「終電もうすぐだね」
明楽(あきら)がおもむろにそんなことをつぶやく。
「そうだね」
地下鉄のベンチに座っているのは、酔っ払いと俺らだけだった。
こんな時間まで遊んだのは何年ぶりだろうか。男友達と遊ぶことがあったとしても、女友達と遊ぶことは、彼女ができてからは今までなかった。それは彼女が嫌な気持ちになると思っていたからであったが、女友達である、明楽と遊ぶとなったとき、彼女は「明楽なら別にいいよ」と笑顔で返してきたのだ。
俺と彼女の共通の友達でもあったし、なにより、明楽は髪が短く、いつも男性服を着ている。女の子っぽい要素と言ったら、背が低いことくらいだろう。
明楽とはただの友達で、やましいことは起きないと、俺も思う。
「今日買った服でさあ、黒のシャツ買ったとこ、なんて言ったっけ?」
低い、眠たげな声で、明楽が今日買った服の袋をこっちに見せる。
男性であればだれでも知っている、有名ブランドの名を告げた。明楽は目元をかきながら「ふーん」とつぶやく。
いつもなら、はきはき話すその声に、まったくの張りがない。
「今めっちゃ眠たいでしょ」
「眠いよ。こんな夜遅くまで遊ぶなんて思ってなかったからね」
明楽が髪をかき上げようと、挙げた右手の薬指に、指輪が光った。
「あのさ、今日ずっと気になってたんだけど、誰かと付き合い始めたの?」
明楽が、男と付き合うなんて、想像しがたい。明楽の隣は、かわいい女性のほうがしっくりくるくらいだ。
明楽はこちらを見て、「ええ?」と、眉間にしわを寄せ、笑う。
「なに、急にどうしたの」
「右手の薬指、指輪つけてるからさ」
「あぁ、そういう」
明楽は右手の薬指にはまった、指輪をくるくる回し、それから鼻で笑った。
「あんたが一番知ってるはずなのにね」
「は?」
こちらを向いた明楽は、眠たげで、半分しか目が開いていない。
「私、今日は恋人のとこに行くかなあ」
「マジで付き合い始めたの?」
明楽は立ち上がると、なぜか、俺と向いあうように、立ちはだかる。
「どうした?」と聞いても、何も答えない。その眠たげな眼は、黙って俺を見つめる。何を考えているのか、まったくわからなかったが、しばらくして、軽く、俺の肩を小突いた。
「あんたに彼女がいる意味わかんないんだけど」
「なんでだよ。俺のほうこそ、明楽に彼氏がいるとこ全然想像できねえ」
「そういうことじゃないんだよね」
と、馬鹿にするように、鼻で笑った。
それから、小さな声で、確かに「馬鹿野郎」と、明楽はそう言って、背を向けた。
「ちょっ、明楽、何が馬鹿野郎だよ」
「寝言だよ」
意味わからないことを言い残し、結局、明楽はそのまま、階段をのぼって行った。
俺が一番知っているって、明楽に彼氏の話なんてされただろうか。
終電が間もなく到着するというアナウンスとともに、携帯が震えた。あて先は明楽で、内容は一枚の写真だった。
それはもう、二年も前の飲み会の写真で、俺と明楽は顔を真っ赤にして肩を組んでいた。懐かしい写真だったが、急にこんなのを送ってくるのはなぜだろうか。
「懐かしい」と返信すると、「気づけ」と、返ってきた。何に気づけというのだ。
じっくりその写真を見ていると、俺の右手の小指に、指輪がはまっていた。その指輪は、さっき見た、明楽と同じデザインのもの。
そういえば、男がピンキーリングなんかつけているなんて、どこか女々しさを感じて、明楽に押し付けたんだ。安物だったし、もらった当の本人も「あんたからもらっても、何もうれしくないよ」って、言っていなかっただろうか。
今まで、つけていたところなんて見たこともなかったのに、どうして今日、いきなりつけてきたんだろう。
「指輪、どうして?」と打っている途中で、階段を見た。そこにはもう、誰もいなかったが、なにか、俺は大きな間違いをしたような気がした。
浮かしかけた腰を、携帯の震えがその行動を制御した。咄嗟に画面を見たが、彼女からだった。
なんで、俺は明楽の後を追おうとしたのだろう。
明楽が、その指輪を幾度となくいじっていたのをなんとなく思い返す。
目の前で、終電が過ぎていったのをただ眺めた。所在ない、わけのわからぬ寂しさが、体を冷やした。