どうも、木全です。
今日も世の中には、心が重くなるようなニュースがあふれているね。
なんだろうね。
その昔から、事件や出来事の重さや深さは変わらないのかもしれない。
ただ、このネット社会になって、それらが顕著になっているというか、
伝わりやすくなっている。
そういう面はあるのかな。
あとね、あれだよね。
いったもん勝ちの空気が、あまりにも広がりすぎているんじゃないだろうか。
マイノリティが声を上げるのはいいことだ。
しかし、それがおかしな方向にいってないか?
自分が不快になったからといって、
他のすべてもおなじだとは限らない。
それを「気分が悪い」と思うのは自由だ。
だからといって、排除しようとする空気はいただけない。
いやなら見なければいい。
そういった芸人さんがいたね。
本当に、そうだと思う。
嫌ならスルーすればいい。
(ここでいう「スルー」って既読スルーとか友達無視とかそういうことじゃないですよ?)
なんだろうね。
個人の自由だとかお客様は神様的な言葉をさ、歪曲して、
自分勝手な解釈で利用する人。
「大人だからこうあるべき」
「教師だからかくあるべき」
それぞれが抱く理想像はあるだろう。
でもさ、大人だって、教師だって、指導者だって、
たったひとりの人間なんだよ。
そのたったひとりの人間に、なにを負わせようというのか。
自分はなにひとつ背負わないクセに、「○○だから」という人たち。
ちょっと待ってほしい。
その言葉をいうまえに、自分はどうなのか?
「自分は子どもだから」「一平社員だから」
だから、なんなのか?
子どもに、社員に責任は生じないというんだろうか?
立場が違えども、誰もがなにかしらの責任を負っている。
それを、さも自分は上にあってそこにいる人がやることが当然のように非難する。
いったいなんなんだ?
いつからこの国は、この世界は、そんな人間であふれ始めたんだ?
木全は不思議でなりません。
そりゃ、立場によって負うものの重さは違う。
重さは違うけれど、みんながしょってるんだ。
他人目線で考えるクセは、もうやめたほうがいい。
スミマセンね、なんだか説教臭くなって。
秋ですからね。
ひやおろしが美味しいんです。
ゴメンナサイね。
たまにはさ、木全も毒づきたいのよ。
そういうときってあるじゃない?
ここはひとつ、ひろーーーーーーい心で受け止めて許してよ。
お願いしますよ。
次回は心からみんなが笑える、そんな話題を提供したいと思います。
では、また来週。
笑顔でお会いしましょう。
追伸
木全、お前と千本浜を歩きたいぜぇ
あわしまマリンパークでまったり飲も~よ。

