どうも、木全です。
今年はスター受難の年なんだろうか。
スターマンが星に還り、
輝ける5つの星が散り散りになろうとしている。
まだ2016年になって13日しか経っていないのに、この衝撃はなんだ?
これ以上の出来事が、この先あるというのだろうか。
それぐらい、木全にとってもショッキングなニュースでした。
詳細は本人たちしかわからないけれど、真実が明らかになることはないだろうけれど、
これはファンも、本人たちもかわいそうだ。
ましてや、あれだけの星ともなれば、経済的損失も計り知れない。
国家プロジェクトにも取り込まれている彼らだから、そう簡単にはいかないだろう。
けれど、心は別物だ。
彼らがもうムリだ、と思ってしまったのなら、それはもうそこまで。
彼らの決断、彼らの人生なんだから。
色々とこの問題の裏事情は聞くけれども、人って本当に難しい生き物だと思わずにいられない。
「義理があるから残る」のか、「義理があるからついていく」のか。
自分という存在をみつけてくれた感謝。
見捨てられ、陽の目を浴びない自分たちをここまで成長させてくれた恩義。
どちらにも義理はあるだろう。
どちらか一方を選ぶことは、容易ではない。
ファン思いの、スタッフ思いの、周囲思いの彼らだもの。
決断には相当の時間がかかったことだろう。
悩みに悩んで、たどりついた結論だろう。
義理も人情も捨てられない。
だからこうやって、みんなに愛されてきたんだろう。
子どももお年寄りもみんなが顔も名前も知っている。
誰もが口ずさめる歌がある。
これはこの時代、奇跡のようなものだ。
それでも人情として考えたとき、やっぱり辛苦を共にした人を選んでしまうのは
やむを得ないことなのかもしれない。
だって、それが人間だもの。
ふたつはとれない。
ひとつしか選べない。
だったら、心が叫ぶほうにいけばいい。
その人が何に義理を感じ、どう筋を通そうとするのかはそれぞれであって、
他人がとやかくいうことではない。憶測ですら許されないだろう。
ただハッキリといえるのは、彼らがここまで抱えてきた苦労や悲しみは、
我々には計り知れない重さと深みがあるということ。
それで、24年(28年)やってきた。
そろそろ、自分たちの意志を押し通してもいいんじゃないだろうか。
もちろん、それなりのダメージはあって、この先、簡単じゃないかもしれない。
置いてけぼりのファンはどうすればいいのかわからない。
それでも貫くものがあるのなら、それでいい。
いろんな実情を聞いているファンなら、理解を示すんじゃないかな。
だけど、悲しい。
とてもさみしい。
できれば、このまま輝き続けてほしい。
5つ星がダメなら、6つ星に戻ればいいじゃない。
まだ彼らの声をきいたワケじゃない。
彼らが口を開くまで、事実にはならない。
木全はいつまでも輝く星を見続けたいよ。
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