そよ風が心地よい。クララは空を見上げた。今日は珍しいぐらいの快晴でこうして太陽の下で過ごすのは本当に気持ちがいい。

―――でも、きっと隣にこの人がいるから。

隣で寝そべり、自分と同じように空を見つめているエリックを、クララはそっと見おろした。
「ねぇ、チクチクしない?」
クララはエリックの車に積まれていた古ぼけたブランケットの上に膝を抱えて座っているが、エリックは地べたに寝ころんでいるのだ。芝に覆われているとはいえ、見ている方がこそばゆくなってくる。
クララの言葉に、けだるそうに視線だけ動かしたエリックは、
「そんなことないけどな。小さなころから、よくこうしていたから、気にならないよ」
そう言って笑った。彼は頭の後ろで組まれていた片手をクララに伸ばすと、膝の下で行儀よくつながれている彼女の両手に触れた。
クララの視線が二人の重なった手の甲に注がれる。


スリムな体の割には、その指は逞しい。
一度エリックにそう感想を述べた時、彼は笑って、「操縦桿を握るからかな」とマジマジと自分の指を見ていた。
すっかりなじんでしまったエリックの指。
彼以外の人と手をつなぐ機会はないけれども、もしそんなことがあったとしたら、きっと自分は違和感を感じてしまうだろう。クララはそう思った。
そういう類の物思いにふけることが、最近の彼女は多い。
エリックにどうしようもなく惹かれていて、彼自身も自分に好意を盛大に表してくれているというのに、どうしても一歩が踏み出せない。
――― 大好きだから。愛してるから。彼に裏切られたら、もう立ち直ることができない。
エリックが離れていく瞬間を思い浮かべるだけで、胸が苦しくなり、涙さえこぼれる始末だ。

今も、すっかり自分の世界に入り込んでいたらしい。


伏せられた長い睫毛が彼女の白い頬に影を作る。
彼女がこうして物思いにふける姿を見るたびに、エリックは黙って見守ることにした。クララはどこか自分に対して壁をつくっている。もう少しでその壁を打ち破れそうな気がするのに、なかなか決定打がない。

それでもエリックは焦らないように自分に言い聞かせている。

彼女の気持ちに勝手に踏み込んだら、きっとクララは二度と自分を見つめてくれないだろう。
―――クララが大事だ。
だからいつまでも待とうと、柄にもなく自分を抑えている。
できることなら、今すぐにでも彼女を自分のものにしてしまいたいのに。


「クララ?」
エリックに呼ばれて返事をしようとした時、彼がぐいっとクララを自分の体の上に引っ張った。
「きゃあ」
寝そべっているエリックの胸の上に覆いかぶさるように、クララは倒れた。
「びっくりするじゃないの」
エリックの体の脇に手をついて、クララは上体を起こした。と、思いがけない近さにエリックの顔があり、そのスカイブルーの瞳が自分を絡めとる。

ドキドキと高鳴る鼓動。

クララが慌ててエリックから離れようとした時、彼の大きな手がクララの後頭部を押さえつけ、ゆっくりと自分の顔へ向けて力をこめた。
エリックのするがままに、クララの小さな顔が近づき―――二人の唇はふんわりと重なった。

下唇を優しく噛まれ、クララは思わず小さく口を開けた。エリックの舌がそっと入り込む。いたわるように彼の舌はクララの舌に触れる。

―――素敵。

気が付けばエリックの胸に自分のそれを押し付け、キスに夢中になっていた。

クララがエリックの肩をぎゅっと握りしめていると、不意に彼に抱きしめられクルリと二人の体が入れ替わった。
ブランケットの上にクララが寝そべり、彼女を愛おしそうな目で優しく見おろすエリックがいた。
ブランケットに広がる豊かな髪を、エリックは指に絡ませ、上からハラリと落とした。

――― それが合図だった。


エリックは、クララの首の後ろに片手を入れると、彼女の頭を少し上向きにさせ、情熱的にキスをした。クララも手を伸ばしてエリックの柔らかくカールした髪に細い指を入れると、彼の頭を引き寄せる。
二人の体が一対になり、お互いの鼓動がどちらのものか分からないほど、密着しながらキスを繰り返した。
一つ目のキスが終わり、次のキスがいつ始まったのか分からないほど、途切れなく続き…クララの唇が赤く腫れた頃、エリックは名残惜しそうに唇を離した。

「エリック…?」
ゆっくりと開かれたクララの目を見つめ、最後に軽くキスをしてから、エリックは体を起こした。



頬をピンク色に染めどこか焦点が定まらない潤んだ目で、ぼんやりと見上げてくるクララ。
――― まだダメだ。彼女の気持ちは、決まっていない。

エリックは、既に暴走しようと準備万端の己を叱咤し、なだめすかせるためにクララの横に膝を抱えて座った。左右の指をしっかりつかんでいないと、今この瞬間にも彼女に触れてしまいそうだ。

そんなエリックの行動が不可解だったのか、クララが不思議そうな顔でエリックの横顔を見上げていた。薄いブルーの目が何か言いたげだ。

「エリック…?」

クララの小さな呼びかけに、エリックは優しく微笑み、地べたに咲く薄ピンクの花を抜き彼女の髪に差した。
一つ、二つ、三つ……

「エリックったら、やめて。私たちの周りだけ花がなくなって丸裸になってしまうわ」
クスクスとクララが笑いながら、顔の前で手を左右に振って抵抗する。
いくら言っても止めないエリックに、業を濁したクララは突然立ち上がって走り出した。

「クララ!」
笑ながらエリックが立ち上がり、クララに向かってきた。それを見てクララは、キャーキャー言いながら逃げ回っていた。

白いカットソーに薄いピンク色のレイフォード柄のスカートが風にたなびいている。クララの長くカールした髪が、太陽の光を反射して白っぽく光る。

軽やかに駆けるクララをエリックは目をすがめて見つめた。

―――手が届きそうで、この腕に抱き寄せることが出来そうで。けれども、どちらも叶わない彼女。



小さな小石に躓いて、クララが倒れそうになった。
―――転んじゃう!
クララが目をつぶった時、エリックの腕が彼女の腰を後ろから抱き寄せた。
「レイフォード家のお嬢様は、案外お転婆なんだな」
クララの耳元に熱い息がかかる。
「そ、そう…みたいね」
エリックの低い声にクララは身震いをした。体の奥が熱くなって、お腹がぎゅっとおされるような初めての感覚に、彼女はたじろいだ。
―――これはなに?

「それじゃあ…逃げられないように、こうしていよう」
そう言うと、エリックはクララの手を素早く握り、歩き出した。


―――エリック。あなたのことで、私は一杯よ…。知ってる?

汗が前髪を濡らし、日の光でキラキラとするエリックの横顔を見つめながら、クララは口に出せない言葉を胸の中で囁いた。