■なぜ、韓国人はいつまでも歴史問題を訴えるのか?ヾ(≧∇≦)〃♪ | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

「不買運動」が騒がれる中、応援のため日本料理屋さん「マカナイ」に行ってみました!

 

 

●「不買運動の影響はありますか?」

 

淑大入口で日本人の友人と会ったのですが、日本料理屋さんを応援するために一緒に行ってみました。本当は日本人の佐々木さんという方がされている「とどまる」さんに行きたかったのですが、昼間はやっていないということで、そのすぐ近くの「マカナイ(마카나이)」というお店です。ヾ(≧∇≦)〃♪

 

日本のどんぶりものやラーメン、カレーなどを出して、ふだんは女子大生にあふれている店なのですが、今はまず夏休み中だということがあって、お客さんが少しのオジサン、オバサンしかいませんでした。韓国人のご主人に「不買運動の影響はありますか?」と尋ねたら、「日本の方なんですね?」ととても喜んでくれながら、笑顔で(でも少し寂しそうに)「影響がないとはいえないですね」といっていましたね。(T^T)

 

韓国は今、左寄りの人々を中心に「不買運動」を訴えていますが、右寄りの人々の中にはそれを批判する人も多く、「文大統領は安倍首相に謝罪すべき」などというデモまであるため、一見、とても複雑です。このような分裂がまさに韓国の現状でもあるわけですが、しかしこれも、かつての日本統治時代に、「日本側についた人々」と「反対し抵抗した人々」との間に分裂が起こり、それが、いわゆる「日帝」が去った以降の清算されない「恨み」となってこの国の抑圧と抵抗の現代史をつくってきた、ということになります。

 

現政権は、まさにそのように、朝鮮戦争以降、南北が対立する中で、国内で「親日派」、「アカ(共産主義者)」と互いを攻撃しながら多くの血も流してきた、その左右分裂構造の結実のような政情です。まさに抵抗者側であった左派勢力が政権を取ることで、その問題をいよいよ前面に打ち出せるようになった、という立場であるため、私たちには「なぜ今になって突然」と当惑をせざるを得ないとは思うのですが、それでも、いずれは向き合うしかなかった事態であるといえるかもしれません。

 

 

●「日本人は愛すべき」という論理

 

しかしその上で、私が一番主張したいことは、これは決して日本の「嫌韓」のような、いわゆる「嫌日」「反日」ではないということです。それは左派の人々であっても「日本政府と日本人は切り離すべき」という主張が一貫していて、左派『ハンギョレ新聞』の社説でも、「『NO JAPAN』ではなく『NO安倍』、賢明で成熟した対応を」という題名のとおり、いわゆる「日本」自体に対する反日ではない、とはっきりいっているわけです。

 

「不買運動」が始まってしばらくして、韓国の『ヘラルド経済』に、日韓の学校間の交流行事が延期になったり、子供の間でも日本人の親を持つ子供に悪口をいうような例があるとして、韓国の警察が保護を呼びかける公文を出した、などということを報道する記事が出ました。そのネット版のコメント欄には、「日本の子供たちと一般人には決して被害が及ばないように」、「一般の日本人に何の罪があるんだ」という趣旨の一般読者による呼びかけが400件以上も並んでいたのです。(→韓国語記事

 

なぜか?まず、私たちがここで理解すべきなのは、韓国人の意識構造と日本人の意識構造の違いです。何度か書いたことがありますが、韓国人の文化は、垂直に「天の道義」を追求し、水平に「家族」になろうとする文化です。それゆえ、この歴史問題というのは、まさに「天の道義」としての「歴史的義」を追求する意識によるものであって、それは「不買運動」の最初の呼びかけの言葉が、「独立運動はできなかったが不買運動はできる」だったことにはっきり表れています。

 

すなわち、「3・1独立運動100周年」の今年にあって、誰もが「自分も100年前に生きていたとしたら、帝国主義に屈することなく、命を懸けて天の義を訴えられただろうか?」という命題に燃えていた中で、まさに「徴用工問題」が両国で問題となり、その当時の「日帝」に対する「義挙」としての今の「不買運動」となり得る、と感じることによって始まっているのです。それゆえ、それに参加する人々は、反感や嫌悪感による否定的運動ではなく、「義なる思い」によって立ち上がる「正しい運動」、「素晴らしい運動」に参加していると思っているわけです。

 

だから、そのように、これが「日帝」に対するいわゆる「抗日義挙」であればこそ、決して今の「日本」と「日本人」を嫌っているわけでもないし、むしろ日本の一般の人々については人間として愛すべきだ、という「正義」も明確になってくるわけです。私はこれは何よりも、日本に存在する「嫌韓」や人種差別的なヘイトデモとは根本的に違う部分であると思います。

 

 

●一つになりたい思いゆえの「ハン」

 

そして繰り返しますが、「天の義」追求と共に、韓国文化は、水平には人間は皆「家族」だということを追及する文化です。だからこそ、隣国日本にも、決して「他人」としての礼儀を保つのではなく、「家族」としてまったくためらいもなく、「天の義」による本音のままの思いをぶつけてくるのです。それは、心に隠し事をせずにそのままぶつけることが家族たるべき人間同士のあるべき姿であり、日本人もやがては、天の下に同じ「家族」となれる隣人である、と本当に思っているからでもあります。

 

もちろん、それに対して私たち日本の文化は、あくまで互いを「他者」として尊重しながら互いの「和」を追求すべきと考える意識構造なのであって、その価値観に対して真っ向から反してくる韓国の人々を見れば、当然、「和を乱すことに対する嫌悪感」が生じるし、「和を乱す迷惑な存在は排除すべき」ともならざるを得ません。それゆえの「嫌韓」なのだということもよく分かります。

 

でも、その大前提となっている、「韓国は反日国家だ」、「韓国人は皆、反日だ」ということだけは間違いであり、あくまで私たちの「ものさし」を適用したことによる誤解なのです。韓国人は決して今の日本や日本人全体に反対してなどおらず、あくまで「日帝」時代の歴史問題に関して反対しているだけだからです。

 

それは、たとえば米国について、かつての米国の黒人奴隷制度や日本への原爆投下を批判しただけで「反米」だなどとはいわないのと同じです。それについては、たとえばアメリカ人であっても一緒に同じように批判したり、反省すればいいだけであって、「日帝」の歴史についても、私たち日本人も、一緒に同じように人権問題や反帝国主義の立場で批判を加えることはまったく可能であるからです。

 

韓国人の「人間=家族」という感覚は、もちろん、「すべての人を私の家族として愛する」というような理想的な博愛主義ではありません。しかし、人間は必ず皆、「誰かの家族」であるのだから、本心をぶつけ合えば必ず同じように感じることができる、という強い信念である、といえます。

 

それゆえ、韓国人の日本に対する思いとは、まさに「どうして一緒に感じてくれないのか」という悔しさです。その思いを韓国語では「ハン(恨)」といいます。韓国人が抱く「ハン」とは、「天の道義に従って、心が一つになりたいのになれない時に抱く感情」です。まさに30年以上の経験による私の結論として、韓国人が日本人に対して「ハン」がある、ということは、そのこと以上でもそのこと以下でもありません。韓国人が歴史問題をいつまでもぶつけてくる理由も、決してそのこと以外にはないのです。

 

 

 

日本色を前面に出した「賄(まかない)」。一番ウリにしているのは「チャーシュー丼」のようです。

 

 

「辛いとんこつラーメン」というのも魅力的ですね。

 

 

まだ昼の少し前だったせいもありますが、ガラガラでしたね。

 

 

たくわんとキムチが仲良く並んでいるのにねえ。まあ、どこでもそうですが。(^ヮ^;)

 

 

メニューはいろいろですが、この際、一番押しているような「チャーシュー丼」(7500ウォン)。

 

 

半熟卵が載って美味しそうです。

 

 

丼に好みに従って掛けるソースです。

 

 

マイルドで美味しかったですよ。ご馳走様でした!♪ヽ(´▽`)/

 

 

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