友光とは大学が別になってから交際が途切れてしまった。クラス内で一緒にいるから友達になれたのかもしれない。環境が変われば変わらないものはない。

 友光もだいぶ老けた。だが昔の親友は何故かすぐに分かる。彼の高校は浦和駅から30分くらい歩いたところにある。そこをほとんど毎日一緒に通ったのだから分かるはずだ。彼の口癖というか、それはあのことがあってからなのだが、「生きてろよ」というものだった。彼があのことがあって以来すっかり意気消沈していたので、半分ふざけて言っていたのだろう。だが半分は本気だったかもしれない。でも彼らはそんなことは気にせずに陽気に付き合った。友光が彼を元気付けようとは特に思わなかっただろう。それほど二人は仲が良かったのだ。最初、彼は学校に馴染めずに休む日が多くなった。担任が家に来ることもあった。彼の父親はある理由でほとんど家にいなかった。それで彼にオートバイを買い与えた。元々乗り物が好きで自転車で日本一周をしようとしていた彼だったから大変喜んだ。オートバイは何しろ坂道でも大変な思いをして漕がなくていいから彼には夢の乗り物だった。それからはバイクが仲介役みたいになって友達ができ始めた。バイクはあの頃の男子にとっては憧れの乗り物なのだ。もちろん全く興味を示さない子もいるから色々だ。

 

 卒業してから友光は一度だけ彼の家に来た。そこでレコードをたくさん聞いたのだが友光と彼の趣味はあまり合わなかったかもしれない。今から考えると友光は彼と別れをするために来たのかもしれない。それから何と五十年ぶりだ。時間は恐ろしい。友光は元気なようなので彼は安心した。彼らの歳になれば体がどこか悪くて当たり前だ。あんまり健康だといきなりステージ4の癌を宣告されるかもしれない。

 

 友光と別れて一緒にバンドを組んでいた榎本に会った。彼もすっかり老けている。でもお互い様だ。彼とはベンチャーズとかグループサウンズの曲をやっていた。でも沢田研二があの体型になるのだから五十年というのは凄い。昔一人で田園コロシアムへザ・タイガースのライブを見に行ったことがある。ちょうどトッポが脱退してシローが加入してきた頃だ。当時はやっていた曲は「都会」だったな。タイガースも第二期に移行していた頃だ。ライブは最高だった。沢田研二がアダモのヘイ・ジュテームを歌っていた時はピーのドラムも冴え渡り、ジュリーが背をのけぞらせて、ヘイ・ジュテームと叫んでいる様はまさしく神の領域に達していた。少し当時のファンしか知らないことも書いてしまった。この歳になれば許されるだろう。