どう言ったらいいのだろうか。目の前で首を傾げて微笑を浮かべる女性は、自分より明らかにか弱い存在であるはずなのに、何故だか圧倒されるのだ。

エリック・バードンは軽く喉を鳴らした。そうしなければ、まともな声が出ない気がしたからだ。

「どうしたの?そんな風に、突っ立ったままで。…私に聞きたいことがあるのでしょう?」
ティナ・レイフォードは笑いを必死にこらえた。義妹の婚約者がわざわざ自分のオフィスへやって来た。自宅へ訪問してもいいはずなのに、ここへ来たという事は、夫やクララに聞かれたくないことなのだろう。
―――それは素敵。
自分は内緒ごとが大好きだ。ワクワクした気分になれるから。
エリックの方は明らかにばつが悪そうな顔をしている。きっと自分から疑問を解けないことが悔しいのだ。女性であるティナにヒントをもらわなければ解けないなんて、エリックのような男性には―――女性に頭を下げたことなどないだろう―――屈辱的なことなのかもしれない。
そんな彼が、こうして自分のもとへやって来たという事は―――ティナは忍び笑いをした。
クララのことを大事に思っている証拠だろう。ハンサムなエリック・バードンのことだ。女性の方から彼に近づき、ご機嫌伺いをされるエリックが、自らティナに「教えてほしい」と頼まなければならない。
こんなに楽しいことがあるかしら?


「お話は後にしましょうか。とりあえず、座ってくれる?喉が渇いて仕方がないの。きっと授乳中だからね。子どもに水分を取られてしまうのよ」
「あ、ええ。そうですね」
びっくりしたような顔のエリックに、ティナは堪えていた笑いが飛び出してしまった。
「そんなに居心地の悪そうな顔をしないでほしいわ。エリックだって、クララとの間に子どもができたら、きっとこんな会話は日常的よ。“あのダン・レイフォード”だって、赤ちゃん言葉で話しかけてるんだから」


クララの義姉のティナは、手ごわい相手だ。賢くて明るくて、そして強い。
お嬢さん育ちのクララには無い素質―――例えば、クララは精神的にとても脆い―――を沢山持っている。
そんなティナが『盛大な結婚式』に拘るというその理由が、彼はどうしても知りたかった。クララもそう感じているようだが、彼女はティナの頑丈な砦を壊すだけの力がないだろう。

エリックは、目の前に注がれたスパークリング・ウォーターを凝視した。

「ごめんなさいね。授乳中だから、カフェインをできるだけ取らないようにしているの。エリックがコーヒーがいいならそうするわ」
「いえ、これで結構ですよ」
「そう?私に遠慮しなくていいのよ」
「いいえ。ごくごく飲みたい気分だから」
エリックが持ち前の爽やかな笑顔を見せると、ティナはそれ以上何も言わずに頷いた。


「―――なぜ、ですか?」
エリックは膝に肘をついた姿勢で、ティナの顔を見て言った。
彼の短い言葉だけでティナには伝わったようだ。微妙に眉を上げて、それからいたずらっこのような笑みがこぼれている。
「クララにも言ったけど、花嫁が『クララ・レイフォード』だからよ」
「それが重要なのですね」
エリックの言葉に、ティナは頷いた。

「私とダンの結婚はメディアの餌食になるのを回避するために、身内だけでひっそっりと執り行ったの。…もちろん、とてもいい式だったわ。そのことに不満はないのよ。―――ただ一点だけを除いて」
「一点…?」
「ええ」

コトンと小さな音を立てて、ソファの前に置かれたローテーブルにグラスを載せたティナは、壁にかかる古ぼけたデザイン画を凝視している。
それは、レイフォードの原点ともいえるデザイン画のレプリカだった。

「私がどれほどまでに、このレイフォードのデザインを愛してるか、知ってる?」
ティナは呟いた。
「ダンが時々いうのよ。『もしかして、君は生まれてくるお腹を間違えたんじゃないか?』って」
クスクスと笑い出した。
「『僕のかわりにティナがレイフォード家に生まれたほうが、ずっと正しい気がするな』って言うけれど…。それは違うわ」
ティナがエリックの端正な顔を見据えた。

「身近にあると気づかないのよ、その良さも、価値も」
「ええ」
ティナの言葉にエリックは頷きつつ、話の着地点を探った。
「―――いつだったかエリックにも言った事があるわね?クララがレイフォードの家に生まれたことを重荷に感じていたってこと」
「はい」
ティナはグラスを持つと、一口飲んだ。
「その重荷の形を変えたいのよ」
「え?」
「クララに、レイフォードの家に生まれたことを重荷に思ってほしくないの。むしろ、胸を張ってほしい。そしてこの伝統を受け継ぐ覚悟と責任を、持ってほしいのよ」



*****



「エリックっ。お待たせ」
黄色いシャツに、水色のスキニーなデニム。今日のクララは普段よりずっとカジュアルだ。そして似合っている。
「ふぅぅん、珍しいな。レイフォードの柄を着てないなんて」
「あら、これもそうなんだから。よく見て!」
クララが黄色のシャツを指さした。目を凝らしてよく見ると、ドットだと思った柄は、極小の花びらだ。
「本当だ」
「でしょ?これは新作よ。ティナがどんどん若いクリエーターをスカウトしてて、デザインの幅が増えてるわ。ティナって人材を見つける天才ね」
クララの言葉にエリックは微笑んで同意した。ティナがレイフォード家の一員となってから、このテキスタイルを至る所で目にするようになった。
もともと伝統的なテキスタイルメーカーであったが、どこかとっつきにくく、お高く留まった雰囲気が滲み出ていた。ところが最近は、クララのような若い女性たちが競って身に着けている。

「広告塔がいいからな」
エリックは恋人の細い腰を掴み、婚約者らしい遠慮のない仕草で引き寄せた。まるで世界中に『クララ・レイフォードは、エリック・バードンのものである』と示すかのように。
「そう?そう言ってもらえて光栄よ。人気者の操縦士さん」
クララはエリックの顎にキスをした。

「―――本当だよ」


ティナの言葉が思い出される。
『たった一つの心残り』と『クララはレイフォード家の娘』
この二つの言葉を繋ぐピースを探している。

わざわざティナのオフィスへ出向いたけれども、結局彼女は明確な答えは教えてくれなかった。その代わり、いくつかのヒント―――あれはヒントと言うよりは、謎かけかもしれない―――をエリックに与えた。

「この前はね、全身の寸法を測られたのよ。私は専属モデルじゃないのに」
クララが口を尖らせて彼を見た。
「ふーん?何の必要があって?」
「そこよ。ティナに聞いても笑ってるだけだもの」
肩をすぼめている。
「今度はエリックのサイズも測るって言ってわ」
「冗談だろ?何の必要があるんだ」
「さぁ?その理由は聞いてないけど。もしかして男性の広告塔も欲しいのかも」
クララの言葉にエリックが嫌な顔をした。
そんな彼の表情を見た彼女は、明るい声で笑いだした。

「自分だけ災難を逃れようとしてもダメね。二人で遭遇することになってるんだから」
クララは頬を染めて、ツンとエリックの肩を押した。
「…そうだ。僕たちはいつだって『二人』でそうなるようにできてるんだ」
エリックは、芝が広がる公園の広場であることも構わず、クララに甘く激しいキスをすることにした。




クララの頭を上半身に載せたまま、エリックは芝に寝ころび空を見上げていた。クララは彼に寄りかかって寝ころび、本を開いて読んでいる。


『たった一つの心残り』と『クララはレイフォード家の娘』
不意にエリックの頭にあの言葉が浮かんで離れなくなった。

「もしかして…」
「なぁに?」
「もしかして…ティナは僕たちの結婚式用のドレスを誂えてないか?」
「え?」

よくよく考えてみると、正にそんな気がしてくる。

「そうだ、きっとそうだ」
「エリック?」
肘をついて体を起こした彼は、不思議そうに自分を見つめるクララに向かって、満面の笑みを見せた。そう、クララが虜になる。いや、世界中の女性が虜になる。


「クララ、ティナが盛大な結婚式にこだわる理由が分かったぞ」
「本当…?」