今日という日、そして来し方行く末

今日という日、そして来し方行く末

定年退職後の日々(おそらく20年ほどの残された日々)
の出来事や思うことを徒然に綴っている残日録です
~日残リテ昏(クレ)ルルニ未ダ遠シ~

まだまだ日中は暑く、それに、きのうなんて熱帯夜じゃないかしら?と思うくらい寝苦しかった。果たして、秋は来るのか・・・?

 

今、京都に帰っているのだけど、帰って来たら来たでいろいろ用事あり。

 

きのう、ダンナと一緒に保険金請求書の記入捺印を済ませ、必要添付書類をコピーして、やっと投函!お医者さんから貰った医療費の領収書の記載が全て英語なので記入欄に正しくUS$の額が記入出来たのか?添付書類はこれでいいのか?とか不安だらけなのだけれど、いつまでも悩んでいてもきりがないので、取り敢えず、一旦送るだけ送って、不備があれば何か連絡が来るでしょう・・・。

 

そして、車の12ヶ月法定点検のために車をディーラーに持って行ったのだけれど、そろそろ10万kmになるし、来年車検だし、新しい車に買い替えたら?なんて言われて、ダンナとふたり、なんとなくその気になってパンフレットまで貰って帰ってくる。ああいう営業の人って、誠実そうに見えて、実にうまーく人を乗せてその気にさせる術にたけているなぁ・・・。

 

その後、今度の日曜日、叔父の三回忌なのでお供えのお菓子を買いに行く。同時に、ダンナが近々田舎にお墓参りに行く予定なので、お寺さんに持っていくお菓子も買う。

 

その後、スーパーに行って、冬に備えて、新しい枕カバーや新しい冬布団用の掛け布団カバーを買ったりしているうちに、すっかり夕方になる。

 

(↓)最近買ったニベア。今年の絵柄はこんな感じ。

やっと、おしゃべりからお裁縫へ。「さて、何を作ろうか?」と思った時に、前回作ったワイドパンツ(↓)の布が大分余っていたので、共布でベストを作ることにする。布にアイロンを当てて、型紙を当てて裁断。そして、しつけをやり始めたところでタイムアップ。

 

(↓)そして、最後のお茶の時間にクルーズで行った宮古島で買ったお菓子を出す。そして、釜山で買ったフェイスパック(これ、娘には不評だった)と韓国海苔(これは「美味しい、美味しい」と言って娘も孫たちもパクパク食べて全部食べそうな勢いだったので「京都に持って帰るので残しておいて!」と言ったもの)を少しずつ皆さんに配る。

 

宮古島で買ったアーサは、教室の生徒さんで何度もクルーズに行ったことのある方がいて、その方がわざわざ教室に来て経験談を話して下さったり、その後もラインでいろいろ質問すると丁寧に答えて下さったりしたので、そのお礼にと先生に預ける。

23日(月)から京都に帰っていて、きのうは楽しみにしていたお裁縫教室の日でした。

 

先週の水曜日に電話で、クルーズのことやインフルエンザに罹ったことは大体話していたのですが、更に、話す。なので、最初の30分くらいは、全くお裁縫はせずおしゃべりのみ。

 

先生が、今年、先生と友達ふたりと私の4人で行った上高地、そして、おととし、先生と友達と私の3人で行った裏磐梯のフォトブックを作成して下さっていて感謝。

 

こういう形にして残しておかないとスマホの中に写真が入ったママで見返すこともないというのが正直なところなので、こういうコンパクトな形にしてもらえると何度でも手軽に見返すことが出来るので便利。それに旅程や訪ねた観光スポットなども書いて下さっていて、写真の選択・編集のみならず文字入れまで大変だったろうと思う。

 

(↓)おととし泊まった裏磐梯高原ホテルの裏庭にて撮った一枚が表紙に(このホテル、本当に素敵なホテルでした!)。一番太っているのが私。

 

そして、上高地は梓川をバックに4人で並んで撮った写真が表紙に(この写真、通りがかった外国人の人が撮ってくれました)。

インフルエンザからは完全に回復して、すこしずつ通常の日常生活に戻りつつあるのだけれど、とにかく暑い!いつまで続くこの暑さ・・・という感じ(去年も同じようなことをこのブログに書いたように思うけど)。

 

きのうは、クルーズ後、そして、インフルエンザから回復後、初めて太極拳へ。久しぶりにしっかり体全体を動かしたせいか、帰って来てから足のあちこちが筋肉痛となる(Curvesにはまだ行けてない。ナニセ暑いので、徒歩15分はかかるCurvesまで歩いて行く気にとてもなれず・・・)。

 

2、3日前には京都に居てた時に通っていたお裁縫教室の先生からお電話を頂いて、友達ともおしゃべりが出来てとても嬉しかった!

 

罹ってしまった病気のことをクヨクヨ考えていても仕方がないので、これから一緒に行く予定にしている旅行(今年は上高地に行ったのだけれど、来年は奥入瀬に行く予定)や観劇(帝国劇場の「レ・ミゼラブル」。おそらく、チケット取るのは至難のワザだろうけれど)の話などをして、大分気持ちが前向きとなる!お電話をくださった先生や友達に感謝。

 

(↓)アパートの窓から見える貸農園。この暑さのせいで青々というかボーボーな野菜(何の野菜か分からないけど)や木々の葉っぱたち。クルーズから帰って来て、この景色を見た時、大海原ばかり見ていたので目がホッとしたのを憶えている。

 

(↓)そして、朝5時ごろにアパートの窓から見える朝焼け。「今日も暑くなりそうだぞー」と思うのだけど、とにかく、この頃毎朝の日の出前の朝焼けが本当に美しい!(数日前の中秋の名月も美しかった!)

私はクラブツーリズムを通じて今回のクルーズに申し込んだのだけれど、クラブツーリズムがすぐに保険会社に連絡してくれて、船内でかかった医療費請求のための「海外旅行保険 保険金請求書」がすぐに届く。

 

今、それにウーンウーンと言いながら記入して必要書類も揃えているところ。分からないところは、保険会社に電話して訊いたのだけれど、まだ分からないところもあり・・・。

 

実はクルーズ前に、何回もクルーズを経験している人に「海外旅行保険はどうしていますか?」と訊いたら「クレジット・カードに海外旅行保険が付帯しいているので、特には入っていない」という答えでした。私も次回からはそうしよう・・・そうしたら、高い保険料も払う必要ないですものね(以前はそのクレジット・カードでツアー料金やエアチケット代を支払った場合のみ保険金が下りるということだったように思うのだけれど、今はそのしばりもなくなったみたいですものね)。


(↓)船内で買ったTシャツとティー・タオル(2枚セット)。

 

実は、神戸・高知・広島の3ヶ所が台風のために抜港になったので、船内でのみ遣える「オンボード・クレジット」というものを150ドル提供されて「下船前に使い切ってしまわなくっちゃ!余ったら勿体ない!」と慌ててこれらを買ったのだけれど、その後、インフルエンザの医療費がべらぼうにかかったので、それ用に残しておけばよかった・・・と後悔した次第。

 

このTシャツは娘夫婦と私たち夫婦用に全部で4枚買ったのだけれど、娘には不評(寝間着代わりにでも使っていただければ・・・)。しっかりした生地のティー・タオルは布巾など何にでも使えるので便利ですよね。

今回のクルーズの最後3日間でインフルエンザになってしまった訳だけれど、その原因を自分で考えてみると:

 

1.まず第一は、コロナ以降帰宅したら必ず手洗い・うがいが習慣になっているのだけど、自分の客室を出て、ウロウロして飲んだり食べたりしたりした後客室に戻った時にちゃんと手洗い・うがいをしてなかったという点。船内はいろいろな国の人がウロウロしているのだから、これは致命的だったと思う。

 

2.ずーっと終日航海日が続いていて、急に宮古島・釜山・佐世保で船を降りて観光して、この3カ所とも凄く暑くって、そして、船に帰って来たら寒いくらい・・・ということで体の調子がおかしくなったのだと思う。モチロン、そういう環境にちゃんと順応できないというのは歳のせいだと思う。

 

3.そして、客室を一歩出るとほぼ外国人だらけ(クルーも含め)ということで、やはり知らず知らずのうちに緊張していて、それが何となく体調にも影響を与えたのかも。これも若い時ならゼンゼン平気だったと思うのだけれど・・・。

 

と、今更ながら、いろいろ反省してみるのだけど、今回のインフルエンザは、自分が「もう若くない」ということをつくづく実感する機会となりました。

 

(↓)宮古島のお土産屋さんで買った、娘へのお土産のゴツゴツした感じの大きめのお皿と鉢。これは「やちむん焼き」というらしいのだけど、娘はこの「やちむん焼き」のよくある植物のツタや葉っぱのような模様のお皿は持っているので、それ以外の水玉模様のものを選択。

 

その他、宮古島では、お裁縫教室に持っていく定番のお土産のお菓子や乾燥アーサ(「アオサ」?)を買う。そういえば、宮古島の伊良部島の空港でオリオンビールも飲んだなぁ・・・もうなんか「記憶のカナタ」という感じなのですが・・・。

楽しかった平戸から帰った夜から未明にかけて咳が出始める。最初は風邪だろうと軽く考えていたのだけど、インフルエンザと判明。それから、下船する日まで客室に隔離となる。

 

「終わり良ければすべて良し」の反対で、終わりがあまりにも酷かったので、このクルーズ旅全体も、何となく良い印象・良い思い出とすることが今のところ出来ないのが残念。

 

最初の頃は、台風と見事にバッティングして神戸・高知・広島に寄港できず終日航海の日が続いたのだけれど、それなりにクルーズを楽しんでいたのだけど・・・。

 

「百名城巡り」をしているワタクシ、神戸では明石城へ、高知では高知城と桂浜へ、広島では広島城へ行こうと予定していたのだけど、全てボツとなる。残念だったけど、まぁ、それらの場所は又、電車や車でいつか行く機会もあるでしょう。

 

なかなか日本を訪れることが難しい外国の人たちは抜港続きで、本当に気の毒でした(今回は日本人が少なかったそうで、といっても、モチロン一番多い776人、次がオーストラリア人で646人、次がアメリカ人で591人、次がイギリス人で119人、次がカナダ人で99人、その他、南米の人も多かった)。

 

日本人では、繰り返し何度もDiamond Princess号に乗っているという人が多かったのだけれど、私はもう当分はいいかな・・・(とにかく、今現在は、Diamond Princess号とインフルエンザの苦しい記憶がしっかりリンクしてしまっているので)。

 

(↓)佐世保港に停泊中のDiamond Princess号。

平戸大橋(↓)を渡ってすぐのところにある道の駅の「平戸瀬戸市場」で海鮮丼でも食べようと思って行ったら、ちょうど日曜日のお昼どきで16組待ちとのことで断念。お腹が空いたので、道中にあったローソンでおにぎりを買って食べたのだけれど、久しぶりに食べるコンビニのおにぎりの美味しさに絶句!

 

(↓)田平(たびら)天主堂。平戸ザビエル教会同様、この教会も中が見学出来たのだけれど、ステンドグラス(おそらく、イエス・キリストの生涯を描いたもの)が素晴らしかった!

 

(↓)墓石の上に十字架が立っているお墓が並ぶ墓地。

 

この後、一路、佐世保に向かってレンタカーを返却。やはりレンタカーを借りたのは正解だった(前日にスマホでレンタカーのお店を検索して電話して、予約しておいた)。効率よく見るべきところを大体全て回れたように思う。

 

予定より早く着いたので、港近くにあったショッピングモールの日本食のお店に入って、久しぶりのお蕎麦!(↓)

 

(↓)お店の前から停泊中のDiamond Princess号を写す。

(↓)平戸ザビエル記念教会。なんか、作りもののようなキレーな教会だった。

 

(↓)「寺院と教会の見える風景」

 

(↓)平戸オランダ商館1639年築造倉庫(復元)。1550年に平戸にポルトガル船が来航し、これが日本で初めての西洋船の来航だったのだそう。以後、十数年にわたり平戸にポルトガル船が寄港するようになったのだけれど、その後は長崎へ拠点を移したのだそう。

 

(↓)そこからの平戸城の眺め。

 

(↓)生月(いけつき)大橋を渡って生月島へ。平戸大橋は赤だけれど、この橋はブルー。

航海8日目。当初の予定通り、佐世保港に到着(↓)。

 

ここではレンタカーを借りて平戸に行く。佐世保から平戸まで1時間くらい。

 

平戸というのは思い出の地で、大昔(今から45年くらい前?)、一度、平戸に来たことあり。友達ふたりと飛行機で福岡まで来て、友達のひとりの知り合いの九州大の男の子が車で迎えに来てくれて(あちらも3人いたと思うけど記憶が曖昧・・・)、いろいろなところを案内してくれて、その中に平戸もありました。

 

あまりよく憶えていないのだけど、平戸の印象としては田舎の港町という印象だったように思うのだけれど、今回、再訪してみていろいろな観光スポットがあって、充実の観光となる。

 

(↓)平戸大橋を渡る。

 

(↓)平戸城。「日本百名城」のお城の中でも、こんなに海の近くにあるお城って珍しいと思う。

 

(↓)お城から平戸大橋を眺める。