こんにちは、勝田と申します。建築写真をやっているものです。

写真は勤め人時代の途中にスナップやポートレートから入りましたが、その後建築写真に進み、今はこれを生業にしております。そして建築写真の技法を使って建設中の建造物・現場を撮ることをライフワークにしています。これから(2012年記事アップ時)少しずつ、撮れたもの、以前に撮ったものを上げていきます。よかったら御覧になってください。

建造物は極めて沢山のヒトの思考と手間をかけて出来上がっていきます。いわゆる設計者といわれる方や直接作業される方々だけでなくその川上に既に沢山の、加えてずっと川下の完成後にも多くのヒトが関わっていきます。写真の一部にはそれらの人々が割と小さく、写っています。写真じゃわかりませんが大変に立派な方も、少し困った感じの方もいて、しかしまさしくその1人々々に人生があり理想と現実があり、苦しみ闘って建造物は出来上がっていきます。言ってみれば建設現場は世間の縮図の一種、これら写真はヒトの営みの俯瞰と言えないでもありません。私はこれらの方々に御世話になりながら写真を撮っているわけですが、殊更賛美するつもりも、いわんや否定的に捉えたりするつもりもありません。しかし撮れたものなど眺めながら、古来人々が連綿とこうした「築く」という「ヒトの営み」を積み重ねてきたことを思うとき、ヒトとは何と切なく、可憐な、いじらしい存在であることか、などと何やらある種の愛情にも似た気持ちにはなるのです。(一緒に仕事したりすればそれはもう憎たらしくて大変なのを知ってますので、愛情そのもの、ではないのです)

生きものはその個体の生き残りと種の保存を目指し必死で(という自覚もなしに。新型インフルエンザだって抗生物質に抗って変異するらしい)進化分化を遂げ、その過程で「築く」という術を手にした種もあります(鳥・虫・モグラ・ビーバー・蜘蛛・蟻・・・)。しかし大規模に組織立って築く行為を行うのは恐らくヒト、だけでしょう。恐らくはヒトが食物連鎖の輪から外れた時期に前後して、個体の生き残りと種の保存という命題を、社会規範とか、哲学だとか富とか道徳とか「よりよく生きる」などということと渾然一体となって成し遂げる生理レベルのしくみを進化の過程で確立したのだと思います。「築く」行為もそんな「ヒト種の生理」とがんじがらめになって、個体の生き残りと種の保存に機能してきたと考えます。私はいつか「ヒト種の生理・摂理としての建設」「築き続ける、邁進する生理のヒト種」を写真で解き明かしてみたい、と思うのです。

写真にもよりますが簡単な技術的な説明もしてまいります。

建築が多いのですが徐々に土木モノも上げていきます。