いま、ご縁が繋がって86歳のおばあちゃんにアコースティックギターを教えています。大病をされて話すことが出来ません。食事や水も胃ろうです。ケアの方も定期的に来られているらしいのですが、僕がレッスンをしている時の姿を見る限りではキラキラされています。オーラがキラキラ。

 

話す喜びや、食べる喜びを失ってしまっても、今もなお「学びたい」と思って、実際に、学んでいる姿勢に完全に脱帽中です。会話は筆談なのでスマホ人間の僕は漢字がすぐに書けなかったりします。しかしながら、おばあちゃんは難しい漢字でもサッと書いてしまうの。脱帽です。

 

「弾いてみたい曲があるんです」と話してくれた以上は、なんとかして辿り着きたいです。記憶力や集中力や、握力や、体全体の力や。もちろん衰えはあるのに「毎日10分は練習をしています」と、LINEが送られて来ます。LINEですよ?凄いですよね。パソコンを使って譜面をこつこつと作ったり。

 

レッスン後には珈琲を頂きます。ご病気をされる前の活動的な人生の話を伺っていると、今のおばあちゃんの心持ちは当然のようにも思えます。前回のレッスン時には歴史の教科書でしか知らなかったような出来事の最中におられた事を話してくれました。70年も前の話ですが、いまだにその苦しみは心と記憶の表面から沈んでいく事はないんだと察しました。

 

先生の弟子の中で私は一番デキが悪いですね。そう仰います。何をおっしゃいますか大先輩。僕はあなたに先生と呼ばれるにはまだ早い、人生を修行中の身です。「毎日の楽しみが出来ました。あの曲が弾けるようになるまで死ぬわけにはいきません」と。

 

僕は言います「そうですね~、あの曲が弾けるようになるには、あと10年はかかると思います」と。その頃には久子さんも100歳が見えてきますね♪ 楽しく、ゆっくり。昨日出来なかった事が今日は出来るようになる。昨日知らなかった知識を今日知る。生涯、学びです。生涯こそが学びそのものなんだと。

 

この街の全てで人生は繰り広げられています。