調教師転身 物語は続く
 蛯名騎手ほど勝利に貪欲でひたむきな男を私は知らない。牝馬三冠のアパパネにしたってオークスは同着だったのだ。彼にはわずかな執念が欠けていたら歴史的名牝は生まれなかった。
 蛯名騎手の負けん気はたくさんの悔しさがあったからだろう。ステージチャンプの天皇賞(春)では勝利を確信してガッツポーズしたものの及ばなかった。フェノーメノで鼻差敗れた日本ダービーでは、人前をはばからず泣いた。若い時分は本人に知らされず期待馬が同期の武豊に乗り代わり、その時は自宅でライバルが乗る姿を見つめたそうだ。そして私の印象に残るのが、1996年に藤沢和厩舎のシンコウキングに騎乗したマイルCSだ。
 このレース、厩舎主戦の岡部さんはジェニュインに乗り1番人気だったが、藤沢和師も蛯名騎手もシンコウキングに自信を持っていた。それが道中、外側にいたジェニュイン進路を狭められるようなコースをとられ、スムーズに走ることができなかった。岡部さんこそがシンコウキングの能力をもっとも警戒していたのだ。普段は同じ[チーム藤沢和]でも、レースでは最大の敵になる、その話を聞いた時は鳥肌が立った。
 それ以降、蛯名騎手は勝負に厳しく、他が嫌がる巧みな騎乗をするようになった。それがエルコンドルパサー、マンハッタンカフェなど数々の名馬との出会いにつながり、2001年にはリーディングジョッキーにもなった。
 調教師試験に合格したことで今年2月に引退となる。3年前、けっして騎手成績が下がったわけではないのに調教師転身を決めていたことに驚いたが、今は楽しみしかない。史上4位の勝利数をはじめ、味わった喜び、同時に悔しさが、蛯名厩舎の糧となるはず。惜しくも勝てなかった日本ダービー、そして2度の凱旋門賞2着までが、蛯名正義という一人の男の物語の[序章]になるのではないか。
※中スポから