冬来りなば春遠からじ。
(イギリスの詩人、シェリーの「西風の賦」の一節より)
つらく厳しい冬の時期を耐え抜けば、間もなく明るく暖かい春、
つまりは、幸せな時期は必ず来るというたとえ。
2年ぶりに携帯電話を変えた。
iPhone7 → iPhone Xs である。
変えた大きな理由は2つ。
一つはカメラ。
より良いもの、特にカメラのポートレートモードを使いたかったから。
もう一つはバッテリーがそろそろ寿命になってきたこと。
バッテリーは交換すればよかったのかもしれないが、まあ、色々新しくなって欲しかったので買い換えた。
それにしても、現代社会の携帯への依存度は半端じゃない。
待ち合わせは場所をしっかりと決めなくなるし、ちょっとした要件や電話出られない状況は全てLINE。
食事をする場所も、家を出てから電車の中で検索して、さらには予約もしている。
もう、これがないと生きていけないレベルまで生活を侵食してしまっている。
まさに携帯電話に生活をレイプされてしまっている。
家に忘れた日なんかは悲劇だ。
一日何もできない。
紛失するなんてもっと悲劇だ。
誰とも連絡を取ることができない。
学生の頃、アメリカに留学していたことがある。
渡米してすぐ、たった3日間だけ、同じホームステイ先にロシアからの留学生がいた。
彼が2年間アメリカで勉強し、ちょうど祖国へ帰る3日前に出会った。
好青年な印象だったその青年は、ケチャップ大好き、まさにケチャッパーだったのである。
何にも大量にケチャップをかけていた。
ポテトも、サラダも、卵料理も、パンにさえも、とにかく何にでもケチャップだった。
ケチャップに依存していた。
病的なくらい。
まるでアメリカのチープなコメディ番組でも見ているかのように、いつもケチャップと暮らしていた。
彼が帰国する前の最後の夜、ホストファミリーが彼のためにビーフステーキを用意してくれた。
ロシアへ帰る前に、最後にご馳走を、と考えたのだろう。
アメリカのビーフは豪快で、そのステーキも塩胡椒で食べる、シンプルに美味しいステーキだった。
そう、これにも同じく、彼はケチャップをかけようとした。
豪快に。
大量に。
ところが、である。
この夜は少し違った。
ケチャップが無かったのである。
冷蔵庫にケチャップの存在しない状況、そう、まさにロシアからきた青年には信じられない光景だった。
まさかこの素晴らしい、光り輝くステーキにまでケチャップをかけよう、とは夢にも思わなかったホストファミリー。
反対に、残念そうなロシア人青年。
そしてそれを冷たい視線で見るホストファミリーの表情は今でも忘れられない。
この青年にとっては、我々が今、携帯電話が手元から突然無くなったのと同じくらい、つらいつらい状況だったのだろう。
何事も依存しすぎるのは良くない。
でも、この依存から抜け出し難いのも確かだ。
あの日の彼とホストファミリー、両方の落胆した顔は一生忘れないだろう。
でも大丈夫。
明日、またケチャップはスーパーで買えば良い。
今日1日、一食だけ、我慢できれば。
彼は今もロシアで、ケチャップに囚われた、ケチャップまみれの幸せな生活を送っているのだろうか。
綺麗な雲と、そして蒼とオレンジの空を見上げながら、遠いロシアを想う夕暮れ時であった。