新しい自己肯定感の「あり方」革命

 

このテーマに興味を示してくれて、まずは、ありがとう。

 

今、世間では、ちまたでは、「自己肯定感」というキーワードで

様々な情報がひしめき合っている。

 

これは何を意味するのか?

 

そう。

 

自己肯定感が低い。低すぎる人がとっても増えてきていることを意味している。

 

そして、単純に自己肯定感が低いから、自己肯定感を高めようとする風潮にある。

 

できてないから、できるようになろう!みたいな。

 

けど、これは、かなり、浅はかな考えだと思う。

 

え?なんで!と疑問に思った人もいるかもしれないので、お伝えしますが、

なんで、

 

自己肯定感が低いの?と原因を知らずして、単純に、闇雲に、高さの幸せである

 

自己肯定感を高めよう!とするのは、うまくいくはずがない。

 

なので、自己肯定感を高める前に、なぜ自己肯定感が低いのか?

 

その原因を明確にする必要があると思いませんか?

 

この自己肯定感を単純に闇雲にプラス思考で考えてしまうと、

逆に、苦しくなる。

 

プラス思考の弊害ってやつ。

 

人って、自己肯定感っぽい、できてる自分、明るい自分、元気な自分、役に立つ存在意義がある自分って発信してコミュニケーションする癖があると思う。

 

けど、実は、周りの人たちって、

 

あんまり好きじゃない嫌な自分「こそ」出して欲しい、って案外思っている。

 

人は完璧じゃないようになっていて、不完全だからこそ出会いがある。

 

自分が困っていることは、誰かが役に立つことになる。

 

そんなバランスで出来ている。

 

なので、自分が人の役にたつスーパーマンだったら、誰も、あなたのことを助けてあげられない。

 

それは、別の言い方だと、相手に存在意義を与えてないっていう酷いことをしていることになる。

 

「私、困っているの」

 

それが相手にとって、相手が、あなたに役に立つ、という存在意義にもなり、誕生日プレゼントのように贈り物にもなる。

 

なので、あなたが、困っていることは、相手を助けることになる。

 

あなたが、困っていることは、相手を困らせるじゃない、場合が、たたある。

 

人間は出来ることで尊敬され、出来ないことで愛される、と誰かが言ってましたが・・・。

 

それと、今日のテーマは、新しい自己肯定感の「あり方」革命なので、

その話しをしますが。

 

人間は、プラス的な現象をプラスにする傾向にあり、その逆に、マイナス的な現象をマイナスにする傾向にもある。

 

さっきも言ったように、

 

私が困っている=相手を困らせるというマイナス的な観点で処理もできるが、

 

私が困っている=相手を助ける、というプラス的な観点でも処理できる。

 

同じ現状なのに、自分で、いかようにも、プラス、マイナス自由に設定できる。

 

これが自由じゃないか、と。

 

たとえば、あなたがネガティブで悩みを抱えて死にそうな状況の時って、超あっけらかんとした

何も考えてないようなプラス思考の人には、その悩みは相談しないと思う。

 

自分だったら、超ネガティブなことを言って、いつも自分の感情に素直な人に、相談する。

 

そのネガティブな人は、自分の悩みを共有、共感してくれそうだから、相談する。

 

どうですか?

 

こんな感覚ってありません?

 

この実例は、プラス思考の人が、相談されない、というマイナスの処理をした実例です。

 

なので、人間は、何かしらの思い込みで、

 

勝手に、プラス、マイナスをつけてしまうだけで、

 

本来ならば、自分で、自由に、プラスにしたり、マイナスにしたり、処理できるようになっている。

 

人間のイメージは自由だから!

 

相手、環境、状況、罵詈怒号、戦争、紛争、争い、摩擦、衝突など外の現象を、

 

どうみるのか?

 

それが出来るのが人間の無限の可能性だと思う。

 

今日は、新しい自己肯定感の「あり方」革命というテーマでお届けしました。

 

ありがとうございました。