「こんなに広かったんだ」
プライベートジェットに乗り込んだチェギョンは、広い機内を見渡した。
彼がこのジェット機に乗り降りする姿を画像で見たことは数えきれないほどあるけれど―――そのたびに胸が痛んだ―――、中がどうなっているのかずっと謎だったのだ。

白とダークブラウンの色調で整えられたインテリア。
革張りソファ―――座席と呼ぶには豪華すぎる―――は、白だった。

「チェギョンはここだ」
シンが呼ぶ。
ゆったりとした大きなソファに、彼は長い脚を組んで座っていた。
チェギョンが彼に近づくと、彼は自分の座席の隣をあけた。

 
「ここ?」
チェギョンの言葉にシンが頷いた。
「二人掛け用だから」
「そう…」
彼の隣に何人の女の子が座ったのだろうか。気にしないようにしていたけれど、やっぱり気になる。浅く腰掛けて膝の上で重ねた指先を見つめた。
薄いピンクのネイル。バカンスにはビビットさが欠けていると思ったけれど、シンのガールフレンドたちのように、思い切った色を付ける勇気がないから。

「チェギョンが初めてだ」
「え?」
彼女が顔を上げて彼を見つめると、シンが顔を傾げて覗きこんできた。
「僕の隣に座ったのは、チェギョンだけだ」
「本当…?」




二人掛けの座席に呼ぶと、哀しそうに目を伏せちょこんと座るチェギョン。
てっきり自分に寄り添ってくるかと思えば、彼女の指を見つめるばかりだ。

白く細く小さな手。彼女はいつも薄いピンク色のネイルをしている。もうそれが当たり前で、ファッションに会わせて色とりどりのネイルをする女友達を見ると、かえって辟易してしまう。鮮やかな指先が、つけている本人の押しつけがましさを強調しているかのように感じてしまうからだ。

―――どこまでも“チェギョン”だけだな

霞のように繊細な彼女を見つめ、シンは愛おしさで胸がいっぱいになった。

「当たり前だろう?僕の恋人は3年前からチェギョンだ。―――その前も、“恋人”と呼べる存在はいなかったけど」
「シン君…」
驚いたのか、少し垂れめの大きな目が見ひらいた。
シンはチェギョンの肩に腕を回すと自分の肩に寄りかからせた。
「チェギョンへの想いが恋人のそれなら、それまでのは、ただの友人だよ」
彼が言い切るとヴァイオレットの瞳が揺れた気がした。彼がそれを確かめる前に彼女は美しい瞳を閉じてしまったけれど。
白地にピンクのピンストライプのシャツの脇を、同じピンク色の爪でチェギョンが掴んでいる。どこまでも同化する二人を象徴しているようで、シンは微笑んだ。

爽やかなローズの香りがする彼女の金色の髪にシンが唇を寄せた時、機体が動き出した。




シンからの思いがけない愛の告白を聞くことができた。
彼の香りを吸い込む。シトラスが僅かに混じるシャボンのような爽やかな香り。いつもの彼の香りに、チェギョンはほっとした。

彼と二人で過ごす姿が瞬く間に広がった。予想していたことだけれども、あまりに加熱する報道に彼女は不安になっていた。事実昨日はコテージで過ごしていたというのに、いつの間に嗅ぎつけたのかプールで遊ぶ二人の姿が、キャッチされている。

小さな王国とはいえ、昔から一族だけで存続してきた彼の家系は、大陸有数の王族だ。彼の兄が王位を継ぐとはいえ、既に妃がいる王太子よりも、ハンサムな独身の彼のほうが常に注目されてきた。

空港へ向かう道にも多くのカメラが待ち受けていて、コテージから出てきた二人の姿もいつの間にか撮られていたらしい。
端末で見れば、ジェット機に乗り込む自分の姿も見ることが出来るだろう。

白地にピンクのピンストライプのシャツを白いコットンのパンツのシン。彼の服に合わせて、チェギョンはピンク色のギンガムチェックのワンピースを選んだ。柔らかなシフォンのワンピースは体のラインを見せてしまう。だから、張りのあるコットン生地の服を選ぶようになっていた。今日の服も、ウエストから大きく広がるデザイン。
風のように柔らかに自分の体を包む服を、また着ることが出来るようになるだろうか。
―――きっと着れるようになるわ

一人で悩んで黙っていることが間違っていたと気づいたから。
シンに素直な自分を見せてもいいと、チェギョンは知ったから。
だから、きっと沢山食べられるようになる。いつも喉の奥に何か詰まったような気分だったけれど、シンにプロポーズされた時から心が軽くなったから。


「クリスマスには、女性らしいドレスが着れるといいな」
「ん?なんて言った?」
「ううん、何にも言ってないわ」
顔を上げて彼を見ると、チェギョンの大好きなブルーの瞳が優しく見つめ返してくれた。







「…眠たい」
飛行機が水平飛行になった途端、チェギョンがポツンと零した。
「折角の夕日だぞ。見ないのか?」
丸窓からオレンジ色の太陽が見えると言うのに、シンの言葉に返事をするのさえ億劫なのか、彼女は目を閉じている。

「チェギョン、服が皺皺になるぞ。着替えておいで」
「う…ん」
シンが声を掛けても、彼女は起き上がらずにもそもそしている。
「チェギョン。…しかたがないな」
呆れたように言ったけれども―――乗務員の女性スタッフとジャズミンの手前―――実際は彼女が何しても可愛いいのだ。

すれ違っていた気持ちが軌道修正された後、チェギョンは随分と心のうちを見せてくれるようになった。いつも泣き出しそうだったヴァイオレットの瞳はクルクルと動き、ひっそりと微笑むような笑みは、高らかな笑い声に変わった。
出逢った時は、確かにそんな彼女だった。

あれから3年のうちに、彼女らしさを奪っていたのは自分だ。

だから―――
7歳年下の彼女に“甘い”と―――既にジャズミンはそう思っているようだが―――言われてもいい。シンはチェギョンの些細なわがままを聞くようにした。
勿論、顔だけは難しいしかめっ面にして。


背中と膝の裏に腕を入れて抱き上げた瞬間、シンの表情が曇った。

「ジャズミン!」
すぐに側近はそばにやってきた。
「チェギョンは熱が出てる。あと何時間だ?」
「機長に聞いてきます」
軽く頭を下げると、ジャズミンは揺れる機体の中でびくともしないままコックピットへ向かった。


「チェギョン、チェギョン、寝てるのか?」
「シン君…?」
薄らと目を開けた彼女だけども、すぐに目を閉じてしまう。
「服を着替えよう」
コクンと彼女が頷き、彼は仕切られた個室へ向かった。


「自分で着替えられないだろう」
うつらうつらしている彼女を膝の上に抱きかかえると、シンは背中のジッパーを下ろしていった。白い肌はビキニの痕が付いている。

「シン君」
か細い声が聞こえ、彼はチェギョンの顔に近づいた。
「どうした?」
彼女の細い手が伸びてきて、彼の頬に触れた。
「赤い、ビキニね」
「ああ」
「―――来年は、もっと、似合うように、なるわ」
それだけ言うと、薄らと笑いまた目を閉じていった。

「チェギョン…?」
赤いビキニは似合っていた。細く薄い体だけれども、チェギョンはもともと豊かな魅力的な胸を持っている。随分とやせ細ってしまったが、それでも男から見て“魅力的すぎる”体と言えるだろう。

川滑りをする時、チェギョンが赤いビキニを身に着けていて、思わずコテージに閉じ込めておこうかと考えたほどだ。

「これ以上、似合ってどうするんだ」
シンはため息をつきながら、彼女の体から服をはぎ取って行った。





シンの大きな手が体を滑る。いつもこんな風に優しく触れてくる彼だけども、今は特別。火照った体に少し冷たい彼の手が気持ちいい。

「―――ごめん」
不意に苦しげな声が聞こえてきて、チェギョンは重たい瞼を開けた。暗い顔をして自分の鎖骨―――骨が浮き出ている―――に触れる彼は、神に懺悔する信徒のようだった。

「シン君」
チェy言が彼を呼ぶと、シンは顔を上げた。

「すぐに、元通りよ。だって、だって、ね。幸せだから」
彼と恋人になった時も嬉しかった。けれども、今が人生で最高に幸せ。
明日熱が下がったら、真っ先に彼に言おう。
―――愛してる、って。


「チェギョン、ありがとう」
浮き出た鎖骨に彼の唇を感じた。



****



「殿下も寝てください。私がチェギョン様を見ています」
ジャズミンがそっと囁いてきた。
「大丈夫だ。それより準備はできてるんだな?」
「はい」
ジャズミンに頷いて見せると、シンは腕の中で眠る恋人の頬を撫でた。

帰国したらメディアが待ち構えているはずだ。
宮殿の了解はとってある。チェギョンの両親にもシンは電話で話をしておいた。
彼の当初の予定では、1か月後の彼女の21歳の誕生日にプロボーズするはずだった。その予定で全てが動いていたが、1か月の“嬉しいフライング”に、文句を言う人などいないだろう。

空港で会見をする手筈は―――自分たちの服と、彼女のヘアメイクも、宮殿からの告知文も―――整った。
あとは二人の幸せそうな姿を世間に見せるだけだ。


チェギョンの熱は下がってきた。呼吸も楽になっているようだし、体の熱も引いている。
「咳が出てたんだったな」
慎重な性格の彼女が夕暮れ時のプールへ入ったのは、きっと自分へのレジスタンスだったのだろう。
「ごめん」
余りにも謝罪の言葉を口にする彼に、チェギョンは「もう終わり、今度口にしたら、許さないんだから」と口を尖らしていた。

「聞こえてないからいいだろ?僕は一生、心の中でチェギョンに言い続けるさ」
もっと違う方法で彼女を護る術があったのかもしれない。彼女の心は、数えきれないほどの擦り傷だろう。

もしかしたら自分は、チェギョンを試したかったのかもしれない。
沢山のガールフレンドと噂されても、それでも自分の傍にいてくれるのか、と。
「最低な男だ」
だからこれからは、堂々と彼女を護る。

明日、彼女がヴァイオレットの目をあけたら、真っ先に言おう。

―――愛してる、って。



~end~





「シン君」
「チェギョン」
彼女が目覚めた時、自分を覗きこむブルーの瞳が見えた。

―――愛してる

二人の言葉が重なって、二人は同時に驚いて、二人は同時に微笑んだ。

そして、

「チェギョン、愛してる」
「シン君、私も、シン君を愛してる」

白いウエディングドレスを着たチェギョンが選んだブーケは、“ホワイトローズ”
彼女の親友の王女が、自分の宮殿の薔薇園で摘んだ薔薇で作り、贈ってくれたブーケ。