた同じように19日の水曜日も会社に出勤した。この頃には私の右太腿の感覚が鈍くなった。運動神経には問題がなかったが触覚がおかしかった。完全に触覚がなくなったわけではなかったが、右太腿を触っても、触られている感覚が半分くらいしかない。触っている感覚はあるのだが、それが鈍い。何とも気持ち悪い感覚だ。言葉では説明しきれないが、私はその右太腿の触覚の鈍さに嫌悪感を覚えた。腫瘍以外に原因は考えられなかった。腫瘍が拡大しているからに違いない。一刻も早く手を打ちたい。私は焦っていた。

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