■「ハンミちゃん一家駆け込み事件」の文代表とお会いしました! | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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バラエティ『今会いに行きます』の放送画面です。この事件の立役者である文代表とお会いしました。


●「脱北者」出演バラエティ『今会いに行きます』


家族で食事をする時以外はテレビをほとんど見ない私が、それでも唯一、時間になるとテレビをつけて見ようとする番組があります。北朝鮮を脱出してきた「脱北者」たちから話を聞くバラエティ番組『今会いに行きます(이제 만나러 갑니다)』ですね。2011年から毎週日曜夜にケーブル「チャンネルA」で放送され、今夜で325回になります。


バラエティ番組ですから放送作家が面白くアレンジしていて、出てくる人たちもほとんどタレントのような「脱北者」たちであり、それだけで北朝鮮のそのままの現実が分かるとは思っていません。しかし、それにしてもその番組全体の華やかな雰囲気とは裏腹に、あまりにも悲惨な地獄のような北朝鮮社会、あまりにも恐ろしい統制と監視と犯罪の現実が語られ、さらに脱出後の中国での逃亡生活の話にしても、私自身、聞きながら胸が苦しくて涙を流したり、思わず嗚咽してしまうこともしばしばです。


このような現実が、ソウルからわずか30キロほどの距離しか離れていない場所で起こっていることを考えると、実際、この「北朝鮮住民たちの解放」以外に私たちが考えるべきことがないくらいにさえ思うのですが、そう思いながらもふつうの生活をしている自分が恥ずかしいです。また、韓国戦争以来の敵対関係があるとはいえ、このような実態が放送されていても、同じ民族である韓国の国民や政治家の多くが、南北統一を「経済」や「政治」の問題としてだけ語り、北朝鮮住民の「人権」や「解放」、「救済」という観点ではほとんど論じないことが、本当に不思議でなりません。


ということで、前置きが長くなりましたが、今日私は特別な方にお会いすることができました。日本でも多く報道されて有名だった、2002年5/8の、いわゆる「瀋陽日本領事館ハンミちゃん一家駆け込み事件」の立役者であるNGO「北韓人権国際連帯」の文国韓(ムン・クッカン)代表です。上の番組の昨年9/10の放送に、一緒に脱出したハンミちゃんの叔父のキム・テジュンさんが出演して、当時の経緯を赤裸々に話していましたが、日本も関わって全世界が注目したこの事件の背景を中心に、今日はほぼ4時間に渡ってお話をうかがいすることができました。少し長くなりますが、その貴重なお話を下にご紹介させていただきます。



●「日本人にひれ伏して感謝する日が必ず来る」


「脱北者」と一言でいっても、実際には国境を越えて中国北部で逃亡生活をしている状態の人たちがほとんどです。中国政府は、決して彼らを「北朝鮮難民」とは認めず、「不法入国者」として強制送還するだけであるため、当局の監視を避けてさまよいながら、またもう一つの共産主義国家で不自由な生活を送っているわけです。「コッチェビ」という孤児の浮浪者になったり、女性はほとんどが売春をせざるを得なかったり、人身売買によって嫁が来ない中国内の田舎の農村に売られていっては、村人たちの監視の中で生きていたり、ひどい場合は金を出し合った数人の「夫」の共同の「妻」になっていたり、はるかに人間以下の生活をしているのですが、それでも食べるものがあり、生きていけるがゆえに、本人たちは「自由世界に来た」とばかりに思い込んでいるということです。


文代表は1990年代に中国でそのような「脱北者」たちに出会うわけですが、彼らを通して、当時まったく知られていなかった、北朝鮮内の地獄状況を聞き知るようになりました。北では1994年の金日成主席死後に大飢饉が起こり、「苦難の行軍」などといって配給がストップする中、人口の1割以上、200~300万が餓死しています。文代表は「七重仏塔を建てるよりも一人の生命を救うほうがいい」という中国のことわざを紹介してくれましたが、まず最初に「脱北者」のある一人の青年と共に3年間暮らしながら、「南朝鮮は米帝国に搾取されて北朝鮮以上に貧しく暮らしている」と信じている彼を説得し、たいへんな苦労をしながら彼一人を韓国に送ることに成功しました。文代表による「脱北者」救出第1号でした。


そうしながら、北京にある「国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)」に何度も足を運んでこの状況を訴えました。しかし、国連の難民救済機関でありながら、「脱北者」の存在すら知らず、知っても中国当局が許さないために何の手も下そうとしないわけです。文代表は、これをまず全世界に知らせて人権問題としないかぎり、彼らの救出が不可能であると考え、一家17人で逃亡者生活をしている「チャン氏」家族の「キルス少年」に頼んで、北朝鮮で見てきた実情をクレヨン画に描かせ、それを持って米国の国連本部に直接、乗り込みました。北朝鮮難民支援NGO「キルス家族救命運動本部」の発足です。


ところが国連はいっさい動いてくれず、とりあえず、その画集を韓国で出版しましたが、しかしその間に、中国の「チャン氏」一家が文代表のいいつけを聞かずに、周囲にそのことを自慢してしまったがゆえに、同じ「脱北者」仲間の嫉妬を買って当局に密告されてしまいました。結果、17人家族のうちの5人が公安に捕まって北朝鮮に強制送還され、そのうち2人は政治犯収容所に入れられたという情報が来ます。残る「チャン氏」一家も政治犯として追われる身となり、とうとう文代表と彼らのうちの7人は、2001年6月、死を覚悟して「国連難民高等弁務官事務所」に直接、難民申請に乗り込んだわけです。


この時に日本人記者を一人同行させていたことが功を奏し、彼が取材のためにカメラを回したおかげで、警備が皆、その記者を追い出そうと大騒ぎになったところを、隙を突いてエレベーターに乗って事務所まで上がっていくことができました。その時、エレベーターの外でボタンを押して上らせないようにしていた警備の指が、騒ぎによって一瞬離れた、その瞬間が運命の分かれ目でした。上の階でも、事務所まで三つの関門を通過しなければならなかったのですが、それまで何度もあきらめずに通いつめていたおかげで、警備員が皆、文代表を「この人は通していい人」のように思っていたことが幸いしたそうです。


「ハンミちゃん一家駆け込み事件」の前年に、この、同じような命がけの亡命劇「キルス君一家駆け込み事件」があったことを私は初めて知りました。結果、この事件はマスコミに知られるところとなり、2008年の北京五輪誘致のために人権問題で点数を稼がなければならなかった中国は、彼らをたったの3日で韓国に送還することによって、初めての「集団脱北」が実現したのです。


文代表は、この時に唯一日本人の記者が協力してくれたことにとても感謝しており、日本人に対する信頼はとても高いものでした。翌年の「ハンミちゃん一家駆け込み事件」においても、文代表は韓国人記者と共に日本人記者に依頼して撮影セッティングをしたわけですが、2歳のハンミちゃんと老人を含む一家5人を、中国武装警察が日本領事館の敷地内にまで入って引きずり出し連行していった時に、韓国人記者が写したスチール写真よりも、日本人記者が撮影したビデオ映像が全世界にセンセーションを巻き起こしたおかげで彼らが解放された、として、「私は周囲の韓国人に、『やがて私たちは日本人にひれ伏してお礼をいう日が必ず来る』といっているんだ」とまでおっしゃっていました。


それ以外にも、ハンミちゃん一家がホワイトハウスに呼ばれて大統領との会見を行った時の裏話や、現在、高校2年生になったハンミちゃんとその家族の様子なども教えてくださいました。もちろん、文代表はそれ以外にもたくさんの「脱北者」たちの救出を支援されてきたわけですが、それらの人たちは皆、文代表を「クナボジ(伯父さん)」と呼びながら、「自らの命を救ってくれた人」としてかけがえのない絆で結ばれているそうです。



●「脱北者」と付き合うには「聖人」にならねば


もう一人、文代表と共にお話をしてくれた、朝鮮族(朝鮮系中国人)の協力者のAさんのお話も少しご紹介しますが、彼女は、たとえば今回の平昌五輪の報道を見ながらも、北朝鮮から訪問した応援団たちのことを心配しているということでした。彼女らはできるかぎり韓国の環境に接しないようにされていましたが、しかし、どうしても南の進んだ環境を見てしまうために、北に帰ってから収容所に送られたり、処刑されたりする可能性が高いのだそうです。実際、2005年に仁川アジア陸上選手権で訪れた北の「美女応援団」も、今は皆、消息が知れなくなっているということです。何より、それを決めるのがテレビの映像であり、北の政府は、南で報道される映像をすべてチェックしながら、少しでも行動に疑いがあると、収容所送りや処刑の対象としてしまうのに、南のマスコミや市民たちはそうとも知らずに、親しみを表現して話しかけたり、仲良くしようとするために、「自分はテレビを見ながらずっと怒っていたのだ」といっていました。


Aさんは朝鮮族として親戚が北朝鮮にいるため、中国の旅券を持って親戚訪問の名目で北朝鮮を訪問しながら、もう20年以上、文代表の志に従った支援活動をされてきています。最初に訪問した時には、実際に飢餓によって気がふれて自分の子供を食べてしまった、という北の住民が公開処刑される姿を住民たちと共に観た、ということでした。その時、思わず手に持っていたカメラで写真を撮ろうとして、周囲の人から「そんなことをしたら私たち全員が処刑される」と止められたそうです。


親戚の家に泊まっている時に、その家では土間に黒い子ウサギを飼っていたのですが、ある日、親戚が喜んで書類を一枚持って帰ってきては、「ウサギを食べる許可証をもらってきた」というわけです。「自分の家のウサギを食べるのに何の許可がいるのか」と尋ねると、北朝鮮では許可なく肉を食べることも許されず、金親子の誕生日など、年に数回の祝日にだけ許可をもらって食べることができるということでした。「こんな子供のウサギなど自分は食べたくないので、もっと育ててから食べたらいい」というと、後になって別の家族から「せっかく肉を食べられると思ったのにどうして断ったんだ」と恨まれたそうです。


また、豚を飼っている家では、家の地下に5メートルもの深い穴を掘ってそこで飼っているわけですが、いつも泥棒にあうことを警戒して、豚の首に鈴をたくさんつけるだけでなく、その首につないだ紐を常に自分の手首に結んで、夜寝る時も監視していなければならないそうです。さらに、餓死者が続出するほどの貧しさの中で、北朝鮮の人は、常に目の前にあるものは盗むという生活をしているため、せっかく支援のために準備してきたお金も、入国審査官が見つけては、「自分のものだ」と盗っていくそうです。ある時には親戚が「どうか中国から生花を1輪持ってきてほしい」というので、「食べるものもないのに花などなぜ必要なのか」と聞くと、金親子の記念日に銅像に花を捧げなければならず、それが準備できないと罰せられて収容所に送られるというわけです。しかし、せっかく持っていった花も、入国審査官が見つけては、「これは私が最も探していたものだ」と盗られてしまったそうです。


そのような感覚は、支援対象の人々も同じであって、そういう環境で暮らしてきた「脱北者」と付き合うには自分が「聖人」になる覚悟が必要なのだそうです。亡命をさせる時には、領事館や国連事務所に駆け込むわけですから、最低限すぐには難民に見えないような格好をさせる必要があります。そのために、彼らの服を買おうと百貨店に連れて行くと、たくさんの品物が「放置」されているのを見て、とにかく手当たりしだいに懐やポケットに入れてしまうのだそうです。それはいくら注意しても、「なぜ誰も見ていないのに駄目なのか」といってどうしても納得しないということでした。


以上、ご紹介したい話は尽きないですが、実際、もう30年もの間、文代表にしてもAさんにしても、個人のお金をつぎ込みながらこの活動を行っており、文代表に至っては活動開始当時の借金をいまだに返済中にあるくらい、奉仕と犠牲の精神で支援を行っていらっしゃいます。しかし、そうしながらおっしゃるのは、「それでも実際に死に行く人を救うことができた喜びは、決して他のものでは取り替えることができない貴い宝だ」という言葉でした。まさに「七重仏塔を建てるより一人の生命を救うほうがいい」という思い一つで、目の前で死に行く同胞たちのために、自ら「聖人」となられているということを感じざるを得ませんでした。



これは亡命しようとする家族5人が写っているスチール写真です。(『今会いに行きます』番組中)



この時に満2歳であったハンミちゃんは今もう高校2年生になっているということでした。



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