保育園の帰り道

年上の姉妹👧が娘にばいばいしてくれます。
毎日誰かしら名前を呼んでくれ、
親の私はいつも嬉しくて娘に
「ばいばいしてくれてるよー✋」と言う。
親としては、娘にもばいばいしてほしいのだ。

そんな時、
最近でこそ機嫌のいい時は
返事をするようになった娘だが
少し前までは、いつもガン無視します。
あげく怒ったりします。

な、なんでよ💦といつも思う。
そして私は必死にフォローする。

そのまた帰りの🚗
前の🚗から姉妹が娘に一生懸命手をふってくれてます✋
娘に、見てみ。ばいばいしてくれてるよー
と言うと

なんと

「もうばいばいせんよ」
「さっきしたよ💢」

とプイッと片言に怒るのです
な、なんて可愛くないやつだ。。
私は真剣に思います。
これが娘の日常だから

とにかく娘は愛想が悪い
可愛いげがない
正確には悪かった!
少しは良くなってきた。。

親的には、ここで笑ってくれ~💦
例えば
近所のおばあちゃんに話しかけられた時。
友達にばったり会った時。
勿論、自分の両親と触れ合っている時。
そんな時にこそ、ここぞと娘は不機嫌max
時には怒り狂うのです。
そして他人に関心がないのです。
何でかな。


👶👶👶(長いです)

生まれてから、小さい頃
やたら娘の寝顔の写真が多かった。


なぜかって、寝てる時しかかわいいと思えなかったから。
起きると泣く。癇癪。
鬼の顔して泣きじゃくっている娘の顔を、どうしてもかわいいと思えなかった。
泣いてる理由もわからない。
ご飯は食べない。
今日食いついた食べ物は、次回は食べない。
何を作っていいか分からない。
とにかく難しいこども。
リトミックや支援センターへ連れていっても泣きわめいて逆に周りに気を使う。
それでも気合いを入れて離乳食づくりと
支援センターへは行くようにしていた。
実家に帰っても、両親は娘を可愛がる事も出来ない逆に気を使うので、帰りにくくなった。

誰にも娘を可愛がってもらえなかった。
とにかくそれが1番寂しかった。

他人と比較して落ち込むなんてのは
無駄なエネルギーだって事は
そんな事は、100も200も承知しているけど
それでも比べてしまう。
特にそんな時は、周りの笑顔の子どもが100倍可愛く見える。
笑顔には、人を元気にする力があるのだ。
そう。娘は笑わない子だった。
私は笑わない娘に対して、
いつも前向きではおれなかった。


忘れもしない1歳の時
近所の保育園で誕生月のお誕生日会に
ママ友たちと参加した。
先生に、みんな1人1人我が子の好きな所を
順番に聞かれた。

みんなちゃんと、
自分の子どもの良いところや、個性を見て
こんな所がすきですって
幸せそうに答えていた。
中には、
泣いた顔が可愛いので泣いても腹が立たない。と笑顔で言うママもいた。


私はその時、自分は母親ではないと思った。
本当に自分の子どもの好きな所について、分からなかったから。
一体この1年、娘の何を見てきたんだろう?
好きな所?はて
私は娘のどこが好きなんだろう?
娘はいつも泣いてて、娘こそ私の事が好きなんだろうか?
親として認識してもらえてるんだろうか?
そんな自信さえもなく
毎日泣きわめく鳴き声と娘の顔を見るのが、
私は嫌で嫌で仕方なく、母親としての自信も奪われていった。
好きな所はない。
本当は、心の中でそう思っていた。

果たして、こんな母親がいるだろうか?
多分育児ノイローゼ、一歩手前だった。




娘が1歳半の時、私の疲労は既にピークに。
私が薬診(スティーブンスジョンソン症候群)になったのは
本当に育児疲れからだと思う。
入院した最初の数日間は意識がなかった。
もうろうとする中、思考も回らなかった。 
だんだんと身体中に真っ赤な湿疹広がり、とてつもない痒みが襲う。
アイスノンで身体中を1日中冷やし、まるで冷凍人間状態。
医師も想定外の状態に、毎日裸にされ経過写真を撮られた。
鏡を見ると涙がこぼれる毎日。
もう、女として生きるのは諦めようと思わざるえない姿。

だけど、
自分は母親なんだと実感したのは
もしかしたらその時だったのかもしれない。

だって、私がいないと娘はだめなはずだ。
日に何回も求めていた授乳も、
急に私が姿を消した事で、
高熱の中でも、自分の身体よりも娘の事が心配でたまらなかった。
自分より大切な存在があるって、
こーゆう事なんだと初めて実感した。
病室で看護師さんにいつ娘に会えますか?
いつ家に帰れますか?
娘の入園式間に合いますか?
毎日泣きながら聞いていた。

奇跡的に皮膚の回復力は先生もびっくりする位早かった。
入園式もギリギリ間に合い、
赤い顔で式に出席した。
職場復帰にも何とか間に合った。
それでも

退院してからも地獄は待っていた。

久しぶりに会った娘の第一声は、
嫌と言わんばかり私の手を払いのけ拒絶。
まるで他人を見るような目でずっと面倒を見てもらっていたおばあちゃんの後ろに隠れたのだ。

わかってる。
わかっていますとも。
大人の数週間と、1歳児の数週間の
時間の進みかたが違うと言うことは。。
娘には、とてつもなく長い期間だったに違いない。
とてつもなく不安だったに違いない。
感動の再開なんてほんの少し夢見てたけど、
一瞬で崩れ落ちた。
私は涙をこらえて笑顔で接した。

そして娘の依存生活が始まる。
娘は暫くしたのち、私の存在を認識したのか
私から一切離れなくなったのだ。
日中も、眠るときも、
少しでも動くとすぐに起きて私の存在を確認するようになったのだ。
私が急にいなくなった事は、娘の中でとても大き過ぎたのは言うまでもない。

私はまだステロイド治療が続いていたので
正直身体は回復してない状態。
フラフラな中で、抱っことおんぶを繰り返しせがむ娘。
ご飯づくりなんてとても出来なかった。 
娘の相手をするのがやっとだった。

あんなに会いたかった娘なのに、
どうしてこんなに苦しいんだ。
私には子どもが生まれてきてくれて、
幸せだと感じる瞬間さえも与えてもらえないのかと涙がでた。
娘を育てた1年半、一体何だったんだろうと虚しくなるばかり。

だけど
娘には私しかいない。
そんな時、1歳半の検診を1ヵ月遅れで受け
娘が発達障害ではと分かったのだ。



私が娘を可愛いと思えたのは
本当にここ数ヵ月の間である。
笑顔を見せてくれるようになってからである。


そんな娘も、私にとってはたった1人のかけがえのない存在。
そして娘は身体がとても丈夫なのだ。
それは本当に何物にも変えられないありがたい事だ。
今なら娘の良い所、沢山言える。


そして旦那は
薬診で別人になった私の顔を見ても、
顔色1つ変えず私の頭をなでてくれた。


私は幸せなんだ。
毎日色々葛藤するけど、落ち込んだり喜んだりしながらまた明日から過ごして行こう。

1年前の記憶。




もしも
こんな私の長々しい日記を最後まで読んでくれた人がいたなら


本当にありがとうございました虹