どうも、木津です。
前回は、「ちゃんと考えてから動きます」と言いながら、永遠に下書きフォルダで腐っている人について話しました。
考えすぎる。
整えすぎる。
完璧にしようとする。
その結果、何も外に出ない。
そんな話でした。
今回は、少し別の角度からいきます。
今日のテーマは、「見下し」です。
ただし、最初に言っておきます。
見下している人ほど、自分では見下していると思っていません。
むしろ、こう思っています。
「私は正しく見ているだけ」
「違和感に気づいているだけ」
「本質が見えてしまうだけ」
「レベルの低いものにモヤモヤするだけ」
「雑なものを雑だと思っているだけ」
「浅いものを浅いと思っているだけ」
はい。
わかります。
たぶん、実際に見えている部分もあるんだと思います。
本当に雑なものもある。
本当に浅いものもある。
本当に「それは違うだろ」と思う場面もある。
でも、今日見たいのはそこではありません。
問題は、あなたがそれを見るたびに、どこへ立っているかです。
誰かを「浅い」と見るたびに、自分は「深い側」に立つ。
誰かを「雑」と見るたびに、自分は「ちゃんとしている側」に立つ。
誰かを「わかっていない」と見るたびに、自分は「わかっている側」に立つ。
その位置取りが、少しずつあなたを孤独にしていく。
今日はこの話をします。
「正しく見えている」は、かなり気持ちいい
まず、ここを認めた方がいいです。
正しく見えている感覚は、かなり気持ちいいです。
「あ、この人わかってないな」
「あの発信、浅いな」
「それ、前からある話じゃん」
「そんなレベルで出せるんだ」
「よくあれで自信満々に言えるな」
そう思った瞬間、少しだけ自分が上に立ったような感じがする。
相手より見えている。
相手より深い。
相手よりわかっている。
相手より雑ではない。
その感覚は、けっこう甘いです。
でも、その甘さの裏には、だいたい防衛があります。
自分の価値が揺らぐから、相手を下に置く。
自分の未完成さを見るのが怖いから、相手の未熟さを見る。
自分がまだ出せていない不安を、誰かの浅さでごまかす。
つまり、他人を見ているようで、実は自分の不安を処理している。
ここです。
見下しは、単に性格の悪さだけで起きるものではありません。
もちろん態度としては良くないです。
そこは言い訳しない方がいい。
でも、構造として見ると、見下しはかなりの確率で防衛です。
「私は正しく見ているだけ」
その言葉の奥で、本当は自分を守っていることがある。
「わかっている側」に立つと、動かなくて済む
見下しの怖いところは、動かなくても賢い感じがしてしまうことです。
誰かが発信する。
誰かが商品を出す。
誰かが挑戦する。
誰かが未完成なまま外に出す。
それを見て、あなたは思う。
「浅い」
「雑」
「構造が弱い」
「よくそれで出せるな」
「もっと考えてから出せばいいのに」
たしかに、そうかもしれません。
本当に浅いものもある。
本当に雑なものもある。
もう少し整えた方がいいものもある。
でも、ここで見てほしいのは相手ではありません。
その間、あなた自身は何を出していますか。
何を作っていますか。
何を試していますか。
何を現実に置いていますか。
ここです。
批評は、かなり安全です。
自分は傷つかない。
自分は評価されない。
自分の未熟さは晒されない。
自分の70点を外に出さなくて済む。
だから、他人の行動を批評している間、自分は守られる。
でもそれ、成長ではありません。
ただの観客席です。
しかも、腕組みした観客席。
一番めんどくさいやつです。
「わかっている側」に立っている限り、あなたは現場に降りなくて済む。
でも、人生は観客席では変わりません。
その山頂、誰もいません
「私は正しく見ているだけ」
この位置に長くいると、心の中で山を登り始めます。
もっと高く。
もっと正しく。
もっと鋭く。
もっと賢く。
もっと本質が見える側へ。
でも、その山は少しおかしい。
登れば登るほど、人がいなくなります。
「あの人は浅い」
「あの人は雑」
「あの人は甘い」
「あの人はわかっていない」
「あの人は本質が見えていない」
そうやって切り捨てていくと、最後には誰も残らない。
そして自分だけが山頂にいる。
すごいですね。
孤独です。
しかも、そこから見える景色はたぶん綺麗ではありません。
下にいる人たちを見て、
「みんなわかっていない」
と思い続けるだけです。
でも本当は、その場所で震えている。
自分も降りたら評価される。
自分も出したら笑われる。
自分も動いたら失敗する。
自分も誰かに「浅い」と言われるかもしれない。
だから降りられない。
見下しの山頂は、優越感の場所ではありません。
降り方を忘れた人の避難所です。
本当に強い人は、他人を下げなくても立てる
ここで大事なことを言います。
本当に自分の城に戻っている人は、他人を下げなくても立てます。
誰かが未熟でも、自分の価値はいちいち揺らがない。
誰かが成果を出しても、自分が消えるわけではない。
誰かが浅いことを言っても、自分の深さを証明する必要はない。
誰かが楽しそうにしていても、冷笑で水を差さなくていい。
なぜなら、自分の領土があるからです。
逆に、自分の領土が曖昧な人ほど、他人の土地を見て騒ぎます。
「あいつの畑は狭い」
「あの城は作りが甘い」
「あの旗はダサい」
「あんな門でよく城主ぶれるな」
いや、自分の城を見てください。
草、伸びてます。
門、錆びてます。
カラダ様、玄関で倒れてます。
他人の城の外観レビューをしている場合ではありません。
あなたが見るべきなのは、他人の浅さではなく、自分の未着手です。
あなたが整えるべきなのは、誰かの雑さではなく、自分の城です。
今日の処方箋:違和感が出た瞬間、自分に戻る
今日からの処方箋はこれです。
違和感が出た瞬間、自分に戻る。
「あの人、浅いな」
「あれ、雑だな」
「それは違うだろ」
「なんであんなので出せるんだろう」
「よくあれで平気だな」
そう思った瞬間、相手ではなく自分に戻る。
そして、こう聞いてください。
「で、私は何を出す?」
「私は何を作る?」
「私は何を怖がっている?」
「その違和感を、自分の行動に変えるなら何をする?」
「私は今、批評で安全地帯に逃げていないか?」
これです。
違和感を持つな、とは言いません。
人間なので、普通に出ます。
嫉妬もある。
苛立ちもある。
粗も見える。
「それは違うだろ」と思うこともある。
でも、そのまま相手を裁き続けない。
外に向いた意識を、自分へ戻す。
相手が浅いかどうかは、一旦どうでもいい。
問題は、あなたが何をするかです。
あなたが自分の城で何を育てるかです。
誰かを下げて得た安心は、すぐに消えます。
でも、自分で積み上げたものは残ります。
最後に
鋭く見えることは、悪いことではありません。
違和感に気づける。
構造の弱さが見える。
言葉の薄さがわかる。
雑なものを雑だと感じる。
それは、ある意味で才能です。
でも、その才能を他人を切るためだけに使うと、あなたは孤独になります。
鋭さは、剣にもなります。
でも、道具にもなります。
人を切るために使うのか。
自分の城を整えるために使うのか。
そこを選んでください。
他人を見下すことで保っている価値は、かなり脆いです。
誰かより上。
誰かより深い。
誰かより正しい。
誰かよりわかっている。
そんな比較の上に立てた城は、風が吹けば揺れます。
だから、自分の土地に戻る。
他人を下げるな。
自分を積め。
次回は、「正しさで人を殴る人」について話します。
たぶん、今回と地続きです。
では、最後に。
気付けーーーー!!!!
「私は正しく見ているだけ」の顔をした見下しに気付け!!!!
その山頂、誰もいないぞ!!!!
他人の浅さを裁く前に、自分の城を見ろ!!!!
降りてこい!!!!
自分の城を建てろーーーー!!!!