札沼線の非電化区間・北海道医療大学~新十津川の突然のラストランから1年経過しましたが、15年前の今日・4月20日は、JR池北線から3セク転換された北海道ちほく高原鉄道のふるさと銀河線の最終運行日でした。
 
輸送密度が比較的高かった(※バス転換された松前線や広尾線などよりは低い)ため道内で唯一、特定地方交通線を転換した第3セクター鉄道路線でありましたが、沿線人口の急減、バブル崩壊後の低金利に伴う経営安定基金の運用益低下、存続に大きな影響を与えたとされる沿線出身だった衆議院議員(当時)鈴木宗男の失脚、筆頭株主の北海道の知事に就任した高橋はるみの(道からの資金援助を否定する)「ない袖は振れない」発言、そして他に公共交通がなかった陸別町を除く他の自治体も資金援助を拒否した事に伴い、結局全線廃線という結末を迎える事になってしまったのです。
 
一時期は最高速度を元々の85㎞/hから95~130㎞/hへと高速化改良し、石勝線経由の振り子式特急列車を走らせて札幌~北見・網走への所要時間を短縮しようという動きもありましたが、特急列車が通らなくなる事を危惧した遠軽町の猛反発などもあり立ち消えになってしまったのでした。
今さらこんな事を申してもしょうがないのですが、もしも高速化が実現していれば、1日3~4往復程度、キハ261系によるスーパーとかちとスーパーオホーツク(仮称)の併結運転により札幌~網走を結び、その場合は旭川への需要も考慮して、札幌~北見にも石北本線経由で従来の183系による特急が2往復程度設定されていたかもしれません。まぁ、仮にそうなったとしてもJR北海道にとっては旨味がなくなるから、実現は困難である事を承知で言わせて頂きます。テツの戯言として。
 
そんなふるさと銀河線ですが、私は池北線当時に北見~置戸を数回、転換後は部分乗車を数回、全線通しで3回程乗った事がありました。
今回は、私にとっての最後の乗車となってしまった2006年4月15日(つまりラストランの5日前)の乗車記を紹介します。既にデジカメ時代ではありましたが、メモリー容量と電池の持ちが非っ常~!に少ない旧式で、とにかく使いモノにならないカメラのため、撮影した写真の数は限られています。また、当時の時刻表を持っていなかったため、列車の時刻は北見駅以外記載できませんでした。何卒ご了承ください。
 
 
私はこの時土日休みを利用して実家に帰っており、当ブログで紹介した乗り鉄のうち何度か一緒に行っていたテツの旧友(※使いモノにならないデジカメを売りつけた張本人)にクルマで北見駅まで送ってもらい、彼は撮影のため追っかけ役として池田まで並走する事になりました。
ちなみに彼とは現在再び疎遠になっています。偏屈で癖の強い男ゆえに…。
 
乗車したのは、7:16に発車する池田行の712Dでした。
現在は液晶ディスプレイ(大型テレビ)の発車標ですが、当時はLEDでした(現在も長万部駅などで見られるモノに近いタイプ)。7:12発の特急オホーツク2号と同時改札で、コンコースにあったふるさと銀河線専用の券売機で乗車券を買い、改札口を抜けます。
発車標には他に、今では見られない『金華』の行先が見られます。

 
 
 
712DはJRと共同使用だった2番線ホームからの発車で、CR70-2を先頭にした2連。
同車は北海道新聞社の広告車となっていました。後1両は置戸で切り離すのですが、車号は不明…。

 

 

 

私が乗車した先頭車、CR70-2の前面。

運転台側のガラスに映りこんでいる東急百貨店は、翌年の10月に閉店してしまい、網走管内唯一の『百貨店』が消滅してしまいました…(涙)。東急インと一体だったビルそのものはホテル棟の一部を解体した上で『まちきた大通ビル』として存続しており、一時期北見市役所の一部機能が移転していた事もありました。

1番ホームの特急オホーツク2号を待つ人も、今とは比べモノにならない位多かった…。

 

 

 

CR70-2の車内(池田到着後の撮影)。

ベースとなったJR北海道のキハ130(1次車)と座席モケットが異なる位でほぼ同様の車内ですが、北海道の中でも特に極寒地を走行するため、デッキ仕切りの代わりとして出入口付近のロングシート袖に風防ガラスの仕切りを設置し、暖房も強化するなどのカスタマイズが加えられていました。

 

 

 

2番線ホームに設置されていたJR仕様の駅名標。

(石北本線)(ふるさと銀河線)とそれぞれ但し書きが加えられています。

 

 

 

コチラは3番線ホームにあった、ふるさと銀河線オリジナルの駅名標。ホームが非常に狭いため、このアングルでしか撮れませんでした。

3番線は切り欠き式で、現在の2・3番線ホームの間の西側にありました。このホームがあったため、現在の3番線は当時4番線を名乗っていました。

 

 

 

いきなりですが、釧北峠を越えて小利別を過ぎ、川上駅を通過します。

駅前に国道は通っているのですが、周囲には人家が全くない秘境駅要素の高い駅でした。

北見発車後、ここまで1枚も撮影していないのは、早くも電池切れを起こしてしまったからであって、置戸駅停車中の間、旧友に単Ⅲ乾電池を持ってきてもらったのですが、同駅での切り離しシーンも残念ながら撮る事はできませんでした…。

 

 

 

川上~分線間と思われる区間で撮影した、運転台の様子。

 

 

 

上の写真とおそらく同区間。

並行する国道242号線を走行する、訓練運転中の北海道北見バスのふるさと銀河線廃止代替バス。車種はいすゞエルガのワンステップ車で、同社では名寄本線代替バス以来のいすゞ車導入だったと思われます。

 

 

 

陸別駅で池田からの711Dと交換。

解像度が低いため車号は読みにくく、おそらくCR70-6と思われますが…。

 

 

 

712Dは交換のため陸別駅で数分停車し、その停車中に撮影したCR70-2。

残念ながら同車はふるさと銀河線りくべつ鉄道での保存の対象外となり、他の2両と共にミャンマーに渡っています。同国の情勢が悪化した現在、他の日本から渡った車両共々一体どうなっているだろうか…。

 

 

 

双方の列車とも停車時間があったようで、駅員とおぼしき方が指差確認をしながら線路を横断しようとする姿が見えます。

跨線橋には「ありがとう銀河線」の文字が…。

 

 

 

同じく陸別駅で撮影した、CR70-2の北海道新聞社の広告ラッピング。

1番ホームから見て池田方に「がんばれ!ふるさと銀河線」、北見方に「北海道新聞社はふるさと銀河線を応援します」の文字が書かれていました。

北海道メディアの大元締である同社はネトウヨから特に嫌われてますが…。

 

 

 

その名から『愛のカップル』きっぷが売られていた愛冠駅(車内から撮影)。

駅舎は冠を模した建物で、1979年に当時の国鉄帯広建築区が建てたそうです。駅名板は、旧駅舎時代から使われていた釧路鉄道管理局仕様のホーロー製がそのまま取り付けられていました。

ここまでは比較的すいていた車内だったのですが、次の足寄からは、お名残り乗車の一般客が大勢乗り込んで満席となり、立ち客も出る程になりました。私のBOX席の向かいに座ってきた足寄町出身で千葉県在住の弁護士の方と会話した思い出があります。

 

 

 

またまた飛びますが、終着駅・池田の2つ手前である高島駅でも交換のため数分停車します。

 

 

 

既に無人駅にはなっていましたが、最後まで木造駅舎だった高島駅舎。

ふるさと銀河線の駅舎は、所在する自治体との合築駅舎として建て替えられたモノが多く、廃線直前の時点では既に貴重な存在となっていました。

 

 

 

高島駅停車中に撮影したCR70-2の銘板。

 

 

 

高島駅に到着した交換列車の北見行713D(前面ガラス越しに撮影)。解像度が低いため車号はわかりません。CR75-1に見えなくもないのですが。

おっと、線路上に撮り鉄の姿が…!今なら完全にNGですが、現在程、撮り鉄に対して目くじらを立てられる事はなかったハズ…。時代を遡って、特定地方交通線が廃線になった頃に撮影されたYouTube動画では、駅構内の線路に沢山の撮り鉄の姿がいるのが映っていたりします。

 

 

 

約3時間余りの旅を終え、終着・池田駅4番線に到着した712D。乗車券を運賃箱に投入し、清算済み証明を受け取った上で下車します。

北見駅と同様に、ふるさと銀河線の専用ホームは切り欠き式で駅の西側にあったのですが、駅本屋まで約200mの距離を歩かなければならず、乗客はかなり不便を強いられていました。

廃線後はレール及びホーム上の上屋は撤去されてホームそのものは柵で封鎖されています。右に見えるふるさと銀河線のロゴが入った池田運転支所の車庫も解体され、現在は背後の景色もかなり変わってしまいました。

 

(参考画像・2020年8月撮影)

 

 

 

3番線ホームには、JR池田駅作成のお別れ看板が掲げられていました。

停車中のキハ40 765は、この年の暮れに更新工事を受け1765に改番されています。

 

 

 

跨線橋にあった『ふるさと銀河線のりば』。

 

 

 

各ホーム上にあった『のりば案内』。写真は1番線のモノで、背後にはワイン城が写っています。

 

 

 

みどりの窓口上に掲げられていたふるさと銀河線の運賃表。当駅にも北見駅と同様の券売機があったかどうかは覚えてないのです…。

料金表にある寝台料金に注目!

 

 

 

駅舎ドアガラスには、北海道ちほく高原鉄道とJR池田駅連名のポスターが貼られていました。

写真は松本零士氏がデザインした『銀河鉄道999』ラッピング車であるCR75-3・2の2両編成列車。背後に見えるキヨスクも今はありません。

 

 

 

私は池田駅を後にし、迎えに来た旧友と合流してふるさと銀河線ルート沿いに網走へ戻るのですが、その道すがら駅の撮影を何箇所かしてきました。

 

最初に行った足寄駅。

駅舎は『道の駅あしょろ銀河ホール21』の建物として現在もそのまま使われています。

某新聞社が書いた「やがては道の駅に?」という懸念の通り、名実共に道の駅になってしまいましたが…(廃線前から道の駅に指定済)。

 

 

 

足寄駅舎の様子。ホームに通じるドア上に書いてあった「改札口」の文字は、廃線後もしばらくの間残っていました。

 

 

 

駅舎の展望タワーに上り、線路のある風景を俯瞰撮影。

1枚目は池田方で、2枚目が北見方。

 

 

 

次に行ったのがお隣愛冠駅ですが、駅舎自体は往路の車内から撮影していたためか撮っていません。駅舎内には1989年8月のワンマン運転を告知するポスターが色褪せた状態で貼ってありました。JR北海道とは異なり、後乗り・前降り方式の乗降方法でした。

 

 

 

同じく愛冠駅舎内に貼ってあった、鉄道事業廃止を告げるポスター。

 

 

 

ホームだけの簡素な駅だった塩幌駅。

 

 

 

コチラも、ホームのみの簡素な駅だった笹森駅。国鉄時代は仮乗降場でしたが、釧路鉄道管理局管内だったため北海道版の時刻表にすら載っていませんでした。

北見方ホームの台座として古い橋桁を再利用しているのが特徴でした。

 

 

 

あの鈴木宗男の出身地にあった大誉地駅。

既に携帯電話がひと通り普及した時代でしたが、駅舎入口に公衆電話があるのが見えます。

 

 

 

大誉地駅の保線関連施設と思われる木造の建物。その前には横取線がありました。

 

 

 

次に行ってみた陸別駅には、訓練運転中の十勝バス(日野レインボーノンステップ)が駅前に停車していました。バスの運行系統は陸別で十勝バスと北海道北見バスとで完全に分かれたため、転換後は乗換が必要になりました。

駅舎は道の駅として現役なので、メモリー節約のため結局この時写真は撮っていません。

 

 

 

最後に訪問したのが川上駅。

既に真新しいバス停が建っていました。

 

 

 

川上駅裏手から撮影。

人里からは全く離れており、奥に見える鉄道官舎らしき建物も既に廃屋になっていました。

 

 

 

ここまで2006年4月15日の撮影分を紹介しました。

その時に購入したふるさと銀河線全駅の硬券入場券セットです。残念ながらどこで買ったのか全く覚えていないんですよね…(汗)。

 
 
 
以上、北海道初の第3セクターに転換されたにも関わらず、17年の短い歴史を閉じる事になってしまったふるさと銀河線の最後の乗車時の事を紹介させて頂きました。
この廃線に伴い、道東エリアの鉄道路線網は非常に寂しいモノになってしまいました。残る道東の鉄路のうち、JR北海道が『単独では維持困難路線』に指定されている石北・釧網・花咲の各線は何としても存続して欲しいし、これ以上廃線を増やして欲しくありません。私もできるだけ乗りに行きますので。