アートは無くても人は生きていける。
でも
アートに支えられて生きる人もいる。



我が家に飾られているこのちぎり絵は
14年前に亡くなった義母が
必死に生きた証です。


私は21歳で今の家に嫁ぎました。

26歳で長男を
30歳で男女の双子を
32歳で三男を出産。


そして
30歳の時の双子の出産と同時に
義母の在宅介護が始まりました。
脳梗塞で左半身不随です。
生命も危ぶまれましたが、
不幸中の幸いで
右半身の機能は残り、言葉も残りました。

義母が75歳の時でした。
主人が遅い時の子でしたから
義父母はすでに高齢でした。
義父は私が嫁いで6年後におくりました。
ひと世代飛んでいる感じですね。

要介護者になって暫くの間
義母の精神はかなり不安定で
出産間もない私の状況にまで
気持ちが及ばない。

そりゃあ、そうです。
ある日突然、自分の身体の半分が動かない。
歩けない。
好きだった畑仕事もできない。

自傷行為のひとつ。
自分の髪をハサミで切ります。
ベッドが髪の毛だらけ。
『なんで切るの?禿げちゃってるよ』
と言うと、『切っていない』と言う。
掃除です。

毎日作って置いておく弁当は
時々、投げ散らかされます。
でも、『自分はやっていない』と言う。
また掃除です。

デイケア、デイサービス、ケアマネさんの
使えるサービスを全て使い、
そうしてでも、
施設や病院には入りたくないと
義母は在宅を願いました。
だから、応えました。


義母の精神もだけど
私の精神も密かに極限。
私が病んでいる場合じゃないんだと
走る。
子育て、嫁、フルタイムで事務職
そして介護。


流石に数年後、
心臓やられました。
手術笑い泣き


ある時、義母は
ちぎり絵に出会いました。
すぐに夢中になりました。
色紙や、和紙や、糊を
特に素敵な和紙があれば買ってあげると
本当に喜んで。

風景画をよく作っていました。
お出かけが好きだったから、
その頃歩いた色々な場所を
色紙にのせていたのでしょう。

和紙の端を口にくわえて
右手でちぎって。

だんだん、義母は
元気だった頃の心遣いの出来る優しい義母に
戻っていきました。
子供たちが小学生になり
学校から帰ると
おばあちゃんの部屋に行って
氷砂糖やかっぱえびせんなんか
貰っていたみたい(笑)

夏休みなど
義母が居るお陰で
(例えベッドの上でも)
だんだん安心して仕事に向かえるようになり
義母も『役に立っている』事が
モチベーションになっているようでした。

ちぎり絵との出会いが
ターニングポイントだったと思う。

双子が小学6年生の時に亡くなるまで
約12年間の在宅介護。
お義母さんも大変だったね。


別に苦労自慢するつもりじゃないけれど
長くなりました。


今はこんなんですから
ご安心ください爆笑





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人生はアート





芝の上の羊