先日、息子達と渋谷の松濤美術館で行われている「エミール・ガレ展」に行った。

 

特に、陶器やガラス製品に、興味があったわけではない。

 

都心に住んでいるメリットの一つが、美術館等がたくさんあるところだと思う。

 

せっかく、近くにあって、見る機会があるなら、若くて感性の豊かな時期に、名作、名品を見るのは良いだろうと、よく、子供達を連れて、美術館へ行く。

 

渋谷駅を降りて、徒歩10分くらい。渋谷駅のまわりは、すごい喧噪なのに、松濤美術館のあたりは、高級住宅街だけあって、雰囲気が、別世界というくらい、変わる。

 

ゆったりとした、穏やかかつ、品の良い雰囲気に包まれているのだ。

 

エミール・ガレ展の行われた、松濤美術館の建物自体も、なんだかいい感じ。

 

中に入ってみると、空いていた。

 

展示されているものを、全て見終わるのに、20分くらい。

 

見ている最中には、「確かに、色使いもきれいだし、細かな装飾もすごい。しかし、今のようなネットも書籍の流通もあまり、無い時代に作られたからこその、名作なのかな」と、思った。100円ショップでも、もしかしたら、似たような製品が、探せばあるのかもしれない。」などと、思ったりした。

 

見終わってから、松濤美術館そばの鍋島松濤公園に行った。

 

池の水が、あまりきれいでなかった。また、公園もトイレが、隈研吾の設計によるもので、非常に有名だ。

画像は、隈研吾氏デザインの鍋島松濤公園のトイレ。

このデザイン自体は、素敵だと思った。

だが、しかし。2021年竣工とのことだが、なんだか、壁一面に貼り付けられている木材が、古っぽくなっていて、木の素材感が、イマイチと、私は思ってしまった。竣工当初は、木の香りも漂うような感じで、もっと素敵だったのでは。しかし、3年近くたって、なんだか、材木が、置きっぱなし、経年劣化と言う感じで、ちょっと安っぽい板を、はぎあわせた感じに、なってしまっているのだ。さらに年月が、たてばもっといい感じに、味わい深い木の風合いが、出るのだろうか。

木って、竣工当初はいいけれど、メンテナンスが大変だと思う。いい感じの雰囲気のまま、木の材質が年月によって、熟成していくには、木材に定期的なメンテナンス、人の手入れがあった方が、いいような気がする。

 

鍋島松濤公園で、一人さきほどの、エミール・ガレ展を、ぼんやりと思い出す。

 

なんだろう。美術館ではあまりわからなかった。しかし、あとからじわじわきた!

 

けっこう良かった!!エミール・ガレ展!!

 

やっぱり、作品に魂が込められていて。ここまで、大事に保存してきた所有者の、思いもまとって。

 

時代を超えた逸品には、得も言われぬオーラや、雰囲気がある。全ての物質は、原子レベルで震えているそうだ。そうすると、製作者の魂、所有者の大切に思う気持ちが、ガレの作品を原子レベルで、良い周波数で、震えさせ続けているんだ。

 

先程の、鍋島松濤公園の、隈研吾のデザインのトイレも、やはり人の手で、メンテナンスがされていれば、もっと大切に扱われてます感が、漂ってもっとデザインが、映えて呼吸していたのでは、と、思う。もし、手入れがされていたら、私の見立て?は、間違っていることになるけれど、

 

でも、なんか、トイレの装飾のための木材を、メンテナンスってたぶん、そういうことのために、税金でしないんではないかなあと。

 

もったいない。