『FishBowl』 vol.13 - 8 | 佐藤です、小説書いてます。

佐藤です、小説書いてます。

小説を書くこと、読むこと――について。
あと、思いついたことなどを、
まあ、そこはかとなく。

 

 梵のおじさんの死による影響は比較的長く留まっていた。父さんはもちろん僕にも少なからぬ影響をあたえたし、それ以外の面々にも(ばらつきはあったものの)ある一定の影響を及ぼした。

 

 中でも田中和宏は最も多くそれを受け取ることになった。

 

 彼はその取材能力(質問癖とも言う)を駆使し、この経験から様々な物事を学びとり、それを劇作に生かせた。田中和宏にとって経験とは――後に自らそうと言ったように――栄養源だったのだ。だから、父さんが死んだときもその経験を劇中に使うことができた。

 

 彼が後に書いた戯曲『ゴスペルブラザーズ ――神の御使い漫才師――』はイエス率いるドサ回りの劇団アポストルズが笑いを通じて神の教えを広めていくという話だったけど、イエスの死にまつわる部分に関しては梵のおじさんや父さんが亡くなった直後の混乱振りとよく似ていた。

 

 そもそも、その戯曲にあらわれる漫才コンビ『イエス&ユダ』のネタはヒール/ソールのものを焼き直した感があったし、十二使徒は草介一門そのものだった。それぞれの登場人物にすこしずつ実在している(あるいは、していた)者たちの性格や関係性を加味したものだったのだ。

 

 たとえば使徒のまとめ役であるペテロはシゲおじさんに酷似していたし、父さんや梵のおじさんにされてたのと同じようにイエスとユダから多大な迷惑をこうむっていた。

 

 爆死についても触れられていた――熱心党者シモンはローマへのテロを計画し、ゴルゴダの丘に引き立てられるイエスに爆弾をくくりつけようとする(当然この時代に爆弾なんてないのだけど、これはお話なのだ)。

 

 また、イスカリオテのユダが自殺する前にとうとうべるモノローグには父さんのちょうから借用もされていた。「お前は天才だった」とユダは言うし、「天才過ぎて笑えないんだ」とも言った。

 

 この戯曲においてはマグダラのマリアとの奇妙な三角関係(ユダが彼女の笑いのセンスに嫉妬するのだ)がユダに裏切りを決意させるのだけど、そういう部分を抜きにすれば、ヒール/ソール及び草介一門をモデルにしてるのは一目瞭然だった。

 

 父さんがよく口にした「すべては定まり変えることはできない」という言葉もそのまま使われていた。それはせいしゅつの天才芸人イエスの台詞として出てくるのだけど、梵のおじさんの死に直面した父さんがそのように考えようとしてるのは痛いほどわかった。「まるで古い本に既に記されている」ことのように相方の死をとらえようとしていたのだ。

 

 しかし、その直後にあった祖母の死についてはそう考えられないようだった。きっと、うちつづく身内の死に考えるのを放棄してしまったのだろう、ひと月に二度あった葬式の後で父さんはほうけたようになった。

 

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