「ねえ、ちょっと愚痴ってもいい?」と勤務中に言われたので、間髪入れずに

 

「是非どうぞ」

 

と言いました。実は私人の愚痴を聞くの、嫌いじゃないんです。

 

 

愚痴にはその人の個性が出ます。どんなことに不満を感じるかは人それぞれ。

 

 

良いことに関しては大抵人は共通のことをいいます。特にバリエーションもないです。

 

しかし良くないことに関してはその人の観点、思考、出来事や言葉の定義などが組み合わさってとても個性的で面白いことを言うのです。

 

 

愚痴の内容としては「指名客のNさんという男性は、腰は低いが図々しい。すみませんと言うが、口ばかりだし、人をコントロールしようとしてくる」でした。

 

 

「ごめんなさい」や「ありがとう」は大切は言葉です。人は必ず他の誰かと関わりあって生きていくし、何らかの間違いや過ちを犯すこともあるから。

 

側にいる人に迷惑をかけてしまったとしても「私は今回のことで自分が間違っていたことを学びました。もうしません」という意味で「ごめんなさい」などの謝罪をするのですが、時としてこの謝罪の言葉を使って人を都合の良いようにコントロールしようという意図を感じる人がいます。

 

 

「ごめんなさい」とか「ありがとう」を言っている人に強硬な態度を取るのって難しいですよね。

それをわかっていて使っていると感じるのです。

 

そのような人は依存的な思考をしています。自分の身体や精神の状態を他人に何とかしてほしいと思っているし、不調の原因は外的要因にあると信じています。

 

だからこのNさんという人も「霊的な影響を受けやすい」といったことをよく話すといいます。

 

困ったお客さんに好かれてしまったセラピストの話はよくあることなのですが、話を聞いていてふと気づいたことがあります。

 

それは「愚痴を言っているこの人も、指名客のNさんと似たようなところがある」でした。

 

 

他人は自分を映す鏡です。

 

あなたが他人にうんざりするとき、あなたは自分の過去の姿を見ています。

 

あなたが他人に憧れるとき、あなたは自分の未来の姿を見ています。

 

 

私の職場では毎日何らかの役割が与えられ、その係としての仕事をこなさなければなりませんが、この人はその係としての仕事が甘いのです。大抵何かをやり忘れています。

 

仕方がないので他の人がやったりして後で仕事の指摘をします。その時この人は「ごめんなさい、ありがとう」と言うだけです。残念ながら改善はされません。

 

この人に求められていることは、決められた仕事をすることです。謝罪も感謝も本来の仕事の代わりにはなりません。

 

やるべきことをやっていないのです。人を利用しているし、人に依存していると言えるでしょう。

 

ここでもう一度、この人が自分の指名客に何と言っていたか考えてみます。

 

「指名客のNさんという男性は、腰は低いが図々しい。すみませんと言うが、口ばかりだし、人をコントロールしようとしてくる」

 

この人もNさんも謝罪と感謝を駆使して人をコントロールしています。図らずもこの人は他人の姿をした自分を批判していたのです。

 

 

「人に言いたいことは自分に言いたいこと」は真理です。

 

人に何か言いたくなったなら、自覚があろうが無かろうが、これは自分が直すべきところだと思った方がお得です。

 

この場合のアファメーションは「人をコントロールしようとするのはやめろ」と「やるべきことをやれ」がいいと思います。

 

依存的思考から脱却し、自分の仕事がきちんとできる。そんな自分に近づいていけるでしょう。