(現役音大生に捧げる)音大時代、四年間チューバの成績がビリだった自分が生き残っている理由三選 | 河野一之のブログ

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音大時代、四年間チューバの成績がビリだった自分が生き残っている理由三選

 

年度末の期末試験、チューバの成績は数分間のソロの演奏で決められていました。

卒業試験で10分あったか、なかったかぐらいです。

 

結構コンプレックスではあったのですが、素晴らしい同級生たちが多かったのか僕の才能が芽生えていなかったのか成績は四年間ビリ

 

四年間で色んなオーディションもありましたが、全然受からない

人数が少なくてとか出席態度が良いからとかいうので通ったものはありましたが、

自分のチューバ一本の実力で得たものは何1つありませんでした。

 

そんな僕ですが今音楽屋さんをしています。

 

相変わらずチューバ一本で経営を成り立たせているということはないのだけど、

僕の収入の一部は音大で四年間ビリだったチューバによるものです。

 

そんな僕がなぜ今音楽家をできているか、長くなりそうですがまとめてみました。

 

目次

  1. 方法は1つではない、自分に合った世界の探求
  2. 自分にしかできない話がある
  3. 素晴らしい仲間の重要性
 

1、方法は1つではない、自分に合った世界の探求

 
この記事を書く上で最も最初に浮かんだ理由がこれです。
 
「方法は1つではない、自分に合った世界の探求」
 
僕は音楽が好きで、そこに関わっている人たちが好きで、チューバが好きで、今は金管バンドを愛しています。
 
なので都立足立高校の三年生の時に音大に進むか昔から好きだった心理学科がある大学に進むか迷いました。そして家族と相談し音大を選択。
 
しかし、きっとその時存在した様々な理由でチューバでは理想的な活躍はできませんでした
(誰かと比べて練習をたくさん行っていたかというとわかりません。)
 
逆の言い方をすると、僕は音大が求めていた理想のチューバ奏者ではありませんでしたし、一年に一回のソロの演奏で僕の魅力を発揮することは不可能でした
 
このソロの出来で翌年の授業の選択肢が決まります。
(上位のオケや吹奏楽が履修できたり、定員があるものに関してです)
 
なのでどこか活躍できるものはないか、つまり自分が心から楽しめるチューバを演奏できる場はないかと色々行いました。
 
人生初のオーケストラ
・吹奏楽
人生初の室内楽(金管5重奏やEuph&Tuba五重奏)
人生初のチューバのオリジナル作品のソロ
人生初のファンファーレ・オーケストラ
人生初の金管バンド
人生初の現代曲的な演奏をするバンド
(歌、ピアノ、トランペット、ドラム、映像、チューバ)
 
 
とやらせてもらえるものは片っ端から行いました。誘われれば嬉しくて必ずやっていました。
ここで2つ発生します。
 
  1. 活躍ができる、または人数が余ってるから続けられるもの
  2. 楽しいから続けられるもの
 
1は活躍ができなければメンバーから外されます。2に関しては自分で選べます。
 
当時僕のチューバは周囲から評価をされていなかったので1はよくありましたが、2に関しては自分で選べるのでガンガンいけます。
 
そして上記した色々なアンサンブルに出会い、やりたい人は履修が可能だったブリティッシュ・ブラス(金管バンド)の授業にのめり込んでいきます。
 
やっている人も少なかったのか、まだ未開拓だったゆえか僕のチューバが
 
なんか認められます。
 
衝撃です。音大生活初の僕のチューバの肯定です。
(レッスンなどで先生方が褒めてくださる時はありましたが)
 
圧倒的にソロでの活躍が成績に直結する環境の中で、
金管バンドにいる時だけ僕は息ができました。
 
そしてその後音大を卒業し、一年の準備の後英国ウェールズの音楽大学院に行き、コーリーに入って欧州、豪州を飛び回り、世界一のタイトルにも貢献します。
image
 
あの四年間ビリだった僕がです。
 
そしてチューバというかEb BassやBb Bassの奏法の研究や金管バンド指導法がまだ未発達な母国のバンドをもっと面白くしたいと思い帰国し現在に至ります。
 
何度も書きます。僕が音大にいた頃を知っている人に聞けばわかります。
「あぁ、彼はそんなにチューバで活躍してなかったと思うけどなぁ」という返事が返ってくるはずです。その通りでした。
 
でもそれは僕に合う世界を僕が見つけられていなかったからでした。
圧倒的に期末試験でのソロでの演奏が、その後一年の学校生活に影響する環境では当然のことながらソロが最も重要視されます。なのでそこで活躍できなかった僕は四年間成績がビリでした。
 

でもとにかく色んなことをしました。

 

  • 様々なアンサンブルへの挑戦
  • 教職の授業の履修、そして免許取得
  • 個人営業の居酒屋でのバイト
  • 好きな先生にはガンガン話しを聞きに行き
  • ゲームもたくさんして
  • 恋愛も頑張って
  • 編曲や作曲
 
とにかく僕が存在できる場所を探しました。
なのでもし周囲を見渡して
 
・その時
・みんなが憧れるようなポジション
 
にいられなくても、自分の世界を模索し続けていればそれはどこかに必ずあります。
しかもそれがもしかしたら音楽の外にあるかもしれません。
 
僕が知っているのは
 
  • 管楽器科にいたのにピアノ科や声楽科へ転科した方
  • 指揮者として活動を始めた人(僕も半分そうかな?)
  • 海外へ行った人
  • 靴屋さん、銀行や派遣会社など一般職についた人
  • 学校の先生
  • 通訳や翻訳の仕事している人
など本当に多岐に渡ります。僕でさえ
 
  • チューバ奏者、指導者
  • 指揮者
  • 通訳、翻訳者
  • ツアー・コンダクター(極稀:海外の奏者をスポンサーの元、ツアーを組んであげる)
  • 企画、製作者
と大きく分けて色んなことをしています。
教育機関にいるとどうしても世界が狭まりますが、それゆえに得られるものは得つつ幅広い選択肢の中片っ端から
 
自分の好きな道
 
を選ぶべきです。大学生の四年間でソロがうまくいかなくても
全く問題ありません

 

 

 
2、自分にしかできない話がある。
 
先述した通り、音大では全く理想的な成績は取れませんでした。
 
音大入学3ヶ月前に反対咬合という病気のため下顎の骨を切除したのも理由になるかもしれませんし、チューバに向き合っていなかったのかもしれません。
 
音楽に対しても今ほど真剣ではなかったかもしれないし、知識も教養もすずめの涙ほどでした。
 
でも
 
・僕なりに全力で練習はした
・僕なりに全力で僕の生きる道を探した
・僕なりに全力でオーディションも受けた
・僕なりに全力で英語も勉強した
・僕なりに全力で留学準備もした
・僕なりに全力で四年間を過ごした
 
これは言い切れます。誰かと比べられたらもうどうしようもいきませんが、僕の音大に入ってからこれまで無駄な時間は一切ありませんでした
遠回りはしまくってますし、「お前は大器晩成型だね」と言われ続けてますが
本気で生きています。
 
絶望、後悔、怒り、葛藤
色んなことがありましたが僕は僕の道を歩んでいます。
 
そして、ここがこのトピックの最重要点で
 
そんな僕だから言える事がたくさんあります。
 
  • できない人の気持ちがわかります。
  • なかなか結果が出ない人の気持ちがわかります。
  • 後悔や不安、迷いに苦しみ人の気持ちがわかります。
 
かなり遠回りをしてきたからです。
今もしているかもしれませんが、有名なエジソンの格言に
 

名言・格言

 

私は失敗したことがない。

ただ、1万通りの、

うまく行かない方法を

見つけただけだ。

 

- トーマス・エジソン -

 

このようなものがあります。僕もそうです。

 

先日こんなツイートをしたら多くの賛同者がいてくれました。

 

 

音大4年間、そしてその後の準備や英国での2年間、そして留学後のこれまでの6年間

成功もあったし、失敗もありました。でもその失敗は

 

うまくいくための方法を学んでいた

 

に過ぎません。

 

なので人と話す際、レッスンをさせていただく際

「ぜひ沢山失敗してください、そして失敗をしても謝らないでください。失敗しないと成功がわかりません。うまいかなかった理由はなんとなくわかりそうですか?何度もやってみましょう」

 

こんな言葉が出ます。それは僕が歯がゆい思いをしながら失敗の山脈を築いてきたからです。

32歳の今でさえ山脈は作られ続けています。

 

もし今音大で理想通りいかない時間があっても諦めなければその経験が何かしらの糧となります。誰も未来なんかわかりません。失敗しまくりましょう、もしかしたらその失敗も何かにとっては成功かもしれません。

 

3、素晴らしい仲間の重要性

 

今の僕があるのはこれまで支え続けてくれた家族や仲間たちのおかげです。

僕のチューバの良し悪しに関わらず人として付き合ってくれた素晴らしい仲間たちです。

 

大学を卒業してもう10年以上経ちますが、いまだに年中会う同級生から数年に一度会う同級生まで色々います。みんな同じ釜の飯を食べた同級生です。

 

在学中はライバルにもなりえる存在ですし、中には自分と合わない人もいて

 

・音楽

・人間関係

 

というのは密接に関わっているためか

とても楽しい経験から苦労まで様々します

 

僕も素晴らしい友人と出会えたり、ちゃんと謝罪が必要なぐらい怒らせてしまった人がいたりと本当に色々な人と関わってきました。

 

たった四年間ですが、自分のその後の人生を変えるような素晴らしい出会いにも会います。また直接的な関係に関わらず、その人の友人や交流関係からまた新たな素晴らしい交流が生まれることも多いです。

 

打算的にではなく自分の直感の元、

好きな人には好意的に、合わないなと思ったら離れる

などしながら自分の交流関係を広げましょう。

 

 

あまりしたことはありませんが、

  • 仕事をもらえるかもしれない
  • 奢ってもらえるかもしれない

と思って交流し楽しめるとは思いません。

 

大学卒業後、どこかで偶然出会ったり、幸運なことに現場が一緒になった際の喜びは計り知れません。生きて会えたことに本当に感謝の気持ちが溢れます。

 

そんな仲間や同級生の存在は励みにもなりますし支えにもなります。

もし合う人がいたら大切にしましょう。

 

まとめ

この記事を書くのに音大を卒業して10年かかりました。

それぐらいやはり心の中で劣等感を感じていたのかもしれません。

しかし、今この瞬間色々な人たちの支えの元、僕は音楽で生計を立てています。

 

音大に在籍していたあの瞬間流通していたみんなの理想通りの音楽家ではないかもしれないけど、僕がやりたいと思っていることは着々とできています

 

あの四年間ビリを取り続けた自分が2時間のリサイタルを行うなんて当時からしたら夢の話です。世界ランキング一位のバンドに約2年間在籍させてもらえたなんて夢のまた夢です。

 

アジア人初のヨーロピアン・ブラスバンド・チャンピオンシップスのタイトル獲得も、英語を話せるようになったのも、指揮者をさせてもらえてるのも、誰かにレッスンなんてさせてもらうのも全部当時からしたらありえない話です。

 

 

 

でも現実です。

 

自分は自分の生き方しかできない

でも生きる場所を選ぶことはできる

自分がダメなんじゃない、自分を活かせる場所に

 

・まだ来ていないか

・見つけられていないか

 

それだけ

 

今だって留学中にかかったローンと音大でかかった奨学金で何百万円と借金があるけれど、頑張って払い続けている。夢もまだまだ追っている。何か面白いことはないか、できないか探している。

 

音大にいた時と同じ、僕は探している。でも何が決定的に違うかは

 

大丈夫

 

ということを学んだ。

 

チューバがうまくいかなくても

試験でいい点がとれなくても

ソロを失敗しても

音を外しても

何を言われても

 

大丈夫

 

そんな話でした。

 

ご読了ありがとうございました。

 

河野一之

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