ISILに向かう人達 | kitakitsuneの戯言(さらっと読んでください)

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後藤健二さんが亡くなりました。心から哀悼の意を表します。

本当に悲しい事です。ジャーナリストとして高い志を持ち、世界にその現実を知らせるため危険を顧みず現地に赴いた。なんと勇気のある方だろうと思います。

申し訳無いのですが、私は後藤健二さんがどんな方なのかほとんど知りません。
ISILの取材のため、単身渡航しISILに拘束され殺されたという事実しか知らないと言っても良いかもしれません。

残念な事に世界は彼を救えませんでした。
ご家族は勿論、救えなかった日本政府も無念だと思います。安倍首相の言葉にもその無念さと怒りが伝わって来ます。

後藤さんの行動を見ていて、良く似た人達を思い浮かべました。
ヒマラヤのバリエーションルートを狙う登山家達です。
日本では、加藤保男さん、山田昇さん、長谷川恒男さん、尾崎隆さん、小西正継さん、森田勝さん、植村直己さん、もっと沢山いらっしゃいます。
彼らは、ヒマラヤのバリエーションルートを狙いそして山で亡くなりました。
登山家として高みを目指し、より難しいバリエーションルートを、無酸素で、あるいは単独で、もしくは冬季に登攀する。
一つ間違えば命はない、自然との命のやり取りです。
でも彼らは死ぬために山に行く訳ではありません。自分の力と自然の力を秤にかけ僅かなチャンスを狙い自分の力が少しでも上回ると思える時を狙って登頂を目指すのです。
勿論生きて戻る事が前提です。
しかし、自然がそれを上回った時、命を失う事があります。
それでも彼らは高みを目指したのです。

後藤さんの行動にも共通したものを感じます。
目的はまるで違います。しかし、自分の意志を志を実現する為、行動した事は同じだと思います。
もちろん彼の場合はイスラムの現実を世界に公開する為と言う大義名分がありました。
しかし、彼は拘束され殺された。

こんなところに行く人間は誰よりも臆病で慎重であると思います。先の登山家達もそうでした。
ほんの少しの判断ミスがあったんでしょう。

彼は誰かを恨んでいるでしょうか、彼を救う為に全力を尽くした人達を。
国際関係、そして正義に照らし合わせても、ISILの言いなりになる事は出来ません。
その上で全力を尽くした人達を彼は恨むでしょうか?

「自己責任」と言っても、こうなった以上それでは済まされません。政府も国際的に許容される最大限の努力を尽くし救出を図ったと思います。

登山家が遭難した時も同じです。自分の責任ではではあるけれども、それでは済まされない、仲間は全力を尽くします。
でも二重遭難を起こす事は絶対に許されない。
仮に遺体を確認したとしても、危険な場所で遺体の収容が困難な場合、遺髪や遺品を回収した上で、遺体をクレバスに投げ込む事さえあるのです。
登山家達はそれを望む筈はありません。しかし、最悪それを覚悟しています。

多くの登山家はほとんど同じ事を言っています。
「自分が死んでも、誰のせいでもない。誰かを恨んだり、非難しないで欲しい」と。

後藤健二さんもきっと同じではないかと想像しています。
「誰も恨んでくれるな」
これが彼の本音ではないでしょうか。
私達が、彼を救えなかった事を誰かのせいにしたり、非難する事は愚かな事だと思います。

非難すべきは彼を殺した人達です。
私達がすべきは、彼の志を忘れず彼が何をして来たのか、それを知る事だと思います。
そして彼を思うことそれが一番大事だと思います。

今回の事は人それぞれ意見が違うと思います。
しかし、彼の志を思い、そして考えたいと思います。